マタイ19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
19:14 しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
19:15 そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。
大人になると、いつの間にか、「子供には関係ない話だ」とか、「きみたちにはまだわからないだろう」などというような言葉を発してしまうものです。
でも、それは、あくまで、知識や経験などについての、要するに、どれだけ長く人生を送ってきたかに左右される事柄に限ったこと。
でも、人が生きるということは、その人の人生に費やした時間が問題ではない。
存在する一人一人に与えられた権利であり、それが命である。と私は思います。
どんな小さな子供にも、魂は存在します。そして、魂の叫び、求め、願い、そういうものを含めて「信仰」というものを考えるべきではないかと思います。
たとえば、赤ちゃんがミルクを欲しくて泣いているとしたら、そこには、誰かに助けを求める心が働いている。それって、深いところで、神様を信じる心に通じているような気がします。
振り返ってみて、果たして自分の信仰はどうだろうか。妙に大人びることばかりに気を取られて、大事な心を見失っていないだろうか。そんな風に考えてみると、もっと素直に神様に求めて行けばよいのではないかなあと思えてきました。
私も一人の子供なんだなあ。神の子とされた小さな子供なのです。