列王下5章15~19節、詩篇61篇、使徒26章24~29節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王下 5:15 彼は随員全員を連れて神の人のところに引き返し、その前に来て立った。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今この僕からの贈り物をお受け取りください。」
5:16 神の人は、「わたしの仕えている主は生きておられる。わたしは受け取らない」と辞退した。ナアマンは彼に強いて受け取らせようとしたが、彼は断った。
5:17 ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。
5:18 ただし、この事については主が僕を赦してくださいますように。わたしの主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、わたしは介添えをさせられます。そのとき、わたしもリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。わたしがリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦してくださいますように。」
5:19 エリシャは彼に、「安心して行きなさい」と言った。

詩篇 61:1  指揮者によって。伴奏付き。ダビデの詩。
61:2 神よ、わたしの叫びを聞き わたしの祈りに耳を傾けてください。
61:3 心が挫けるとき 地の果てからあなたを呼びます。高くそびえる岩山の上に わたしを導いてください。
61:4 あなたは常にわたしの避けどころ 敵に対する力強い塔となってくださいます。
61:5 あなたの幕屋にわたしはとこしえに宿り あなたの翼を避けどころとして隠れます。
61:6 神よ、あなたは必ずわたしの誓願を聞き取り 御名を畏れる人に 継ぐべきものをお与えになります。
61:7 王の日々になお日々を加え その年月を代々に永らえさせてください。
61:8 王が神の前にあってとこしえの王座につき 慈しみとまことに守られますように。
61:9 わたしは永遠にあなたの御名をほめ歌い 日ごとに満願の献げ物をささげます。

使徒 26:24 パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」
26:25 パウロは言った。「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。
26:26 王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきりと申し上げます。このことは、どこかの片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております。
26:27 アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」
26:28 アグリッパはパウロに言った。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」
26:29 パウロは言った。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」


エリシャを通して神に癒してもらったナアマンは、今後は生涯通じてイスラエルの神を礼拝すると決めたようである。
しかし、本国に帰れば、またいつものように偶像の神々に仕えなければならないこともあるであろうことを憂い、エリシャに赦しを乞うのである。
エリシャもナアマンの置かれている環境をわかっていて、安心するよう宣べている。
つまり、たとえナアマンが偶像の神々を礼拝するような場面に立たされても、彼が形だけ礼拝しているような態度をとっても、その心が真の神から離れていないことを知り、それも赦されたということであろう。
こういったことは、異教の影響を色濃く受けている日本の国で生きていく上では、とても励まされることであろうと思う。
秋の季節になると、各地でお祭りが行われ、街中を御輿が練り歩く光景も見かける。
異なる神を礼拝することは難しいとはいえ、あまり敵対するのも好ましくない。
黙って静かに見過ごすのも知恵であろう。
大切な事は、本当の神、まことの神を信じ、しっかりとその方を礼拝する時を持っているかどうか、それに尽きるだろう。
生活の全ての領域で、真の神を礼拝する生き方を貫くことは難しくても、できるだけ偶像との関わりは避けつつも、人との交わりを害することをできるだけ避けながら、ケースバイケースで対処していけたらと思う。
もちろん、時には命をかけてでも自分の信仰を貫かなければならないことがあるかもしれないが、真実と知恵とを駆使し、生き永らえて、別のところで証しする機会を得るということがあってもよいだろう。
なにより、必要以上に恐れない事。
平安のあるところに、主の道があると信じたい。

安心して行きなさい。