列王記下12章1~17節、詩篇139篇1~18節、ヤコブ5章1~6節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王記下 12:1 ヨアシュは王位についたとき、七歳であった。
12:2 イエフの治世第七年にヨアシュは王となり、四十年間エルサレムで王位にあった。その母は名をツィブヤといい、ベエル・シェバの出身であった。
12:3 ヨアシュは、祭司ヨヤダの教えを受けて、その生涯を通じて主の目にかなう正しいことを行った。
12:4 ただ聖なる高台は取り除かれず、民は依然として聖なる高台でいけにえを屠り、香をたいた。
12:5 ヨアシュは祭司たちに言った。「主の神殿にもたらされるすべての聖なる献金、すなわち、各人がその割り当てに従って課された献金、主の神殿に自発的にもたらされるすべての献金は、
12:6 祭司たちがおのおの自分の担当の者から受け取り、神殿のどこかに破損が生じたときには、それを用いてその破損を修理しなければならない。」
12:7 だが、ヨアシュ王の治世第二十三年になっても、なお祭司たちは神殿の破損を修理しなかったので、
12:8 ヨアシュ王は祭司ヨヤダおよびほかの祭司たちを呼んで言った。「なぜ神殿の破損を修理しないのか。以後あなたたちはあなたたちの担当の者から献金を受け取ってはならない。それは神殿の破損を修理するために使われるべきものだからだ。」
12:9 祭司たちは民から献金を受け取らず、従って神殿の破損を修理する責任を負わないことに同意した。
12:10 祭司ヨヤダは一つの箱を持って来て、その蓋に穴をあけ、主の神殿の入り口の右側、祭壇の傍らにそれを置いた。入り口を守る祭司たちは、主の神殿にもたらされるすべての献金をそこに入れた。
12:11 箱の中に献金がたまったのが認められると、王の書記官と大祭司が上って来て、主の神殿にあるその献金を袋に入れて数えた。
12:12 こうして確かめられた献金は、主の神殿の役人である工事担当者に渡され、主の神殿で働く大工、建築労働者、
12:13 石工、採石労働者たちに支払われ、また神殿の破損を修理するための木材や切り石の買い入れに用いられた。すなわち、それは神殿を修理するためのあらゆる出費に当てられた。
12:14 しかし、神殿用の銀の皿、芯切り鋏、鉢、ラッパなど、金の器と銀の器はいずれも、この神殿への献金では製作されなかった。
12:15 その献金は工事担当者に渡され、主の神殿の修理のために用いられた。
12:16 工事担当者に与えるように献金を渡された人々は忠実に仕事をする者であったので、会計監査を受けることはなかった。
12:17 賠償の献げ物のための献金、贖罪の献げ物のための献金は、主の神殿に納入されず、祭司たちのものとなった。

詩篇 139:1  指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。 主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。
139:2 座るのも立つのも知り 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
139:3 歩くのも伏すのも見分け わたしの道にことごとく通じておられる。
139:4 わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに 主よ、あなたはすべてを知っておられる。
139:5 前からも後ろからもわたしを囲み 御手をわたしの上に置いていてくださる。
139:6 その驚くべき知識はわたしを超え あまりにも高くて到達できない。
139:7 どこに行けば あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
139:8 天に登ろうとも、あなたはそこにいまし 陰府に身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます。
139:9 曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
139:10 あなたはそこにもいまし 御手をもってわたしを導き 右の御手をもってわたしをとらえてくださる。
139:11 わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」
139:12 闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち 闇も、光も、変わるところがない。
139:13 あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
139:14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって 驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか わたしの魂はよく知っている。
139:15 秘められたところでわたしは造られ 深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
139:16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。
139:17 あなたの御計らいは わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。
139:18 数えようとしても、砂の粒より多く その果てを極めたと思っても わたしはなお、あなたの中にいる。

ヤコブ 5:1 富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。
5:2 あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、
5:3 金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。
5:4 御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。
5:5 あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、
5:6 正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。




南ユダ王国の王となったヨアシュは、当初、神殿の整備のために捧げられる献金を祭司たちに管理させようとしていた。
しかし、いっこうに神殿の整備が行われる様子はなく、神殿整備のために捧げられた献金は、祭司たちの懐に入ってしまっていたようである。
これではまずいと考えたヨアシュ王は、神殿整備のために捧げられる献金は、祭司を経由せず、献金箱に入れてもらうようにし、それらの献金は、神殿建築に携わる人たちの賃金や資材にあてられることとなり、神殿の整備が進んで行くこととなった。
祭司たちも、不正をしようとは考えていなかったのかもしれないが、もともとそういう仕事をするためにいる人たちではないし、神殿整備のために捧げられるお金の管理をするのには無理があったとも言えるだろう。
現代の教会でも、教会の活動や会堂建築のために捧げられるお金などの管理は、牧師や伝道者らに託すことをせず、執事などの信徒に委ねられることが多い。
使徒言行録の6章には、信徒の数が増えたことにより、使徒たちが御言葉と祈りに専念できるように執事がたてられたこと記されているが、役割を分担していくことは好ましいことであろう。
特に、み言葉と祈りの奉仕に携わる人たちは、あまりお金の管理などに関わらいほうが無難である。
もちろん、お金の管理については、牧師や伝道者であるか信徒であるかに関わらず、高い倫理観や適切な処理能力が求められることは変わりがないし、十分気を付けなければならない。

マタイ6:24 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

お金は様々なことを行っていく上で、とても便利な道具である。
しかし、それがあるからといって必ずしも幸せになるとは限らないし、下手をすれば、人の心を神から引き離し、罪へと誘惑する原因となりかねない。
ましてや、その人を救ってもくれない。
私たちを罪から解放し、救って下さることが出来るのは、御子イエス様の命を捨ててまで私たちを救って下さる主なる神さまだけである。
願わくは、そのことを伝えるためにお金も適切に用いて行けるように願う。