エレミヤ 25:30 あなたは、これらの言葉をすべて彼らに預言して言うがよい。「主は、高い天からほえたけり 聖なる宮から声をとどろかされる。その牧場に向かってほえたけり この地のすべての住民に向かって 酒ぶねを踏む者のように叫び声をあげられる。
25:31 その響きは地の果てに至る。主は、諸国民と争い 肉なるものをすべて裁き 主に逆らう者を剣に渡される」と 主は言われる。
25:32 万軍の主はこう言われる。見よ、災いが一つの民から出て他の民に及ぶ。激しい嵐が地の果てから起こる。
25:33 その日には、主に刺し貫かれた者が地の果てから地の果てまで、嘆くこともなく横たわる。集められることも葬られることもなく、地の面にまき散らされて肥やしとなる。
25:34 牧者たちよ、嘆き叫べ。群れを率いる者らよ、灰をその身にかぶれ。お前たちが屠られるときが満ちた。お前たちは貴い器のように砕かれて倒れる。
25:35 牧者は逃げ場を失い 群れを率いる者は避け所を失う。
25:36 牧者の叫ぶ声 群れを率いる者の嘆く声がする。主が彼らの牧草地を荒らされるからだ。
25:37 平和な牧場は滅ぼされる 主の激しい怒りによって。
25:38 主は若獅子のようにその住みかを捨てられたので 彼らの地は荒れ地となった 脅かす主の怒り、激しい怒りのゆえに。
詩篇 32:1 ダビデの詩。マスキール。 いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
32:2 いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
32:3 わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
32:4 御手は昼も夜もわたしの上に重く わたしの力は 夏の日照りにあって衰え果てました。
32:5 わたしは罪をあなたに示し 咎を隠しませんでした。わたしは言いました 「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを 赦してくださいました。
32:6 あなたの慈しみに生きる人は皆 あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも その人に及ぶことは決してありません。
32:7 あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方。
32:8 わたしはあなたを目覚めさせ 行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
32:9 分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。
32:10 神に逆らう者は悩みが多く 主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
32:11 神に従う人よ、主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。
ルカ 19:45 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、
19:46 彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」
19:47 毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、
19:48 どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。
神に祈る事ができるということは、幸いなことである。
本来なら、こんな愚かな罪人が神に祈ることすら許されないはずのところ、御子イエス様の十字架の贖いのゆえに、神の御前にたち、祈る事のできるものとしてくださった。
そして、私たちにできることは、それだけである。
いくら多くのものを神にささげたところで、確かにそれで神の国の働きを進めるために用いられることがあったとしても、それによって人が救われるのでもない。
人を救う事ができるのは、唯一の神、イエス。キリストの十字架の贖いと復活の御業と、そのイエス様の御業によって救われるという約束を信じる信仰だけである。
信じることなら誰にでもできる。
信じるためには、何も必要ない。
ただ、砕かれた悔いた心、神の御前に静まり祈る、そのような姿勢だけあれば良い。
イエス様のもとに集まり、夢中になってイエス様の話しに聞き入っていた人たちのように、イエス様の言葉、聖書の言葉に夢中になって聞いていきたいものである。