エレミヤ書38章1~13節、詩篇6篇、マタイ10章5~23節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ書 38:1 マタンの子シェファトヤ、パシュフルの子ゲダルヤ、シェレムヤの子ユカル、マルキヤの子パシュフルは、エレミヤがすべての民に次のように語っているのを聞いた。
38:2 「主はこう言われる。この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬ。しかし、出てカルデア軍に投降する者は生き残る。命だけは助かって生き残る。
38:3 主はこう言われる。この都は必ずバビロンの王の軍隊の手に落ち、占領される。」
38:4 役人たちは王に言った。「どうか、この男を死刑にしてください。あのようなことを言いふらして、この都に残った兵士と民衆の士気を挫いています。この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです。」
38:5 ゼデキヤ王は答えた。「あの男のことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから。」
38:6 そこで、役人たちはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱でつり降ろした。水溜めには水がなく泥がたまっていたので、エレミヤは泥の中に沈んだ。
38:7 宮廷にいたクシュ人の宦官エベド・メレクは、エレミヤが水溜めに投げ込まれたことを聞いた。そのとき、王はベニヤミン門の広場に座していた。
38:8 エベド・メレクは宮廷を出て王に訴えた。
38:9 「王様、この人々は、預言者エレミヤにありとあらゆるひどいことをしています。彼を水溜めに投げ込みました。エレミヤはそこで飢えて死んでしまいます。もう都にはパンがなくなりましたから。」
38:10 王はクシュ人エベド・メレクに、「ここから三十人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい」と命じた。
38:11 エベド・メレクはその人々を連れて宮廷に帰り、倉庫の下から古着やぼろ切れを取って来て、それを綱で水溜めの中のエレミヤにつり降ろした。
38:12 クシュ人エベド・メレクはエレミヤに言った。「古着とぼろ切れを脇の下にはさんで、綱にあてがいなさい。」エレミヤはそのとおりにした。
38:13 そこで、彼らはエレミヤを水溜めから綱で引き上げた。そして、エレミヤは監視の庭に留めて置かれた。

詩篇 6:1  指揮者によって。伴奏付き。第八調。賛歌。ダビデの詩。
6:2 主よ、怒ってわたしを責めないでください 憤って懲らしめないでください。
6:3 主よ、憐れんでください わたしは嘆き悲しんでいます。主よ、癒してください、わたしの骨は恐れ
6:4 わたしの魂は恐れおののいています。主よ、いつまでなのでしょう。
6:5 主よ、立ち帰り わたしの魂を助け出してください。あなたの慈しみにふさわしく わたしを救ってください。
6:6 死の国へ行けば、だれもあなたの名を唱えず 陰府に入れば だれもあなたに感謝をささげません。
6:7 わたしは嘆き疲れました。夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほどです。
6:8 苦悩にわたしの目は衰えて行き わたしを苦しめる者のゆえに 老いてしまいました。
6:9 悪を行う者よ、皆わたしを離れよ。主はわたしの泣く声を聞き
6:10 主はわたしの嘆きを聞き 主はわたしの祈りを受け入れてくださる。
6:11 敵は皆、恥に落とされて恐れおののき たちまち退いて、恥に落とされる。

マタイ 10:5 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。
10:6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。
10:7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
10:8 病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
10:9 帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。
10:10 旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。
10:11 町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。
10:12 その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。
10:13 家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。
10:14 あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。
10:15 はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」
10:16 「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
10:17 人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。
10:18 また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。
10:19 引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。
10:20 実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。
10:21 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。
10:22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。



イスラエルの民は、国家を統一するシンボルとしてのエルサレムの神殿を心の拠り所としていたようである。
エルサレム神殿のあるダビデの町は、天然の要塞となっており、確かにそこにいれば多少の安心感が得られるのかもしれないが、実際には、度重なる戦乱に巻き込まれて、何度も町ごと破壊されてきた歴史を持っている。
エルサレムも、そこに住む人が思うほど強固な待ちではないのである。
エルサレムに限らず、人は様々なものに寄り頼みがちである。
軍隊であったり、国家であったり、社会も経済も、多くの人が集まることで、より大きな力を得ることができると考え、一つにまとまろうとする。
しかし、所詮、罪人のあつまりである。
人が多く集まれば集まる程、いろんな考え方の人が出てくるため、人の集まりが大きくなれば、それに比例して強くなるわけでもない。
現在、ロシアとウクライナとの間で戦争が続いているが、ロシアの政情や内輪もめのニュースなどを見ていると、やがて国家自体が内側からバラバラになって崩壊していくのだろうと思わされる。
人とは、人の集まりとは、そういうものである。
何の力も、正義も存在しない。
しかし、どんなに小さな集まりでも、そこに真の正義があり、真理があるのなら、その働きは上手く進んでいくだろう。
最低でも、私と共にここに真実の神がいて下さるのなら、それで二人。
何よりも、誰よりも心強い神を信じて生きるなら、たとえどんなに困難な思えるような出来事の中にも、生き抜く力や希望も与えられるだろう。
そして、きっとその先に、神の約束された驚くべき幸いと平安が待ち構えているだろう。
これは御自分の御子イエス様の命をも犠牲にできるほどの愛の神の約束であるから、安心して信じていい。