列王下 5:19 エリシャは彼に、「安心して行きなさい」と言った。ナアマンがエリシャと別れて、少し行ったとき、
5:20 神の人エリシャの従者ゲハジは、「わたしの主人は、あのアラム人ナアマンが持って来たものを何も受け取らずに帰してしまった。主は生きておられる。彼を追いかけて何かもらってこよう」と言って、
5:21 ナアマンの後を追った。ナアマンは彼が後を追って来るのを見て、戦車から飛び降り、彼を迎え、「どうかなさいましたか」と尋ねた。
5:22 彼は答えた。「何でもありません。わたしの主人がわたしを遣わしてこう言いました。『今し方預言者の仲間の若い者が二人エフライムの山地から着いた。彼らに銀一キカルと着替えの服二着を与えてほしい。』」
5:23 ナアマンは、「どうぞ、二キカル取ってください」と言ってしきりに勧め、二つの袋に銀二キカルを詰め、着替えの服二着を添えて、自分の従者二人に渡した。彼らはそれを持ち、ゲハジの先に立って進んだ。
5:24 オフェルに着いたとき、ゲハジは彼らからそれらを受け取って家にしまい込み、彼らを帰した。彼らは去って行った。
5:25 彼が主人のところに来て立つと、エリシャは、「ゲハジ、お前はどこに行っていたのか」と言った。ゲハジは、「僕はどこにも行っていません」と答えたが、
5:26 エリシャは言った。「あの人が戦車から降りて引き返し、お前を迎えたとき、わたしの心がそこに行っていなかったとでも言うのか。今は銀を受け、衣服、オリーブの木やぶどう畑、羊や牛、男女の奴隷を受け取る時であろうか。
5:27 ナアマンの重い皮膚病がお前とお前の子孫にいつまでもまといつくことになるのに。」ゲハジは重い皮膚病で雪のようになり、エリシャの前から立ち去った。
詩篇 61:1 指揮者によって。伴奏付き。ダビデの詩。
61:2 神よ、わたしの叫びを聞き わたしの祈りに耳を傾けてください。
61:3 心が挫けるとき 地の果てからあなたを呼びます。高くそびえる岩山の上に わたしを導いてください。
61:4 あなたは常にわたしの避けどころ 敵に対する力強い塔となってくださいます。
61:5 あなたの幕屋にわたしはとこしえに宿り あなたの翼を避けどころとして隠れます。
61:6 神よ、あなたは必ずわたしの誓願を聞き取り 御名を畏れる人に 継ぐべきものをお与えになります。
61:7 王の日々になお日々を加え その年月を代々に永らえさせてください。
61:8 王が神の前にあってとこしえの王座につき 慈しみとまことに守られますように。
61:9 わたしは永遠にあなたの御名をほめ歌い 日ごとに満願の献げ物をささげます。
エフェソ 6:10 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
6:11 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
6:12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
6:13 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
6:14 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、
6:15 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
6:16 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。
6:17 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
6:18 どのような時にも、"霊"に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
6:19 また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。
6:20 わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください。
エリシャの従者であったゲハジは、病を癒してもらったナアマンからエリシャがお礼に何も受け取らなかったことを利用し、ナアマンのあとを追い、偽りを述べてナアマンからお礼の品を受け取った。
もちろん、彼の行為はエリシャにもばれていたし、何より、ゲハジが言った通り
主は生きておられ」彼の全ての行動も見ておられた。
結果、この愚かな行為と引き換えに、ゲハジはかつてナアマンが患っていた病を引き受けることになったのである。
ナアマンにとっては、病が癒されたことの喜びに比べれば、自分の持ってきたお礼の品など、たいした価値のないものくらいにしか思えなかったであろうし、それほどに病に苦しむ人にとって、癒されることは幸いなことである。
しかし、ゲハジにはそれが分かっていなかった。
なまじ病を患ったことなく、健やかに過ごしてきていたために、お金や富などの方が価値あるものと考えていたのであろう。
お金もや富も人が生きていく上では必要なものではあるが、それよりももっと大切なものは幾らでもあるし、人はそれを失った時に、はじめてその大切さ、貴さを知るのであろう。
ゲハジは富と引き換えに健康を失ったが、それよりも先に、神を恐れる心、魂を失っていた。
それは、人が生きていく上で、最も大切なものである。
神を恐れる心を失ったままでは、人は生きていても、滅んだも同然である。
なぜなら、神は真の命を与えて下さるお方だから。
本当の意味で人が生きるということがどういうことなのか、ゲハジの行動やナアマンの行動をみながら、自分の生き方もたえず省みて、まことの命に通じる人生を歩んで行きたいものである。