エレミヤ書26章1~12節、詩篇6篇、黙示録2章8~11節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ書 26:1 ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの治世の初めに、主からこの言葉がエレミヤに臨んだ。
26:2 「主はこう言われる。主の神殿の庭に立って語れ。ユダの町々から礼拝のために主の神殿に来るすべての者に向かって語るように、わたしが命じるこれらの言葉をすべて語れ。ひと言も減らしてはならない。
26:3 彼らが聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの悪のゆえにくだそうと考えている災いを思い直す。
26:4 彼らに向かって言え。主はこう言われる。もし、お前たちがわたしに聞き従わず、わたしが与えた律法に従って歩まず、
26:5 倦むことなく遣わしたわたしの僕である預言者たちの言葉に聞き従わないならば――お前たちは聞き従わなかったが――
26:6 わたしはこの神殿をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の呪いの的とする。」
26:7 祭司と預言者たちとすべての民は、エレミヤが主の神殿でこれらの言葉を語るのを聞いた。
26:8 エレミヤが、民のすべての者に語るように主に命じられたことを語り終えると、祭司と預言者たちと民のすべては、彼を捕らえて言った。「あなたは死刑に処せられねばならない。
26:9 なぜ、あなたは主の名によって預言し、『この神殿はシロのようになり、この都は荒れ果てて、住む者もなくなる』と言ったのか」と。すべての民は主の神殿でエレミヤのまわりに集まった。
26:10 ユダの高官たちはこれらの言葉を聞き、王の宮殿から主の神殿に上って来て、主の神殿の新しい門の前で裁きの座に着いた。
26:11 祭司と預言者たちは、高官たちと民のすべての者に向かって言った。「この人の罪は死に当たります。彼は、あなたがた自身が聞かれたように、この都に敵対する預言をしました。」
26:12 エレミヤは高官たちと民のすべての者に向かって言った。「主がわたしを遣わされ、お前たちが聞いたすべての言葉をこの神殿とこの都に対して預言させられたのだ。

詩篇 6:1  指揮者によって。伴奏付き。第八調。賛歌。ダビデの詩。
6:2 主よ、怒ってわたしを責めないでください 憤って懲らしめないでください。
6:3 主よ、憐れんでください わたしは嘆き悲しんでいます。主よ、癒してください、わたしの骨は恐れ
6:4 わたしの魂は恐れおののいています。主よ、いつまでなのでしょう。
6:5 主よ、立ち帰り わたしの魂を助け出してください。あなたの慈しみにふさわしく わたしを救ってください。
6:6 死の国へ行けば、だれもあなたの名を唱えず 陰府に入れば だれもあなたに感謝をささげません。
6:7 わたしは嘆き疲れました。夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほどです。
6:8 苦悩にわたしの目は衰えて行き わたしを苦しめる者のゆえに 老いてしまいました。
6:9 悪を行う者よ、皆わたしを離れよ。主はわたしの泣く声を聞き
6:10 主はわたしの嘆きを聞き 主はわたしの祈りを受け入れてくださる。
6:11 敵は皆、恥に落とされて恐れおののき たちまち退いて、恥に落とされる。

黙示録 2:8 スミルナにある教会の天使にこう書き送れ。『最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。
2:9 「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、わたしは知っている。実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである。
2:10 あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。
2:11 耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者は、決して第二の死から害を受けることはない。」』


人は弱く、愚かな存在だから、どうにかして自分自身を守ろうと動いてしまう。
自分を守る力などないのに、わかってはいても、なんとなく自己防衛反応が働いてしまう。
そうすることで、本当は言わなければならないこと、伝えるべきことを口ごもってしまうこともある。
しかし、それでは得られるはずのものを得ることはできないし、失ってはならないはずのものを失ってしまうことにもなるかもしれない。
もちろん、自分に他人を救う力などないけれど、救って下さる方がいるということは、できる限り伝えていくべきだろう。
信じてもらえるかどうかは、聞く人の判断に任せるとして、語る者がいなければ何も始まらないからである。

ローマ10:13 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
10:14 ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。
10:15 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。


私に何ができるのか分からない。
けれど、チャンスがあるのなら、イエス様の十字架による救いの約束をお伝えして行けるように、時が来たら、いつでも語れるように、心の準備だけはしっかりとしておきたい。
その人が救われることを願いつつ。