イザヤ51章4~8節、詩篇121篇、ルカ7章1~10節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 51:4 わたしの民よ、心してわたしに聞け。わたしの国よ、わたしに耳を向けよ。教えはわたしのもとから出る。わたしは瞬く間に わたしの裁きをすべての人の光として輝かす。
51:5 わたしの正義は近く、わたしの救いは現れ わたしの腕は諸国の民を裁く。島々はわたしに望みをおき わたしの腕を待ち望む。
51:6 天に向かって目を上げ 下に広がる地を見渡せ。天が煙のように消え、地が衣のように朽ち 地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても わたしの救いはとこしえに続き わたしの恵みの業が絶えることはない。
51:7 わたしに聞け 正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ。人に嘲られることを恐れるな。ののしられてもおののくな。
51:8 彼らはしみに食われる衣 虫に食い尽くされる羊毛にすぎない。わたしの恵みの業はとこしえに続き わたしの救いは代々に永らえる。

詩篇 121:1  都に上る歌。 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
121:2 わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。
121:3 どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし まどろむことなく見守ってくださるように。
121:4 見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。
121:5 主はあなたを見守る方 あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
121:6 昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。
121:7 主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。
121:8 あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。

ルカ 7:1 イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。
7:2 ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。
7:3 イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。
7:4 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。
7:5 わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」
7:6 そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。
7:7 ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。
7:8 わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
7:9 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」
7:10 使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。


ルカ7章に出てくる百人隊長は、部下のことを大切におもっていたのであろう。
部下が病気で死にそうになった時、イエス様に助けを求めて他の部下を遣わしているが、その部下が百人隊長を助けてあげて欲しいとイエス様に頼んでいるように、部下からも厚く信頼されていたのであろう。
そして、この百人隊長は、自らも権威のもとにあり、上から「行け」と言われれば行くし、「来い」と言われれば来ると、謙遜さも備えていた。
理想的な上司であり、管理職といったところであろうか。
なかなかこれほどできた人物というのは、そうそういないし、イエス様ご自身も「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」と仰せられているように、彼の素晴らしさは、おそらく、その信仰に基づくものであり、真の神を信じ、神を畏れ、神に従って生きようとするその敬虔さによってもたらされていたのであろう。
つまりそれは、百人隊長が取り立てて特別な能力や資質を備えていたというよりも、日々の神との関係の構築によるものであろうことが伺えるのである。
人は真実に畏れ、信頼し、従うべきお方を心に迎えているなら、その歩みは誠実なものとなろう。
真摯に自分自身と向き合い、罪深い者として神の御前に立ち、赦しの言葉を頂いた者にこそできる歩み、それが本当の人間の姿と言えるのではないだろうか。
神に背を向けたり、偽りを押し通して傲慢にならず、誠実な態度で神の御前に立ち、罪赦された者として、謙遜で信頼される者として歩ませていただきたいものである。