出エジプト記30章1~10節、詩篇51篇3~14節、ヘブル4章14節~5章4節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト記 30:1 アカシヤ材で香をたく祭壇を造りなさい。
30:2 寸法は縦一アンマ、横一アンマの正方形に、高さ二アンマとする。そして、四隅に角を祭壇から生えるように作る。
30:3 祭壇の上の面と四つの側面と角を純金で覆い、側面に金の飾り縁を作る。
30:4 二個の金環を作り、それを金の飾り縁の下の両側に相対するように取り付け、担ぐための棒を差し入れる環とする。
30:5 この棒もアカシヤ材で作り、金で覆う。
30:6 それを掟の箱を隔てる垂れ幕の手前に置く。この掟の箱の上の贖いの座の前でわたしはあなたと会う。
30:7 アロンはその祭壇で香草の香をたく。すなわち、毎朝ともし火を整えるとき、
30:8 また夕暮れに、ともし火をともすときに、香をたき、代々にわたって主の御前に香りの献げ物を絶やさぬようにする。
30:9 あなたたちはその上で規定に反した香や焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物などをささげてはならない。
30:10 アロンは年に一度、この香をたく祭壇の四隅の角に贖罪の献げ物の血を塗って、罪の贖いの儀式を行う。代々にわたって、年に一度、その所で罪の贖いの儀式を行う。この祭壇は主にとって神聖なものである。

詩篇 51:3 神よ、わたしを憐れんでください 御慈しみをもって。深い御憐れみをもって 背きの罪をぬぐってください。
51:4 わたしの咎をことごとく洗い 罪から清めてください。
51:5 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
51:6 あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し 御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく あなたの裁きに誤りはありません。
51:7 わたしは咎のうちに産み落とされ 母がわたしを身ごもったときも わたしは罪のうちにあったのです。
51:8 あなたは秘儀ではなくまことを望み 秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
51:9 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください わたしが清くなるように。わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように。
51:10 喜び祝う声を聞かせてください あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
51:11 わたしの罪に御顔を向けず 咎をことごとくぬぐってください。
51:12 神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。
51:13 御前からわたしを退けず あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
51:14 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ 自由の霊によって支えてください。

ヘブル 4:14 さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。
4:15 この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
4:16 だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
5:1 大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。
5:2 大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。
5:3 また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。
5:4 また、この光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです。


イエス様は、御自分の命を生贄として、私たち罪人のためにとりなしをして下さった。
それは、何度も何度も償いをしなければならないものとは違い、神の御子イエス様の命だからこそ、一度で完全なものとして、永遠の贖いを成し遂げられたと言えるのである。
それゆえ、もはや私たちが自分の罪の償いのために何かの償いをしなければならないことはなく、むしろ、その幸いな救いの約束を信仰を持って受け入れるだけでよいのだ。
私たちが祈り、礼拝するのは、そのためであり、神の恵みにあずかる行為であって、しなければならない犠牲や業ではない。
恵みにあずかることなのだから、一日に何度でも祈って良いし、毎日礼拝があって良い。
ただ、神の御前に静まるだけでずっと一日過ごすわけにはいかないから、仕事も生活も怠ることはできないけれど、心で常に神の恵みを意識するだけでも随分と生き方は変わってくるのではないだろうか。
座って、目を閉じて、手を組んで、神妙に祈るだけが祈りでもない。
歩いていても、働いていても「主よ」と心の中で祈ることはできる。
仕事の最中でも、神を畏れつつ事に取り組むこともできるだろう。
もちろん、安息日を守り、神を礼拝する(神の恵みにあずかる)ことに集中する日を整えることも大切なことではあるが、日々の暮らしの中にあっても、神と共に歩む生涯を歩んでいけたらと思う。
「こんなことのために祈ってもいいのかな」と思うようなことでも、まずは祈って始めてみよう。