歴代誌下 8:12 そのころソロモンは、前廊の前に築いた主の祭壇の上で、焼き尽くす献げ物を主にささげた。
8:13 安息日、新月祭、および、年に三度の祝祭日、除酵祭、七週祭、仮庵祭に関してモーセが命じたように、日ごとの定めに従って献げ物をささげた。
8:14 更に彼は、父ダビデの授けた規定に従って、祭司たちを組に分けてその任務に就かせ、またレビ人たちをその任務に就かせて、日ごとの定めに従って祭司の傍らで賛美し奉仕させ、門衛たちもその組によってそれぞれその門に立たせた。神の人ダビデがそのように命じていたからである。
8:15 王が祭司とレビ人について命じたことは、宝物庫のことも含め、何事もおろそかにされなかった。
詩篇 103:1 ダビデの詩。 わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって 聖なる御名をたたえよ。
103:2 わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
103:3 主はお前の罪をことごとく赦し 病をすべて癒し
103:4 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け
103:5 長らえる限り良いものに満ち足らせ 鷲のような若さを新たにしてくださる。
103:6 主はすべて虐げられている人のために 恵みの御業と裁きを行われる。
103:7 主は御自分の道をモーセに 御業をイスラエルの子らに示された。
103:8 主は憐れみ深く、恵みに富み 忍耐強く、慈しみは大きい。
使徒 17:1 パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。
17:2 パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、
17:3 「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。
17:4 それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。
17:5 しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。
17:6 しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。
17:7 ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」
17:8 これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。
17:9 当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。
パウロとシラスは、異邦人への伝道のとっかかりとして、ユダヤ人たちが集まる会堂に出かけ、そこで、聖書の御言葉を用いて論じ合う仕方で宣教を進めようとしていた。
それが彼らのいつものやり方であったし、比較的聖書に知識を持つ人たちに働きかけたほうが効率が良かったのだろう。
何の知識もないところから伝道を始めていくのは、彼らにとっても困難なことであったからである。
そういう意味では、なんのとっかかりもない異教の民に対し伝道を進めていくことがいかに困難であるかということは言うまでもないことであろう。
パウロは偉大な伝道者と呼ばれているが、異教の民に伝道を進めていく人たちの方が、よっぽど偉大な働きを担っていると言えるかもしれない。
いずれにせよ、いまだ神を信じない人たちへの伝道は簡単なことではない。
パウロたちも、聖書の知識を持つ人たちをとっかかりに伝道していったが、各地で反発や迫害を受けることになっていく。
所詮、相手は同じ人間だから、聖書の知識があろうと異教の神々を信じる異邦人であろうと、結局は同じことなのだろう。
それでも彼らは伝道を進めていった。
彼らが進めて行ったというより、彼らは主なる神に用いられ、運ばれていっただけなのかもしれない。
それは、今の時代に生きる者にも同じことであろう。
私たちも、自分の力で伝道するのではなく、神が持ち運んで下さり、用いて下さる。
なぜなら、私たちの神は「主」だからである。
「主」なる神様が私たちを用いて成し遂げて下さる御業を見よう。
伝道とはそういうものなのだから。