列王記下4章8~17,32~37節、詩篇102篇13~29節、使徒14章1~7節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王記下 4:8 ある日、エリシャはシュネムに行った。そこに一人の裕福な婦人がいて、彼を引き止め、食事を勧めた。以来彼はそこを通るたびに、立ち寄って食事をするようになった。
4:9 彼女は夫に言った。「いつもわたしたちのところにおいでになるあの方は、聖なる神の人であることが分かりました。
4:10 あの方のために階上に壁で囲った小さな部屋を造り、寝台と机と椅子と燭台を備えましょう。おいでのときはそこに入っていただけます。」
4:11 ある日、エリシャはそこに来て、その階上の部屋に入って横になり、
4:12 従者ゲハジに、「あのシュネムの婦人を呼びなさい」と命じた。ゲハジが呼ぶと、彼女は彼の前に来て立った。
4:13 エリシャはゲハジに言った。「彼女に伝えなさい。『あなたはわたしたちのためにこのように何事にも心を砕いてくれた。あなたのために何をしてあげればよいのだろうか。王か軍の司令官に話してほしいことが何かあるのか。』」彼女は、「わたしは同族の者に囲まれて何不足なく暮らしています」と答えた。
4:14 エリシャは、「彼女のために何をすればよいのだろうか」と言うので、ゲハジは、「彼女には子供がなく、夫は年を取っています」と答えた。
4:15 そこでエリシャは彼女を呼ぶように命じた。ゲハジが呼びに行ったので、彼女は来て入り口に立った。
4:16 エリシャは、「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱いている」と告げた。彼女は答えた。「いいえ、わたしの主人、神の人よ、はしためを欺かないでください」と答えた。
4:17 しかし、この婦人は身ごもり、エリシャが告げたとおり翌年の同じころ、男の子を産んだ。
4:32 エリシャが家に着いてみると、彼の寝台に子供は死んで横たわっていた。
4:33 彼は中に入って戸を閉じ、二人だけになって主に祈った。
4:34 そしてエリシャは寝台に上がって、子供の上に伏し、自分の口を子供の口に、目を子供の目に、手を子供の手に重ねてかがみ込むと、子供の体は暖かくなった。
4:35 彼は起き上がり、家の中をあちこち歩き回ってから、再び寝台に上がって子供の上にかがみ込むと、子供は七回くしゃみをして目を開いた。
4:36 エリシャはゲハジを呼び、「あのシュネムの婦人を呼びなさい」と言った。ゲハジに呼ばれて彼女がエリシャのもとに来ると、エリシャは、「あなたの子を受け取りなさい」と言った。
4:37 彼女は近づいてエリシャの足もとに身をかがめ、地にひれ伏し、自分の子供を受け取って出て行った。

詩篇 102:13 主よ あなたはとこしえの王座についておられます。御名は代々にわたって唱えられます。
102:14 どうか、立ち上がって シオンを憐れんでください。恵みのとき、定められたときが来ました。
102:15 あなたの僕らは、シオンの石をどれほど望み 塵をすら、どれほど慕うことでしょう。
102:16 国々は主の御名を恐れ 地上の王は皆、その栄光におののくでしょう。
102:17 主はまことにシオンを再建し 栄光のうちに顕現されます。
102:18 主はすべてを喪失した者の祈りを顧み その祈りを侮られませんでした。
102:19 後の世代のために このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」
102:20 主はその聖所、高い天から見渡し 大空から地上に目を注ぎ
102:21 捕われ人の呻きに耳を傾け 死に定められていた人々を 解き放ってくださいました。
102:22 シオンで主の御名を唱え エルサレムで主を賛美するために
102:23 諸国の民はひとつに集められ 主に仕えるために すべての王国は集められます。
102:24 わたしの力が道半ばで衰え 生涯が短くされようとしたとき
102:25 わたしは言った。「わたしの神よ、生涯の半ばで わたしを取り去らないでください。あなたの歳月は代々に続くのです。
102:26 かつてあなたは大地の基を据え 御手をもって天を造られました。
102:27 それらが滅びることはあるでしょう。しかし、あなたは永らえられます。すべては衣のように朽ち果てます。着る物のようにあなたが取り替えられると すべては替えられてしまいます。
102:28 しかし、あなたが変わることはありません。あなたの歳月は終ることがありません。」
102:29 あなたの僕らの末は住むところを得 子孫は御前に固く立てられるでしょう。

使徒 14:1 イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。
14:2 ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。
14:3 それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。
14:4 町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。
14:5 異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、
14:6 二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。
14:7 そして、そこでも福音を告げ知らせていた。



エリシャは、いつからか、シュエムに住む裕福な婦人のところに宿を取るようになっていた。
この婦人には子が無く、夫も歳をとっていたと記されており、もはや子供が与えられることなど望んではいなかったことであろう。
しかし、エリシャはお世話になっているお礼も兼ねて、彼女の望みをかなえてやろうとするのであるが、つつましいこの婦人は、エリシャに自分の望みを言うことはせず、エリシャはゲハジの意見を聞き、彼女に子供が与えられることを告げたのである。
この婦人は、子供が欲しいといった事は述べていないし、心の中でそれを願っていたかどうかは不明である。
けれど、その後の出来事を見ていくと、やはりできれば子供が欲しいと願っていたけれど、適えられない夢と半ばあきらめていたのであろう。
人間にはいろいろなタイプの人がいるが、願い事をどんどん口にする者もいれば、願っていてもそれを口にしない者もいる。
口にしなくても、願っているものを獲得しようと行動に出る人もいれば、口にしていてもそれを得ようといったそぶりを全く見せない人もいる。
いろいろである。
時々大成したスポーツ選手などが、子供たちに向けて、夢をあきらめないで努力することの大切さを説いていたりするニュースを見たりすることがあるが、それは成功したから言えるのであって、一般の人にもそれが当てはまるかと言えば、なかなかそうはいかない。
どこか挫折し、あきらめて違う道を求める人も大勢いるだろう。
挫折したことのない人というのは、きわめて珍しく、ほとんどの人が何等かの挫折を味わっていることであろう。
そんな時、別の道を模索しながら、あらたな人生を立て直していくことは、相当なエネルギーがいるし、前よりももっと強い意思が必要な時もある。
しかし、人間はそこまで強くはないし、流されるだけの人生を送ることもあるだろう。
これでいいのだろうかと自問しながらであるかもしれないが、実はそれでいいのだ。
流されるままの人生のように見えても、その道でしか見えない光景もある。
人は悲しいことや辛いことを経験する中で、本当の幸いとは何かということを考え始めるのかもしれない。
この世における一時的な成功も決して悪いことではないが、それは永遠には続かない。
しかし聖書には永遠に変わらない命の約束、救いの言葉が語られている。
挫折を味わい、生きる道を見失いそうになっている人に、どうか救い主イエス様の豊かな祝福と導きがありますように。