22章4~7節のところには、ヨシヤ王が、列王記下12章のヨアシュ王の時代にならい、主の宮に納められる献金を、神殿の修復のために用いるように命じたことが記されています。
あえて、この箇所に、このようなことを記しているということは、ヨアシュの時代と、ヨシヤの時代以外には、神殿の修復に関して、ほとんど手をつけず、放ったらかしにされていたであろうことが推測されます。荒れ放題になっていたかもしれません。
神様を礼拝する神聖な場所である神殿を大事にするという事は、すなわち、神を敬う心を大事にするということに他なりません。
今の時代で言えば、教会の会堂を掃除したり、整備したりすることと言えるかもしれませんが、聖書では、わたしたちこそが、神の住まわれる聖なる宮であると語られており、私たち自身の生き方そのものが正しく、聖なるものとして用いられていくようになることを望んでおられると言えるでしょう。
1コリント6:19 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。
主が住まわれる聖なる宮として整えられる事は、私たち自身の努力や行いによるのではありません。「代価を払って買い取られた」とあるように、イエス・キリストの尊い血潮によって清められた故に、聖なる神様のい住まわれる宮となりうるのです。
イエス様の贖いの御業によって、聖なる主の宮とせられ、イエス様御自身が私たちのうちに住んで下さる。何と幸いなことでしょうか。
イエス様と共に歩む人生を、主が備えて下さったことに感謝いたします。