レビ記23章1~6節、詩篇81篇2~11節、ローマ8章31~39節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

レビ記 23:1 主はモーセに仰せになった。
23:2 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちがイスラエルの人々を聖なる集会に召集すべき主の祝日は、次のとおりである。
23:3 六日の間仕事をする。七日目は最も厳かな安息日であり、聖なる集会の日である。あなたたちはいかなる仕事もしてはならない。どこに住もうとも、これは主のための安息日である。
23:4 以下は主の祝日であり、その日あなたたちはイスラエルの人々を聖なる集会に召集しなければならない。
23:5 第一の月の十四日の夕暮れが主の過越である。
23:6 同じ月の十五日は主の除酵祭である。あなたたちは七日の間、酵母を入れないパンを食べる。

詩篇 81:2 わたしたちの力の神に向かって喜び歌い ヤコブの神に向かって喜びの叫びをあげよ。
81:3 ほめ歌を高くうたい、太鼓を打ち鳴らし 琴と竪琴を美しく奏でよ。
81:4 角笛を吹き鳴らせ 新月、満月、わたしたちの祭りの日に。
81:5 これはイスラエルに対する掟 ヤコブの神が命じられたこと。
81:6 エジプトの地を攻められたとき ヨセフに授けられた定め。わたしは思いがけない言葉を聞くことになった。
81:7 「わたしが、彼の肩の重荷を除き 籠を手から取り去る。
81:8 わたしは苦難の中から呼び求めるあなたを救い 雷鳴に隠れてあなたに答え メリバの水のほとりであなたを試した。
81:9 わたしの民よ、聞け、あなたに定めを授ける。イスラエルよ、わたしに聞き従え。
81:10 あなたの中に異国の神があってはならない。あなたは異教の神にひれ伏してはならない。
81:11 わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。

ローマ 8:31 では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。
8:32 わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。
8:33 だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。
8:34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
8:36 「わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
8:37 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。
8:38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
8:39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。


主なる神様がイスラエルの民をエジプトの奴隷の民から救い出された時、そのことを子々孫々にわたって忘れることのないように、過ぎ越しの祭りを定め、救いの出来事を記念するよう命じられている。
しかし主なる神様は、それよりも先に、この世界を創造された時、六日で創造の御業を完成され、七日目を安息の日として定められ、一週間に一度という安息の日を守るように勧められている。
それは、ただ単に仕事をやめて休むというだけではなく、人が神の恵みによって生きているのだということを思い起こし、覚える日であり、自分の業に頼るのではなく神の救いの御業に頼るからこそ、そこにまことの安息の意味があると言えるのである。

ヘブル4:1 だから、神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。
4:2 というのは、わたしたちにも彼ら同様に福音が告げ知らされているからです。けれども、彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結び付かなかったためです。
4:3 信じたわたしたちは、この安息にあずかることができるのです。「わたしは怒って誓ったように、『彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない』」と言われたとおりです。もっとも、神の業は天地創造の時以来、既に出来上がっていたのです。
4:4 なぜなら、ある個所で七日目のことについて、「神は七日目にすべての業を終えて休まれた」と言われているからです。
4:5 そして、この個所でも改めて、「彼らを決してわたしの安息にあずからせはしない」と言われています。
4:6 そこで、この安息にあずかるはずの人々がまだ残っていることになり、また、先に福音を告げ知らされた人々が、不従順のためにあずからなかったのですから、
4:7 再び、神はある日を「今日」と決めて、かなりの時がたった後、既に引用したとおり、「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、心をかたくなにしてはならない」とダビデを通して語られたのです。
4:8 もしヨシュアが彼らに安息を与えたとするのなら、神は後になって他の日について語られることはなかったでしょう。
4:9 それで、安息日の休みが神の民に残されているのです。
4:10 なぜなら、神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだからです。


安息を得るとは、御子イエス様の十字架と復活の御業によって成し遂げられた神の救いの御業にすっかり頼ることであり、それは福音の言葉を聞くことによる。
そのための安息日を大切に守りたいものである。