ハバクク書3章2~13節、詩篇51篇3~14節、ヨハネ12章1~11節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ハバクク書 3:2 主よ、あなたの名声をわたしは聞きました。主よ、わたしはあなたの御業に畏れを抱きます。数年のうちにも、それを生き返らせ 数年のうちにも、それを示してください。怒りのうちにも、憐れみを忘れないでください。
3:3 神はテマンから 聖なる方はパランの山から来られる。その威厳は天を覆い 威光は地に満ちる。
3:4 威光の輝きは日の光のようであり そのきらめきは御手から射し出でる。御力はその中に隠されている。
3:5 疫病は御前に行き 熱病は御足に従う。
3:6 主は立って、大地を測り 見渡して、国々を駆り立てられる。とこしえの山々は砕かれ 永遠の丘は沈む。しかし、主の道は永遠に変わらない。
3:7 わたしは見た クシャンの幕屋が災いに見舞われ ミディアンの地の天幕が揺れ動くのを。
3:8 主よ、あなたが馬に乗り 勝利の戦車を駆って来られるのは 川に向かって怒りを燃やされるためか。怒りを川に向け 憤りを海に向けられるためか。
3:9 あなたは弓の覆いを取り払い 言葉の矢で誓いを果たされる。あなたは奔流を起こして地をえぐられる。
3:10 山々はあなたを見て震え 水は怒濤のように流れ 淵は叫び、その手を高く上げる。
3:11 あなたの矢の光が飛び 槍のきらめく輝きが走るとき 日と月はその高殿にとどまる。
3:12 あなたは、憤りをもって大地を歩み 怒りをもって国々を踏みつけられる。
3:13 あなたは御自分の民を救い 油注がれた者を救うために出て行かれた。あなたは神に逆らう者の家の屋根を砕き 基から頂に至るまでむき出しにされた。

詩篇 51:3 神よ、わたしを憐れんでください 御慈しみをもって。深い御憐れみをもって 背きの罪をぬぐってください。
51:4 わたしの咎をことごとく洗い 罪から清めてください。
51:5 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
51:6 あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し 御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく あなたの裁きに誤りはありません。
51:7 わたしは咎のうちに産み落とされ 母がわたしを身ごもったときも わたしは罪のうちにあったのです。
51:8 あなたは秘儀ではなくまことを望み 秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
51:9 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください わたしが清くなるように。わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように。
51:10 喜び祝う声を聞かせてください あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
51:11 わたしの罪に御顔を向けず 咎をことごとくぬぐってください。
51:12 神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。
51:13 御前からわたしを退けず あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
51:14 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ 自由の霊によって支えてください。

ヨハネ 12:1 過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。
12:2 イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。
12:3 そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
12:4 弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。
12:5 「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
12:6 彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。
12:7 イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。
12:8 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
12:9 イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。
12:10 祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。
12:11 多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、イエスを信じるようになったからである。

イスカリオテのユダは、イエス様の足に香油をぬるマリアの姿をみて「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」と言い、彼女の行動を批判していた。
こうしたことは、ユダに限った話ではなく、誰もが普通にやってしまうことであろう。
人は自分以外の人間をいとも簡単に裁く。
自分と考え方ややり方が違うだけで、何もかも間違っているかのように考え、時には攻撃もする。
しかし、何一つ間違っていない完全な人間など一人もいないし、他者を裁いている時点ですでに人として間違っているのだろう。
人の世から全ての批判や攻撃が無くなれば良いと思うが、なかなかそうはいかない。
人間はみな、罪人だから。
聖書には、そんな罪人を救うために御子イエス様が十字架で死なれたことが語られている。
しかし、それは、罪人が正しく裁かれた姿でもある。
イエス様が、私の代わりに裁かれて下さった、それが十字架の出来事である。
正しい裁きは、神だけが、イエス様の十字架を通して行われるもの。
自分とは違う考え方ややり方をしている人を見たなら、安易に批判するのではなく、まずはイエス様に祈ろう。
どうしても相いれないようなら、その人と離れてもいい。
批判するよりもっと他にやるべきことはたくさんあるのだから。