マタイ15章1~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マタイ15:3 そこで、イエスはお答えになった。「なぜ、あなたたちも自分の言い伝えのために、神の掟を破っているのか。
15:4 神は、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っておられる。
15:5 それなのに、あなたたちは言っている。『父または母に向かって、「あなたに差し上げるべきものは、神への供え物にする」と言う者は、
15:6 父を敬わなくてもよい』と。こうして、あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。

私の両親は、クリスチャンではありません。時々、実家に帰る時、おみやげを持って帰ると、一旦神棚に御捧げしてから、しばらくして、それを頂いたりします。
クリスチャンになったばかりの頃は、その行動が嫌でした。何度も「お願いだから、私が持ってきたおみやげだけは、そういう風にしないでくれ」と言いそうになりましたが、たとえ相手が血のつながった肉親であったとしても、もし自分が相手の立場だったら、自分の信仰に対して、ああだこうだ言われるのは嫌な感じがするので、いつも黙って見過ごしていました。

何年かして、両親が私たちの仕事を「良い仕事だね」と言ってくれたことがあり、「ああ、あんなこと言わなくて良かったなあ」と思うことができたのです。

私たちは、聖書の御言葉を頂き、イエス様を信じるようになると、キリスト教以外の宗教を信じている人たちを、何か、間違った生き方をしている人であるかのように考えてしまうことがあります。でも、イエス様の救いの意味を知らないというだけで、決して、誰にも非難されるべきことではないはずです。むしろ、彼らが信念を持って生きているという事自体は、尊重されるべき事柄であると言えるでしょうし、それが、自分の肉親であるなら、なおさら、「あなたがたは父と母を敬え」との御言葉の前に、彼らを尊敬し、彼らの生き方を尊重すべきであるということは、とても重要なことであると思うのです。

肉親だからこそ、なかなか思うように言えないこと、理解してもらっているようで、理解してもらえないことがたくさんあると思います。でも、だからこそ、肉親の前では、他人以上に気を遣って、イエス・キリストの愛に生きる喜び、永遠の命を頂いていることによる平安、必要の全てを満たしていただいている感謝、そういう目に見えない恵みの賜物によって、イエス・キリストの福音(喜びの知らせ)をお伝えしたいと思います。

主よ、どうか、私たちの両親に目を留めていてください。そして、願わくは、彼らも私たちと同じ恵みで満たして下さいますように。