異国の民の宗教的な影響は、もはや、止まるところを知らず、南ユダの国にまで及びはじめていました。
南ユダの王アハズは、アッシリヤの王ティグラト・ピレセルに会うために、ダマスコへ出向いた際、そこで見た荘厳な祭壇に感化を受け、エルサレムの神殿にまで、その様式を取り入れるまでに到ります。
列王記下16:14 主の御前にあった青銅の祭壇は、神殿の前から、すなわち新しい祭壇と主の神殿の間から移して、新しい祭壇の北側に据えた。
16:15 アハズ王は祭司ウリヤにこう命じた。「この大きな祭壇の上で、朝の焼き尽くす献げ物と夕べの穀物の献げ物、王の焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物、すべての国の民の焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物を燃やして煙にし、ぶどう酒の献げ物を注げ。また焼き尽くす献げ物の血とほかの献げ物の血をすべてこの祭壇に振りかけよ。あの青銅の祭壇はわたしが伺いを立てるのに用いる。」
16:16 祭司ウリヤはすべてアハズ王が命じたとおりに行った。
16:17 アハズ王は台車の鏡板を切り離し、台車の上から洗盤を取り外し、また「海」をその支えになっていた青銅の牛の上から降ろし、敷石の上に置いた。
16:18 彼はまたアッシリアの王のために、神殿の中に建てられている安息日用の廊と外側にある王の入り口を主の神殿から取り除いた。
アハズ王は、ダマスコの祭壇の様式を取り入れる際、今まであった青銅の祭壇を取り壊すのではなく、場所を移して、別の目的のために用いようとします。
また、「海」と呼ばれていた洗盤も地面に下ろしてしまい、もはや、その目的は失われてしまいました。
このことは、最後の砦であったエルサレムの神殿までもが偶像礼拝の影響によって犯されてしまった決定的な出来事であったとも言えるでしょう。
しかし、彼らにとっては、神殿で捧げるいけにえなどは今まで通りの類のものであったため、さほど大きな問題とは考えていなかったかもしれません。たかだか、祭壇の器具などが変えられただけで、行っている礼拝には変わりは無い。そんな思いであったかもしれません。
しかし、そもそも、主の神殿に据えられた祭壇や器具類などは、主がお命じになられた通りに造られ、時を超えて、守り継がれてきたものであり、これをおろそかにすることは、まさに、主に対する反逆に他ならないのです。
サウル王の時代、新しく、イスラエルの王として立てられようとしていたサウルに対して、サムエルは、
サムエル記上15:22 サムエルは言った。「主が喜ばれるのは焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。
15:23 反逆は占いの罪に高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは王位から退けられる。」
と語りかけました。
もちろん、アハズに比べれば、サウルの方が、まだましだったかもしれませんが、本質は同じではないでしょうか。
神の御言葉に聞き従う事。今一度、誰のための、何のための礼拝なのか考えながら、御言葉に聞き従う生き方を過ごしたいものです。