詩篇137:5 エルサレムよ もしも、わたしがあなたを忘れるなら わたしの右手はなえるがよい。
137:6 わたしの舌は上顎にはり付くがよい もしも、あなたを思わぬときがあるなら もしも、エルサレムを わたしの最大の喜びとしないなら。
この詩篇は、内容から判断して、イスラエルの民がバビロンの地に捕囚として捕らえられ、その地において生活を余儀なくされていた時に歌われた、望郷の歌であると言えるでしょう。
ふるさとを思う心、そして、それをどんなに熱望していることか。
このような心境は、私たちの天の御国に対する憧れにも通じるものかもしれません。
私たちは、この世界に生まれ、やがての後に、天の御国へと招き入れて頂けるという約束を信頼していますが、本来、人は、良きものとして神に創造され、御国の初穂として創られたもの、罪を犯すことによって、死と裁きの奴隷となり、今の世界で暮らしていかなければならないのだとしたら、天の御国こそ、私たちのふるさとであり、帰るべき我が町であると言っても過言ではないように思うのです。
とすると、このような思いは、私たちの救いのために人間としてこの世にお生まれになられた主イエス様の私たちに対する思いにも通じるものなのではないでしょうか。
天のエルサレム、それは、単なる都としての、場所や町であるということだけを言っているのではありません。そこに住む人、人、人の集まりこそ、この天の都エルサレムの示しているものであるとしたら、この世に捉えられている私たちを憂い、天の都エルサレムの一員である私たちの回帰、そのことを強く願っておられるイエス様の御心を思うのです。
そして、そう考えるときに、私たちの敵である悪魔を打ち滅ぼすことが幸いなことであり、私たちを捉えている悪の支配からの解放の喜びで満たして下さるのです。
イエス様は、いつでも私たちを覚えていて下さいます。そして、私たちが悪の支配から解放される事を、強く、強く望んでおられます。
イエス様の尊い十字架の代価の故に私たちを救い出して下さる主に感謝します。