出エジプト記 31:12 主はモーセに言われた。
31:13 あなたは、イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちは、わたしの安息日を守らねばならない。それは、代々にわたってわたしとあなたたちとの間のしるしであり、わたしがあなたたちを聖別する主であることを知るためのものである。
31:14 安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる。
31:15 六日の間は仕事をすることができるが、七日目は、主の聖なる、最も厳かな安息日である。だれでも安息日に仕事をする者は必ず死刑に処せられる。
31:16 イスラエルの人々は安息日を守り、それを代々にわたって永遠の契約としなさい。
31:17 これは、永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。主は六日の間に天地を創造し、七日目に御業をやめて憩われたからである。
31:18 主はシナイ山でモーセと語り終えられたとき、二枚の掟の板、すなわち、神の指で記された石の板をモーセにお授けになった。
31:13 あなたは、イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちは、わたしの安息日を守らねばならない。それは、代々にわたってわたしとあなたたちとの間のしるしであり、わたしがあなたたちを聖別する主であることを知るためのものである。
31:14 安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる。
31:15 六日の間は仕事をすることができるが、七日目は、主の聖なる、最も厳かな安息日である。だれでも安息日に仕事をする者は必ず死刑に処せられる。
31:16 イスラエルの人々は安息日を守り、それを代々にわたって永遠の契約としなさい。
31:17 これは、永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。主は六日の間に天地を創造し、七日目に御業をやめて憩われたからである。
31:18 主はシナイ山でモーセと語り終えられたとき、二枚の掟の板、すなわち、神の指で記された石の板をモーセにお授けになった。
詩篇 81:2 わたしたちの力の神に向かって喜び歌い ヤコブの神に向かって喜びの叫びをあげよ。
81:3 ほめ歌を高くうたい、太鼓を打ち鳴らし 琴と竪琴を美しく奏でよ。
81:4 角笛を吹き鳴らせ 新月、満月、わたしたちの祭りの日に。
81:5 これはイスラエルに対する掟 ヤコブの神が命じられたこと。
81:6 エジプトの地を攻められたとき ヨセフに授けられた定め。わたしは思いがけない言葉を聞くことになった。
81:7 「わたしが、彼の肩の重荷を除き 籠を手から取り去る。
81:8 わたしは苦難の中から呼び求めるあなたを救い 雷鳴に隠れてあなたに答え メリバの水のほとりであなたを試した。
81:9 わたしの民よ、聞け、あなたに定めを授ける。イスラエルよ、わたしに聞き従え。
81:10 あなたの中に異国の神があってはならない。あなたは異教の神にひれ伏してはならない。
81:11 わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。
81:3 ほめ歌を高くうたい、太鼓を打ち鳴らし 琴と竪琴を美しく奏でよ。
81:4 角笛を吹き鳴らせ 新月、満月、わたしたちの祭りの日に。
81:5 これはイスラエルに対する掟 ヤコブの神が命じられたこと。
81:6 エジプトの地を攻められたとき ヨセフに授けられた定め。わたしは思いがけない言葉を聞くことになった。
81:7 「わたしが、彼の肩の重荷を除き 籠を手から取り去る。
81:8 わたしは苦難の中から呼び求めるあなたを救い 雷鳴に隠れてあなたに答え メリバの水のほとりであなたを試した。
81:9 わたしの民よ、聞け、あなたに定めを授ける。イスラエルよ、わたしに聞き従え。
81:10 あなたの中に異国の神があってはならない。あなたは異教の神にひれ伏してはならない。
81:11 わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。
使徒 25:1 フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。
25:2 -3祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。
25:4 ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、
25:5 「だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか」と言った。
25:6 フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。
25:7 パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった。
25:8 パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と弁明した。
25:9 しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」
25:10 パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。
25:11 もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」
25:12 そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答えた。
25:2 -3祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。
25:4 ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、
25:5 「だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか」と言った。
25:6 フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。
25:7 パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった。
25:8 パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と弁明した。
25:9 しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」
25:10 パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。
25:11 もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」
25:12 そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答えた。
出エジプト記の箇所では、安息日を破り、主の聖なる安息の日に仕事をする者は死刑に処せられると、かなり厳しい言葉が述べられている。
それほどに安息日を守り、神の賜る命と救いの約束を頂くことは大切な事であるということであろう。
死刑に処せられるとは少々大げさなようにも聞こえるが、神の賜る命と救いの約束をおろそかにするのなら、自ら死と滅びを選んでいるようなものと言えるかもしれないし、あながち言い過ぎているというわけでもないのかもしれない。
昨日、ある精神科医の書かれた文章に目が留まり、面白いことが書かれていたので、その一文を引用してみる。
「何が正義で何が悪かなど、客観的な基準に基づいて規定できることは、実は世の中にはほとんどありません。お金だけは、数字で損をしたか得をしたかがわかると思うかもしれませんが、金銭的に損をしたとしても、自分の気分がよければそれでいいはずです。」
高齢の人が高価なものを買ったりして贅沢をしているとして、それが他者に対してどんな悪いことをしているというのか、本人が喜んでいるのならそれはそれでいいことではないか、といった内容である。
贅沢をすることが好ましいことかどうかは置いておいて、それを周囲の人間がアレは良いとか悪いとか言う資格はないことには違いない。
私たちはあまりに周囲の目を気にし過ぎるし、社会で生きていくために、様々な事を我慢したり、自分の思いとは違う事をしてしまったりすることがあるが、人生、それほど長くはないのかもしれないし、なにより一度きりである。
今という時は、二度とやって来ない。
ならば、あとで後悔するような生き方を選択しないで、堂々と、今の自分が良いと思う事をすれば良いし、全ての責任は自分が負うのだから、他人の目など気にする必要もないだろう。
というわけで、私は生けるまことの神を信じて生きる人生を選びたい。
そこには命と救いがあるのだから。