エレミヤ書30章1~11節、詩篇150篇、1ヨハネ3章10~16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ書 30:1 主からエレミヤに臨んだ言葉。
30:2 「イスラエルの神、主はこう言われる。わたしがあなたに語った言葉をひとつ残らず巻物に書き記しなさい。
30:3 見よ、わたしの民、イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る、と主は言われる。主は言われる。わたしは、彼らを先祖に与えた国土に連れ戻し、これを所有させる。」
30:4 次の言葉は、イスラエルとユダについて、主が語られたものである。
30:5 主はこう言われる。戦慄の声を我々は聞いた。恐怖のみ。平和はない。
30:6 尋ねて、見よ 男が子を産むことは決してない。どうして、わたしは見るのか 男が皆、子を産む女のように 腰に手を当てているのを。だれの顔も土色に変わっている。
30:7 災いだ、その日は大いなる日 このような日はほかにはない。ヤコブの苦しみの時だ しかし、ヤコブはここから救い出される。
30:8 その日にはこうなる、と万軍の主は言われる。お前の首から軛を砕き、縄目を解く。再び敵がヤコブを奴隷にすることはない。
30:9 彼らは、神である主と、わたしが立てる王ダビデとに仕えるようになる。
30:10 わたしの僕ヤコブよ、恐れるなと 主は言われる。イスラエルよ、おののくな。見よ、わたしはお前を遠い地から お前の子孫を捕囚の地から救い出す。ヤコブは帰って来て、安らかに住む。彼らを脅かす者はいない。
30:11 わたしがお前と共にいて救うと 主は言われる。お前が散らされていた国々を わたしは滅ぼし尽くす。しかし、お前を滅ぼし尽くすことはない。わたしはお前を正しく懲らしめる。罰せずにおくことは決してない。

詩篇 150:1 ハレルヤ。聖所で神を賛美せよ。大空の砦で神を賛美せよ。
150:2 力強い御業のゆえに神を賛美せよ。大きな御力のゆえに神を賛美せよ。
150:3 角笛を吹いて神を賛美せよ。琴と竪琴を奏でて神を賛美せよ。
150:4 太鼓に合わせて踊りながら神を賛美せよ。弦をかき鳴らし笛を吹いて神を賛美せよ。
150:5 シンバルを鳴らし神を賛美せよ。シンバルを響かせて神を賛美せよ。
150:6 息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。

1ヨハネ 3:10 神の子たちと悪魔の子たちの区別は明らかです。正しい生活をしない者は皆、神に属していません。自分の兄弟を愛さない者も同様です。
3:11 なぜなら、互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです。
3:12 カインのようになってはなりません。彼は悪い者に属して、兄弟を殺しました。なぜ殺したのか。自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです。
3:13 だから兄弟たち、世があなたがたを憎んでも、驚くことはありません。
3:14 わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。
3:15 兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っているとおり、すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません。
3:16 イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。


愛するということは、言うほど簡単なことではないし、多くの場合、多少の犠牲を伴うものである。
というより、犠牲を支払うことに愛の本質があると言えるのかもしれない。

ヨハネ15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

イエス様は、私たちのために自らの命を捨てて救おうとされた。
しかも、罪人である私たちを救うために、である。
どれほどの大きな犠牲を支払って下さったことだろう。
しかし、そこにこそ、イエス様の大きな大きな愛が示されている。
イエス様の流された血により、もはや永遠に滅びることはないのだ。
何をしていなくても、それだけで幸いな人生と言えるのではないだろうか。
しかしせっかく与えられた幸いな人生だから、イエス様がお手本を示して下さっているように、私たちもまた、他者を愛せる者として生きて行きたいし、私たちはそのために生かされているのだろう。

今日私は、誰かのために、どんな犠牲を支払えるだろうか。

とりあえず今日は月に一度の献血の日。
私にできる小さな社会貢献だが、私の支払う小さな犠牲が、ほんの少しでもいいから誰かの人生の手助けができれば幸いである。