列王記下8章1~6節、詩篇102篇13~29節、使徒15章36~41節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王記下 8:1 エリシャは、かつてその子供を生き返らせてやったことのある婦人に言った。「あなたは家族と共に立ち去り、住める所に移り住みなさい。主が飢饉を呼び起こし、それはこの地にも及んで七年も続くからだ。」
8:2 婦人は直ちに神の人の言葉どおりに行動し、家族と共に立ち去り、ペリシテ人の地に七年間住んだ。
8:3 七年たってから、その婦人はペリシテ人の地から帰り、王のもとに自分の家と畑の返還を求めて訴え出た。
8:4 そのとき、王は神の人の従者ゲハジに話しかけ、「エリシャの行った大いなる業をすべて語り聞かせてくれ」と言っていた。
8:5 神の人が死人を生き返らせたことをゲハジが王に語り聞かせていると、ちょうどそのとき、かつて子供を生き返らせてもらった婦人が、自分の家と畑のことで訴えに来たのであった。ゲハジは、「わたしの主君、王よ、これがその婦人です。またこれがその子で、エリシャはこの子を生き返らせたのです」と言った。
8:6 婦人は王の求めに応じてその事実を語った。そこで王は彼女のために、一人の宦官に次のように命じた。「この婦人の物をすべて返しなさい。またこの地を後にした日から今に至るまでの畑のすべての収穫も返しなさい。」

詩篇 102:13 主よ あなたはとこしえの王座についておられます。御名は代々にわたって唱えられます。
102:14 どうか、立ち上がって シオンを憐れんでください。恵みのとき、定められたときが来ました。
102:15 あなたの僕らは、シオンの石をどれほど望み 塵をすら、どれほど慕うことでしょう。
102:16 国々は主の御名を恐れ 地上の王は皆、その栄光におののくでしょう。
102:17 主はまことにシオンを再建し 栄光のうちに顕現されます。
102:18 主はすべてを喪失した者の祈りを顧み その祈りを侮られませんでした。
102:19 後の世代のために このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」
102:20 主はその聖所、高い天から見渡し 大空から地上に目を注ぎ
102:21 捕われ人の呻きに耳を傾け 死に定められていた人々を 解き放ってくださいました。
102:22 シオンで主の御名を唱え エルサレムで主を賛美するために
102:23 諸国の民はひとつに集められ 主に仕えるために すべての王国は集められます。
102:24 わたしの力が道半ばで衰え 生涯が短くされようとしたとき
102:25 わたしは言った。「わたしの神よ、生涯の半ばで わたしを取り去らないでください。あなたの歳月は代々に続くのです。
102:26 かつてあなたは大地の基を据え 御手をもって天を造られました。
102:27 それらが滅びることはあるでしょう。しかし、あなたは永らえられます。すべては衣のように朽ち果てます。着る物のようにあなたが取り替えられると すべては替えられてしまいます。
102:28 しかし、あなたが変わることはありません。あなたの歳月は終ることがありません。」
102:29 あなたの僕らの末は住むところを得 子孫は御前に固く立てられるでしょう。

使徒 15:36 数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」
15:37 バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。
15:38 しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。
15:39 そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、
15:40 一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。
15:41 そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。


人は月日の流れと共に歳を重ねていく。
当然、誰もが少しずつ老いていく。
若い頃は普通にできていたことも、だんだんできなくなるし、物忘れも多くなる。
だからだろうか、頑固になる人が多いように思う。
けれど、人が年老いていくことは避けられないし、老いとどう付き合っていくかということは、思いのほか重要なことであろう。
老いていく人たちへの配慮も必要かもしれないが、老いつつある自分自身に対しても、考え方や行動スタイルを変えて行かねばなるまい。
ある部分は捨ておいていかなければならない領域もあるし、寂しく感じられることもあるだろう。
けれど、それもまた生きるということ。
永遠に変わらないのは主なる神様だけで、あとの全ては時の流れと共に移り変わっていく。
昨日とは違う自分が、昨日も今日も永遠に変わらないお方と出会っていくのなら、その出会いもまた新鮮なものではないだろうか。

ヘブル13:8 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。

2コリント5:17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

日々の暮らしの中で、いつまでも変わらない救いの約束をもたらして下さるイエス様と新たな出会いを経験しながら、喜び、感謝しつつ、老いゆく人生を、新たな人生として歩ませていただきたいものである。