列王記下5章1~14節、詩篇139篇1~18節、ヤコブ4章8~17節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王記下 5:1 アラムの王の軍司令官ナアマンは、主君に重んじられ、気に入られていた。主がかつて彼を用いてアラムに勝利を与えられたからである。この人は勇士であったが、重い皮膚病を患っていた。
5:2 アラム人がかつて部隊を編成して出動したとき、彼らはイスラエルの地から一人の少女を捕虜として連れて来て、ナアマンの妻の召し使いにしていた。
5:3 少女は女主人に言った。「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」
5:4 ナアマンが主君のもとに行き、「イスラエルの地から来た娘がこのようなことを言っています」と伝えると、
5:5 アラムの王は言った。「行くがよい。わたしもイスラエルの王に手紙を送ろう。」こうしてナアマンは銀十キカル、金六千シェケル、着替えの服十着を携えて出かけた。
5:6 彼はイスラエルの王に手紙を持って行った。そこには、こうしたためられていた。「今、この手紙をお届けするとともに、家臣ナアマンを送り、あなたに託します。彼の重い皮膚病をいやしてくださいますように。」
5:7 イスラエルの王はこの手紙を読むと、衣を裂いて言った。「わたしが人を殺したり生かしたりする神だとでも言うのか。この人は皮膚病の男を送りつけていやせと言う。よく考えてみよ。彼はわたしに言いがかりをつけようとしているのだ。」
5:8 神の人エリシャはイスラエルの王が衣を裂いたことを聞き、王のもとに人を遣わして言った。「なぜあなたは衣を裂いたりしたのですか。その男をわたしのところによこしてください。彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」
5:9 ナアマンは数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャの家に来て、その入り口に立った。
5:10 エリシャは使いの者をやってこう言わせた。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」
5:11 ナアマンは怒ってそこを去り、こう言った。「彼が自ら出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。
5:12 イスラエルのどの流れの水よりもダマスコの川アバナやパルパルの方が良いではないか。これらの川で洗って清くなれないというのか。」彼は身を翻して、憤慨しながら去って行った。
5:13 しかし、彼の家来たちが近づいて来ていさめた。「わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。」
5:14 ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。

詩篇 139:1  指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。 主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。
139:2 座るのも立つのも知り 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
139:3 歩くのも伏すのも見分け わたしの道にことごとく通じておられる。
139:4 わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに 主よ、あなたはすべてを知っておられる。
139:5 前からも後ろからもわたしを囲み 御手をわたしの上に置いていてくださる。
139:6 その驚くべき知識はわたしを超え あまりにも高くて到達できない。
139:7 どこに行けば あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
139:8 天に登ろうとも、あなたはそこにいまし 陰府に身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます。
139:9 曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
139:10 あなたはそこにもいまし 御手をもってわたしを導き 右の御手をもってわたしをとらえてくださる。
139:11 わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」
139:12 闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち 闇も、光も、変わるところがない。
139:13 あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
139:14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって 驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか わたしの魂はよく知っている。
139:15 秘められたところでわたしは造られ 深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
139:16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。
139:17 あなたの御計らいは わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。
139:18 数えようとしても、砂の粒より多く その果てを極めたと思っても わたしはなお、あなたの中にいる。

ヤコブ 4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。
4:9 悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。
4:10 主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます。
4:11 兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。
4:12 律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。
4:13 よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、
4:14 あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。
4:15 むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。
4:16 ところが、実際は、誇り高ぶっています。そのような誇りはすべて、悪いことです。
4:17 人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。




人間とは何者であろうか。
いかにも全てを悟り、自分の考えていることが正しいと思いあがり、他者に対して平気で裁きの言葉や態度をぶつけていく。
それがどれほど愚かな行為であるかということに全く気付いていない。
それもまた愚かなことであろう。
先日ある方が、人を裁いている人達を見て、それを赦せない自分が赦せないと言って悩みを打ち明けて下さった。
とても正直で誠実な方であると思う。
もともと我々人間は、愛の心など持ちえない、愚かな罪人に過ぎない。
それにもかかわらず、なぜ自分を偽り、愛の人、義の人のように思ってしまうのだろう。
やはりそこには、人間の基本的な罪の性質である自己中心や自己保身が働いているからなのだろう。
どこまでも愚かな存在である。
しかし、神はこんな私たちを、いつでも一瞬に滅ぼすことが出来るし、本来そうすべきところを、愛と憐れみの心で、これを赦し、救おうとされ、そのためになんと御子イエス様の命を生贄の犠牲としてお捧げ下さったのである。
なんと畏れ多く、もったいないことであろう。
しかし、神はそれほどまでして、私たちに生きていて欲しい、救いの喜びに生きて欲しいと願っておられるのである。
私たちは今日も生かされている。
喜び、感謝と共に、主が私に何を望まれているのか、どう生きて欲しいと思われているのかを求めながら、今日一日を生きよう。