ハバクク 1:5 諸国を見渡し、目を留め 大いに驚くがよい。お前たちの時代に一つのことが行われる。それを告げられても、お前たちは信じまい。
1:6 見よ、わたしはカルデア人を起こす。それは冷酷で剽悍な国民。地上の広い領域に軍を進め 自分のものでない領土を占領する。
1:7 彼らは恐ろしく、すさまじい。彼らから、裁きと支配が出る。
1:8 彼らの馬は豹よりも速く 夕暮れの狼よりも素早く その騎兵は跳びはねる。騎兵は遠くから来て 獲物に襲いかかる鷲のように飛ぶ。
1:9 彼らは来て、皆、暴虐を行う。どの顔も前方に向き 砂を集めるようにとりこを集める。
1:10 彼らは王たちを嘲り 支配者たちを嘲笑う。どんな砦をも嘲笑って 土を積み上げ、それを攻め取る。
1:11 彼らは風のように来て、過ぎ去る。しかし、彼らは罪に定められる。自分の力を神としたからだ。
1:12 主よ、あなたは永遠の昔から わが神、わが聖なる方ではありませんか。我々は死ぬことはありません。主よ、あなたは我々を裁くために 彼らを備えられた。岩なる神よ、あなたは我々を懲らしめるため 彼らを立てられた。
1:13 あなたの目は悪を見るにはあまりに清い。人の労苦に目を留めながら 捨てて置かれることはない。それなのになぜ、欺く者に目を留めながら 黙っておられるのですか 神に逆らう者が、自分より正しい者を 呑み込んでいるのに。
1:14 あなたは人間を海の魚のように 治める者もない、這うもののようにされました。
1:15 彼らはすべての人を鉤にかけて釣り上げ 網に入れて引き寄せ、投網を打って集める。こうして、彼らは喜び躍っています。
1:16 それゆえ、彼らはその網にいけにえをささげ 投網に向かって香をたいています。これを使って、彼らは豊かな分け前を得 食物に潤うからです。
1:17 だからといって、彼らは絶えず容赦なく 諸国民を殺すために 剣を抜いてもよいのでしょうか。
詩篇 3:1 賛歌。ダビデの詩。ダビデがその子 アブサロムを逃れたとき。
3:2 主よ、わたしを苦しめる者は どこまで増えるのでしょうか。多くの者がわたしに立ち向かい
3:3 多くの者がわたしに言います 「彼に神の救いなどあるものか」と。
3:4 主よ、それでも あなたはわたしの盾、わたしの栄え わたしの頭を高くあげてくださる方。
3:5 主に向かって声をあげれば 聖なる山から答えてくださいます。
3:6 身を横たえて眠り わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。
3:7 いかに多くの民に包囲されても 決して恐れません。
3:8 主よ、立ち上がってください。わたしの神よ、お救いください。すべての敵の顎を打ち 神に逆らう者の歯を砕いてください。
3:9 救いは主のもとにあります。あなたの祝福が あなたの民の上にありますように。
ヤコブ 1:2 わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。
1:3 信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。
1:4 あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。
1:5 あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。
1:6 いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。
1:7 そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。
1:8 心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。
1:9 貧しい兄弟は、自分が高められることを誇りに思いなさい。
1:10 また、富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい。富んでいる者は草花のように滅び去るからです。
1:11 日が昇り熱風が吹きつけると、草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまいます。同じように、富んでいる者も、人生の半ばで消えうせるのです。
神を恐れぬ民が、神を信じる民を迫害したり、力のある者や富を持つ者が弱く貧しい人たちを虐げていたりするのを見るにつけ、なぜこの世界はこんなにも理不尽なのだろうかと思うこともある。
しかし、神を畏れう者だから、暴虐な振舞いをするのであろうし、力や富を持つから人は高慢になってしまうのだろう。
ロシアがなぜウクライナに侵攻していったのか、正確な理由は私たちにはわからないが、多少領土が拡がったところで、そこに資源や富があるわけでもないのではないだろうかと思っていたが、単に何でも言うことを聞いて従う奴隷のような民が欲しいだけなのかもしれない。
人はいくら力や富を持っていても、誰かが自分の言う事に従って働いてくれることを欲しているためであろう。
力や富を持ちたがるのも、人を支配して、自分の思い通りに他人を動かそうと考えているからなのかもしれない。
その点、イエス様のなさった事や、教えておられることは、まるでその逆をいくものであろう。
人に仕えよ、試練にあっても忍耐せよ、というのである。
しかしそれは、ただ単に、言われるがまま、何でも他人の言うことに聞き従えというより、むしろこちら側から積極的に他者のためい仕えていくよう進んでいけ、ということであって、単に奴隷のように言いなりになるのとは違っている。
マルティン・ルターは「キリスト者の自由」の中で「キリスト者は、あらゆるものの、最も自由な主であって、何ものにも隷属しない。キリスト者は、あらゆるものの、最も義務を追うている僕であって、すべてのものに隷属している。」と語っているが、キリスト者とは、他者に積極的に仕えていく自由な君主である、ということを述べているのであろう。
奴隷のようにしいたげられたり、搾取されたり、いいように使われておしまい、というのではなく、こちらから相手の幸いとなるためには何をしたらいいのかを考え、祈り、
自分にできることでいいから、すすんで行動していけるようになりたいものである。
なにより、イエス様は私たちのためにそうして下さった。みずから進んで十字架の死と復活の御業へと歩まれ、私たちの救いのために仕えて下さったのである。
イエス様ほどのことはできなくても、せめて、イエス様の思いに通じるような生き方をしていきたい。
きっとその先には、他者にとっても、自分にとっても幸いな世界が約束されていることであろうから。