民数記 15:32 イスラエルの人々が荒れ野にいたときのこと、ある男が安息日に薪を拾い集めているところを見つけられた。
15:33 見つけた人々は、彼をモーセとアロンおよび共同体全体のもとに連れて来たが、
15:34 どうすべきか、示しが与えられていなかったので、留置しておいた。
15:35 主はモーセに言われた。「その男は必ず死刑に処せられる。共同体全体が宿営の外で彼を石で打ち殺さねばならない。」
15:36 共同体全体は、主がモーセに命じられたとおり、彼を宿営の外に連れ出して石で打ち殺したので、彼は死んだ。
15:37 主はモーセに言われた。
15:38 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。代々にわたって、衣服の四隅に房を縫い付け、その房に青いひもを付けさせなさい。
15:39 それはあなたたちの房となり、あなたたちがそれを見るとき、主のすべての命令を思い起こして守り、あなたたちが自分の心と目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。
15:40 あなたたちは、わたしのすべての命令を思い起こして守り、あなたたちの神に属する聖なる者となりなさい。
15:41 わたしは、あなたたちの神となるために、あなたたちをエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。わたしはあなたたちの神、主である。
詩篇 103:1 ダビデの詩。 わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって 聖なる御名をたたえよ。
103:2 わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
103:3 主はお前の罪をことごとく赦し 病をすべて癒し
103:4 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け
103:5 長らえる限り良いものに満ち足らせ 鷲のような若さを新たにしてくださる。
103:6 主はすべて虐げられている人のために 恵みの御業と裁きを行われる。
103:7 主は御自分の道をモーセに 御業をイスラエルの子らに示された。
103:8 主は憐れみ深く、恵みに富み 忍耐強く、慈しみは大きい。
ヘブル 12:3 あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
12:4 あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。
12:5 また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。
12:6 なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
12:7 あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
12:8 もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。
12:9 更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。
12:10 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。
12:11 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
12:12 だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。
12:13 また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。
12:14 すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
12:15 神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。
12:16 また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。
12:17 あなたがたも知っているとおり、エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。
聖書には、主なる神様が私たちを憐れみ、恵みを与えて救いに導くことだけが語られているわけではなく、時には様々な困難や試練にも出会う事も語られている。
そして、それらを通して信仰が練られ、強められていくという。
そういう意味では、人が成長していくための様々な訓練やトレーニングなどがあったりするのも、無意味な事ではないし、それだけ私たちに期待して下さっているということでもあろう。
恵みに甘んじて、何もせず、ただぼーっと生きているだけでは、それこそ、神の子とされた者としてはふさわしくはない。
恵みに感謝し、喜んで生き、神のみ旨に適った働きに携わらせてもらえるように、自分に何ができるか考えながら、生きていきたい。
出来ない事を無理にする必要はないが、せめてできることがあるならば、になって行けるようにと願う。
私の働きを通して、誰か一人でも喜んでもらえるなら幸いである。
きっと主なる神様も、それを望まれ、喜ばれることだろう。
大きな犠牲を支払って買い取ってもらったものとして、神のものとして生きていけますように。
1コリント6:19 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。