出エジプト33章18~23節、詩篇97篇、ヨハネ1章14~18節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト 33:18 モーセが、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と言うと、
33:19 主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」
33:20 また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」
33:21 更に、主は言われた。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。あなたはその岩のそばに立ちなさい。
33:22 わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまで、わたしの手であなたを覆う。
33:23 わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」

詩篇 97:1 主こそ王。全地よ、喜び躍れ。多くの島々よ、喜び祝え。
97:2 密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ 正しい裁きが王座の基をなす。
97:3 火は御前を進み 周りの敵を焼き滅ぼす。
97:4 稲妻は世界を照らし出し 地はそれを見て、身もだえし
97:5 山々は蝋のように溶ける 主の御前に、全地の主の御前に。
97:6 天は主の正しさを告げ知らせ すべての民はその栄光を仰ぎ見る。
97:7 すべて、偶像に仕える者 むなしい神々を誇りとする者は恥を受ける。神々はすべて、主に向かってひれ伏す。
97:8 シオンは聞いて喜び祝い ユダのおとめらは喜び躍る 主よ、あなたの裁きのゆえに。
97:9 あなたは主、全地に君臨されるいと高き神。神々のすべてを超え、あがめられる神。
97:10 主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り 神に逆らう者の手から助け出してくださる。
97:11 神に従う人のためには光を 心のまっすぐな人のためには喜びを 種蒔いてくださる。
97:12 神に従う人よ、主にあって喜び祝え。聖なる御名に感謝をささげよ。

ヨハネ 1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
1:15 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」
1:16 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
1:17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。
1:18 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。



主なる神の栄光は、あまりに尊すぎるため、人の目には見えにくい。
見えにくいというより、本当は見えないのかもしれない。
しかし、そんな人の目には見えるはずのない神の栄光が、見える形で現わされた。
神の一人子なるキリストである。
しかし、あまりにも素晴らしい栄光の姿であるためか、あいかわらず見える形で現わされたにも関わらず、人の目に、それが素晴らしい恵みであることが見えにくいのかもしれない。
見えないのではなく、見えにくいのであろう。
神ご自身がその一人子の命を惜しまずに人の罪の償いのために生贄の犠牲として捧げられ、それを信じる者を救うというのである。
あまりに素晴らしすぎて、愚かな人間にとっては、愚かなことと見えてしまうのだろう。
神のなさる御業は、あまりに素晴らしすぎて、人の目には見えにくいのかもしれないが、神が働かれるところでは、その片鱗を垣間見ることができる。
人は慰められ、平安が与えられるからである。
たとえイエス様のお姿を目にすることはできなくても、救いの約束を頂いたものには、喜びと平安がもたらされる。
それで十分ではないだろうか。
主の時が来れば、完全に聖なる者とさせ、永遠の命を頂いて、御国において主なる神様のお姿を見ることができるだろう。
主の御顔を見て人は生きていけないと語られている通り、見るのはその時で十分。
生きている間は、主なる神の言葉を聞いて、信じて従って行きたいものである。