マタイ6:1 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
6:2 だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6:3 施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
6:4 あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
6:5 「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6:6 だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
先日、クリスチャンは、人前ではどれくらい奉仕をしているかとか献金を幾ら捧げているかなどということはあまり公表すべきことではなく、むしろ、人前でははっきりとイエス様に救っていただいたことを証しすべきではないかということを、イエス様が御語りになられた「地の塩、世の光」という御言葉を通して語らせていただきました。
しかし、これが全く反対に人前で奉仕や献金の額を誇り、イエス様の救いの証を一切しない場合、これは「地の光、世の塩」ではないか、と言ったところ、妻が「なるほどね~」とうなづいていました。
ルカ17:9 しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。
17:10 あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。」
願わくは、イエス様の御前で、こう言えるものでありたいですね。
地の塩として、塩に課せられた役割を坦々とこなし、そして、世の光として、人に対しては、イエス様の尊い十字架の死による贖いの代価のおかげで、罪深い私は救わっていただきましたということを語らせていただきたいものです。