エレミヤ6章10~19節、詩篇119篇73~80節、使徒19章21~27節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ 6:10 誰に向かって語り、警告すれば 聞き入れるのだろうか。見よ、彼らの耳は無割礼で 耳を傾けることができない。見よ、主の言葉が彼らに臨んでも それを侮り、受け入れようとしない。
6:11 主の怒りでわたしは満たされ それに耐えることに疲れ果てた。「それを注ぎ出せ 通りにいる幼子、若者の集いに。男も女も、長老も年寄りも必ず捕らえられる。
6:12 家も畑も妻もすべて他人の手に渡る。この国に住む者に対して わたしが手を伸ばすからだ」と主は言われる。
6:13 「身分の低い者から高い者に至るまで 皆、利をむさぼり 預言者から祭司に至るまで皆、欺く。
6:14 彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して 平和がないのに、『平和、平和』と言う。
6:15 彼らは忌むべきことをして恥をさらした。しかも、恥ずかしいとは思わず 嘲られていることに気づかない。それゆえ、人々が倒れるとき、彼らも倒れ わたしが彼らを罰するとき 彼らはつまずく」と主は言われる。
6:16 主はこう言われる。「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」しかし、彼らは言った。「そこを歩むことをしない」と。
6:17 わたしは、「あなたたちのために見張りを立て 耳を澄まして角笛の響きを待て」と言った。しかし、彼らは言った。「耳を澄まして待つことはしない」と。
6:18 「それゆえ、国々よ、聞け。わたしが彼らにしようとすることを知れ。
6:19 この地よ、聞け。見よ、わたしはこの民に災いをもたらす。それは彼らのたくらみが結んだ実である。彼らがわたしの言葉に耳を傾けず わたしの教えを拒んだからだ。

詩篇 119:73 御手がわたしを造り、固く立ててくださいました。あなたの戒めを理解させ、学ばせてください。
119:74 あなたを畏れる人はわたしを見て喜びます。わたしが御言葉を待ち望んでいるからです。
119:75 主よ、あなたの裁きが正しいことを わたしは知っています。わたしを苦しめられたのは あなたのまことのゆえです。
119:76 あなたの慈しみをもって わたしを力づけてください あなたの僕への仰せのとおりに。
119:77 御憐れみがわたしに届き 命を得させてくださいますように。あなたの律法はわたしの楽しみです。
119:78 わたしを偽りによって迷わせた傲慢な者が 恥に落とされますように。わたしはあなたの命令に心を砕きます。
119:79 あなたを畏れる人、あなたの定めを知る人が わたしのもとに立ち帰りますように。
119:80 わたしの心があなたの掟に照らして 無垢でありますように。そうすればわたしは恥じることがないでしょう。

使徒 19:21 このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。
19:22 そして、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し、彼自身はしばらくアジア州にとどまっていた。
19:23 そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。
19:24 そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。
19:25 彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、
19:26 諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。
19:27 これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」



先日、大学生になった息子が自分の部屋の整理・片付けを行っていた。
しばらくして、処分してもいい大量のゴミを袋に入れて部屋から出してきたが、いったい何を捨てたのかと少しみてみると、小学生の頃に大事そうにしていた小物などが入っており、その中に、修学旅行で買ってきたお土産も幾つか入っていた。
小学生の頃は、修学旅行の思い出と共に、ずっと大事にしていたようだが、大人になって、要らないモノだということに気が付いたということだろうか。
もちろん思い出は大切であるが、モノにはさほど意味はないし、取って置くだけでもスペースが要るし、おそらく、今後の人生において必要となることもないだろう。
観光地などで売られているお土産なども、ある人にとっては宝物となるのかもしれないけれども、実際にはほとんど利用価値はないし、取って置く意味もない。
もしそんなものに神が宿るというのなら、それこそ、神があまりにも惨めな存在となってしまう。
神が宿るところというのは、それはそれは聖なるところであって、価値あるもの。
もともと私たち自身はそんなものではないのだが、イエス様の贖いのおかげで、私たちも聖なるものとされ、神が宿られるところとして頂けるのだ。
これほど幸いなことはない。

1コリント3:16 あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
3:17 神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。

主なる神様は、私たちの内に住んで下さる。
だから、神殿の模型もお守りも要らない。
守ってもらうのは、神殿の模型でもお守りでもなく、私たち自身なのだから。