本日は、全聖徒の日です。
全ての造られた者を覚え、主の救いの御業を感謝して記念する日であると言えるでしょう。
もちろん、全聖徒の中に、この私も含まれている事を思うとき、大きな感動とともに、喜び、平安、感謝が沸き起こって来ることを思います。
ヨナ書2章の御言葉は、私にとっても、たいへん、思い出深い、そして、今でも意味深い御言葉です。
ヨナ2:2 ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、
2:3 言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めるとわたしの声を聞いてくださった。
2:4 あなたは、わたしを深い海に投げ込まれた。潮の流れがわたしを巻き込み波また波がわたしの上を越えて行く。
2:5 わたしは思ったあなたの御前から追放されたのだと。生きて再び聖なる神殿を見ることがあろうかと。
2:6 大水がわたしを襲って喉に達する。深淵に呑み込まれ、水草が頭に絡みつく。
2:7 わたしは山々の基まで、地の底まで沈み地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よあなたは命を滅びの穴から引き上げてくださった。
2:8 息絶えようとするときわたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き聖なる神殿に達した。
2:9 偽りの神々に従う者たちが忠節を捨て去ろうとも
2:10 わたしは感謝の声をあげいけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。
誰にでも、一つや二つ、辛く悲しい経験をしたことがあるのではないでしょうか。そんなとき、誰もが、ごく普通に、このような祈りをしているのではないでしょうか。
絶望の淵に立たされ、もはや、助かる見込みのない状況において、頼るべきは、本当の神様しかいないのです。
私が、このヨナの祈りにおいて、感動を覚えるのは、彼が、まさに、絶望の最中にある時に「しかし、わが神、主よあなたは命を滅びの穴から引き上げてくださった。」と、救いの時が来る事を確信して、いえ、もう、既に救われてしまった後の感謝の言葉であるかのように祈っていることです。
このような信仰による祈りは、なかなか難しいもののように見えます。
でも、主なる神様は、真実な救い主であられるお方ですから、たとえ私たちが神様を完全に信用しきれなくても、神様の約束はいつでも真実であるということを思うなら、決して難しい祈りではないように思います。
少なくとも、そう信じて祈る者でありたいですね。