ヨハネ14章21~27節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨハネ14章の箇所には、トマス、ピリポ、そして、イスカリオテでないユダの3人の弟子たちが、イエス様に立て続けに質問した事が記されています。
その中で、最後に質問をしたユダは、なぜ、イエス様は、もっと世間の目に触れられるような仕方で、ご自分のことを世に現されないのかと尋ねました。

ヨハネ14:22 イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。

この問いかけに対するイエス様のお答えは、非常に明快なもので、神を愛しようと思う者ならば、ごく自然に神様の御言葉に耳を傾けるようになるであろうという風にお答えになっておられます。

ヨハネ14:23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。

私は、このイエス様の御言葉を読んで、伝道することの基本的な事柄を示されているように思います。
というのは、私たちは、時々、誰か有名な人がクリスチャンになれば、その人の影響で、大勢の人がクリスチャンになるのではないだろうかと考えてしまいがちです。
特別伝道集会などに、有名な人を招いたり、著名なクリスチャンの証しなどが書かれた出版物などを配布したりすることは、決して無意味なことではないと思いますが、あまりにそれらに頼りすぎてしまうと、私たち自身の証しの機会がどんどん失われてしまうように思うのです。

イエス様は、何も、目立つ事や、特別な事を私たちに求めているわけではないと思います。むしろ、日常の生活の中で、イエス様に救われた者としての喜びに生きる中で、イエス様の救いの約束の言葉が伝えられていくのだろうと思うのです。

私たちの教会で、最近救われた方々は、ほとんどの方が家族や友人に誘われて、普段の日曜日の礼拝に出席するようになられた方々です。
そして、そのような方々は、聖書の御言葉を聞く事を純粋に喜んでおられるのです。

キリストの教会は、キリストの十字架の死による罪の赦しの約束と、キリストの復活による永遠の命の約束を語るところです。
もちろん、そのために、様々な活動をしますが、この神様の約束の言葉が語られることがおろそかになっていてはなりません。ましてや、誰か、特定の人間の業績などが紹介される場でもありません。

2コリント4:5 わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。

私には、何の取柄も賜物もない者かもしれない。でも、そんな者を、命がけで愛して下さったお方がおられる。ぜひ、そういうイエス様を紹介し続けていきたいものです。
そこに、本当の平安があるのですから。

ヨハネ14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。