マタイ21章23~27節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マタイ21:23 それから、イエスが宮にはいって、教えておられると、祭司長、民の長老たちが、みもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか。」

2月16日の記事に記した、ノルウェーの宣教団体であるNLMは、19世紀のノルウェーにおいて起こったキリスト教リバイバル運動によって設立された宣教グループであり、ハンス・ニールセン・ハウゲらの熱心な信徒運動によって支えられてきました。
しかし、当時のノルウェーでは、正規の召しのない(牧師・伝道師以外の)者が聖書のメッセージを語ったり、公の場意外でキリスト教の集会を行ったりすることが法律で禁じられていて、ハウゲの信徒伝道スタイルは、これに触れるもので、何度か捕らえられ、投獄されるという悲しい歴史がありました。
しかし、このような出来事が、かえって「信徒による伝道」を強力に推し進めるきっかけとなっていったようで、各地に、熱心な信徒らによる祈りのグループや集会所が設立され、「祈りの家」として、発展していったそうです。


イエス様の時代でも、祭司長や律法学者たちは、自分たちこそが聖書の御言葉を語る権威を持つ者と考え、神の国の奥義を語り継いでおられたイエス様に向かって「何の権威でそんなことをするのか。誰があなたに権威を授けたのか。」と言って、イエス様を非難し、自分たちの権威を主張しようとしたことが記されています。
聖書の御言葉は一部の人のためのものではありません。ましてや、そういう人たちの権威付けのためにあるものでもありません。
神様の御言葉は、人の魂を救いに導き、慰めを与え、平安を与えるはずのものです。
そういう意味で、聖書の御言葉やメッセージが、誰の目にも、誰の耳にも、そして、誰の心にも、障害なく届くことができるように、御言葉のバリアフリー化を目指していきたいものです。
そして、当然、この小さな私にも、神様の恵み豊かな御言葉の約束を語ることができるのですから、私にしか出会えない方々へ、イエス様の救いと慰め、平安の約束をお伝えしていきたいものです。

2テモテ4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。