出エジプト40章16~38節、詩篇29篇、使徒16章35~40節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト 40:16 モーセは主が命じられたとおりにすべてを行った。
40:17 第二年の第一の月、その月の一日に、幕屋が建てられた。
40:18 モーセは、まず、台座を置き、壁板を立て、横木を渡し、柱を立てて、幕屋を組み立てた。
40:19 次に、幕屋の上に天幕を広げ、更にその上に天幕の覆いを掛けた。主がモーセに命じられたとおりであった。
40:20 次に、彼は掟の板を取って箱に入れ、箱に棒を差し入れ、箱の上に贖いの座を置き、
40:21 その箱を幕屋の奥に運び入れた。そして、至聖所の垂れ幕を掛け、掟の箱を隔てた。主がモーセに命じられたとおりであった。
40:22 また、机を臨在の幕屋の中の垂れ幕の手前、幕屋の北側に置き、
40:23 その上に供えのパンを並べ、主の御前に供えた。主がモーセに命じられたとおりであった。
40:24 更に、燭台を臨在の幕屋の中の、幕屋の南側に机と向かい合わせて置き、
40:25 ともし火を主の御前にともした。主がモーセに命じられたとおりであった。
40:26 また、金の祭壇を臨在の幕屋の中の垂れ幕の前に置き、
40:27 香草の香をその上でたいた。主がモーセに命じられたとおりであった。
40:28 次に、幕屋の入り口に幕を掛けた。
40:29 この幕屋、つまり臨在の幕屋の入り口に焼き尽くす献げ物の祭壇を設け、焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物をその上でささげた。主がモーセに命じられたとおりであった。
40:30 次いで、洗盤を臨在の幕屋と祭壇の間に据え、それに清めの水を入れた。
40:31 その水でモーセ、アロンおよびその子らは、自分の手足を清めた。
40:32 彼らが臨在の幕屋に入るとき、あるいは、祭壇に献げ物をささげるときは、水で清めるのを常とした。主がモーセに命じられたとおりであった。
40:33 最後に、幕屋と祭壇の周囲に庭を設け、庭の入り口に幕を掛けた。モーセはこうして、その仕事を終えた。
40:34 雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた。
40:35 モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。
40:36 雲が幕屋を離れて昇ると、イスラエルの人々は出発した。旅路にあるときはいつもそうした。
40:37 雲が離れて昇らないときは、離れて昇る日まで、彼らは出発しなかった。
40:38 旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである。

詩篇 29:1  賛歌。ダビデの詩。 神の子らよ、主に帰せよ 栄光と力を主に帰せよ
29:2 御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。
29:3 主の御声は水の上に響く。栄光の神の雷鳴はとどろく。主は大水の上にいます。
29:4 主の御声は力をもって響き 主の御声は輝きをもって響く。
29:5 主の御声は杉の木を砕き 主はレバノンの杉の木を砕き
29:6 レバノンを子牛のように シルヨンを野牛の子のように躍らせる。
29:7 主の御声は炎を裂いて走らせる。
29:8 主の御声は荒れ野をもだえさせ 主はカデシュの荒れ野をもだえさせる。
29:9 主の御声は雌鹿をもだえさせ 月満ちぬうちに子を産ませる。神殿のものみなは唱える 「栄光あれ」と。
29:10 主は洪水の上に御座をおく。とこしえの王として、主は御座をおく。
29:11 どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように。

使徒 16:35 朝になると、高官たちは下役たちを差し向けて、「あの者どもを釈放せよ」と言わせた。
16:36 それで、看守はパウロにこの言葉を伝えた。「高官たちが、あなたがたを釈放するようにと、言ってよこしました。さあ、牢から出て、安心して行きなさい。」
16:37 ところが、パウロは下役たちに言った。「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここへ来て、わたしたちを連れ出すべきだ。」
16:38 下役たちは、この言葉を高官たちに報告した。高官たちは、二人がローマ帝国の市民権を持つ者であると聞いて恐れ、
16:39 出向いて来てわびを言い、二人を牢から連れ出し、町から出て行くように頼んだ。
16:40 牢を出た二人は、リディアの家に行って兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出発した。



出エジプト記40章の箇所には、主なる神様を礼拝する幕屋の構成について語られている。
天地の創り主、全能の神を礼拝する「場所」としては、思いのほか簡素な造りであると言えるし、建物としては非常に粗末なものと言えるかもしれない。
しかし、幕屋は場所を固定した建物ではなく、どこへでも移動し、どこにでも主なる神が臨在されることを示すものと言えるだろう。
それは「住まい」というより「臨在」と表現すべきものである。

人間の世界は、常に悪に満ち、争いや災害の絶えない不安定なところである。
安住の地など、どこにもないのかもしれない。
けれど、私たちがどこへ行こうと、どんな状態でいようと、「臨在」の主は、常に私たちと共にいて下さるお方である。

創世記28:11 とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。
28:12 すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
28:13 見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。
28:14 あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。
28:15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
28:16 ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」
28:17 そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」

イスラエルの民が幕屋を設置した場所は、荒野のど真ん中で、人間がたやすく生きて行けるような場所ではなかっただろう。
しかし、そこにも主なる神様は共にいて下さったし、常に命へと導いて下さった。
なぜなら、この方こそが命の主だから、この方の臨在されるところに真の命があるのだ。
たとえ周りが荒野のように思えても、そこにも神は臨在し、そこが神の家、天の門であることを覚え、この地上での生涯を歩んで行きたいものである。