マタイ17:24 一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。
17:25 ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」
17:26 ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
17:27 しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」
聖書の中に記されている記事としては、やや珍しい内容のものであると思います。
イエス様は、神の御子として、本来ならば、神様を礼拝するための神殿を維持するための税金や献金などを支払う立場にはないことを主張しつつも、そのことを理解していない人々につまづきを与えないためにも、あえて、神殿へ治める税を支払わせるよう、ペテロに命じられました。
その方法は、湖で釣りをして、その魚から得られた銀貨を納めるという、なんとも不思議なものでしたが、確かにイエス様は、神殿へ治める税金をお支払いになられたのです。
今、某公共放送の受信料未払いの問題が取りざたされています。
確かに、不正なお金の使い方があったかもしれませんが、だからと言って、支払いを拒否するというのは、全く別の問題であると思いますし、なんだか、言いがかりをつけているようにも思えます。
私たちは、国の定めたルールの中で、ルールを守ることによって、はじめて、平和な社会を享受することができるという前提に立ち返って、「自由」の意味を履き違えないで、せめて、義務のある事柄に対しては、果たしていく姿勢を持っていきたいものです。
そのような姿勢が保たれていくことによって、つまづきのない社会が築きあげられていくのでは?と思うのですが・・・。
いろんな国があります。そして、いろんな法律があります。しかし、どんな法律のもとにある国でも、クリスチャンはその法律のもとで生きていることと思います。
せめて、平和な国に住まわせて頂いているのですから、守るべきことは、きちんと守って、その上で、この国の指導者たちが主にあって整えられていくことができるように祈らせて頂きたいものですね。
1テモテ2:1 そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
2:2 王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
2:3 これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。
2:4 神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。