マタイ15:32 イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」
15:33 弟子たちは言った。「この人里離れた所で、これほど大勢の人に十分食べさせるほどのパンが、どこから手に入るでしょうか。」
15:34 イエスが「パンは幾つあるか」と言われると、弟子たちは、「七つあります。それに、小さい魚が少しばかり」と答えた。
15:35 そこで、イエスは地面に座るように群衆に命じ、
15:36 七つのパンと魚を取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。
15:37 人々は皆、食べて満腹した。残ったパンの屑を集めると、七つの籠いっぱいになった。
15:38 食べた人は、女と子供を別にして、男が四千人であった。
ここには、イエス様が5つのパンと2匹の魚を持って5千人以上の人々を満腹させたお話しと並んで良く知られている、7つのパンと小さな魚を持って4千人以上の人々を満腹させたお話しが記されています。
以外にも、この出来事を記録しているのは、マタイの福音書とマルコの福音書(8章1~10節)だけであり、あとの二つのルカの福音書とヨハネの福音書には記録されていません。
(5つのパンと2匹の魚のお話しは、マタイ14章13~21節、マルコ6章30~44節、ルカ9章10~17節、ヨハネ6章1~14節と、全ての福音書に記録されています。)
この二つの出来事の違いは、パンと魚の数、養われた人々の数が違うくらいで、それほど、大きな違いは見られないように思います。
しかし、同じような内容だから省いたのか、それとも、何か別の理由があったのか、はっきりとしたことはわかりません。もしかして、ルカとヨハネの目には、この前(5つが5千人)よりも、祝福の度合いが減っているじゃないか(7つが4千人)と思われたのでしょうか。
しかし、少なくとも、マタイとマルコの目には、イエス様が、5つのパンを5千人にわけてあげられた時と、7つのパンを4千人に分けてあげられた時の違いに注目し、そのわずかな違いを伝えようとの願いがあったのではないでしょうか。
マルコ14章19節では、イエス様は5つのパンと2匹の魚を取り、天を仰いで「賛美の祈りを唱えて」群集に配られたと記されています。
一方、マルコ15章36節では、7つのパンと小さな魚を「感謝の祈りをして」これを群集にお配りになられたというう風に記されているのです。
内容的には、そう大きな違いはないかもしれませんが、先の出来事においては、天の神様の御業を賛美し、次の出来事においては、天の神様に感謝をして奇跡を行われたということ、せっかく記録として残されているのですから、あるときは、天の父なる神様の御名を賛美し、またあるときは、神様が与えて下さる全ての恵みに感謝し、両者の違いを味わうことのできる幸いを覚えさせて頂きたいものです。
それこそ、「賛美」と「感謝」の微妙な違い、5つのパンと7つのパンとの違い、あるいは、ほんのわずかな食べ物の恵みにも、大きな感謝を持って与ることのできる心を養っていただけますように。