マタイ13:53 イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、
13:54 故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。
13:55 この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。
13:56 姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」
イエス様の幼少の頃を知る者たちは、イエス様のなさった御業や教えの素晴らしさに、ただただ驚くばかりであったようです。
このことは、言い換えると、イエス様が若い日々に、確かに、ごく普通の人間と同様、平凡な暮らしを過ごしていたということが伺えます。
きっと、私たちと同じように、朝起きて、食事をし、仕事をし、休息する。その間、絶えず命の御言葉である聖書の言葉を聞き、祈りの時を持っておられたことでしょう。
そんなイエス様のお姿を思うとき、それらすべてのことを、私たちの救いのために味わわれたという事を思うのです。
ヘブル2:17 それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
2:18 事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
イエス様は、若い日に父親ヨセフを失い、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダといった弟たちや、他にも名前はあげられていませんが、数人の妹たちを養うために、父の仕事であった大工の仕事を引継ぎ、貧しい家庭を支えながら過ごしたであろうと言われています。
あまり詳しくは記されていませんが、そういうイエス様の日常の生活も、すべて、私たちの救いを成し遂げるためであったことを思い、感謝しつつ、私に与えられた日常を過ごさせて頂きたいと思います。