マタイ14章1~12節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マタイ14:1 そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、
14:2 家来たちにこう言った。「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」

ヘロデは、自分の妻の問題をバプテスマのヨハネに指摘されたことで、ヨハネを捕らえ、ついには彼を殺してしまうことになります。その後、イエス様の活躍のうわさを聞き、もしかしたら、あのヨハネが生き返ったのではないだろうかと考えていたようです。
このマタイの記述だけを読むと、もしかしたらヨハネが生き返ったのかもしれないと考え、奇跡を行う神の力が働いているのかもしれないと考えているようにも思えるのですが、他の福音書の記述と照らし合わせて見ると、もちろん恐れの感情は抱いているものの、それが神を畏れる信仰へは、全くつながっていないであろうことが伺えます。

ルカ9:7 ところで、領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、
9:8 「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。
9:9 しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに会ってみたいと思った。

ルカ23:7 ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。
23:8 彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。

ヘロデには、全く危機感のようなものは感じられません。それどころか、そんな男に一度会ってみたいものだという風に語られていて、実際、裁判の席でイエス様に会った時にも、半ば、喜びにも似たような、興味本位のみでイエス様の裁判に立ち会っている様子が記されているのです。
ヘロデの興味は、イエス様が行われる「しるし」だけに向けられていました。
そして、仮に目の前でしるしが行われても、彼は、生ける真の神を信じようとはしなかったことでしょう。

今、私たちの身の回りにも、やたら奇跡ばかりに注目しようとする人たちがいます。しかし、それが一体、どこから出てきた力なのかまでは考えようとしません。
しるしの中には、悪いものもあるはずなのに・・・。

私たちは、しるしよりも、もっと大切なことに目を留めます。
1月29日記事参照
イエス様こそ、死からよみがえられたお方。そして、これがまったく神の御力の現れであることを覚えたいものです。