イザヤ6章1~4節、詩篇30篇、黙示4章1~11節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 6:1 ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。
6:2 上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。
6:3 彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
6:4 この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。

詩篇 30:1  賛歌。神殿奉献の歌。ダビデの詩。
30:2 主よ、あなたをあがめます。あなたは敵を喜ばせることなく わたしを引き上げてくださいました。
30:3 わたしの神、主よ、叫び求めるわたしを あなたは癒してくださいました。
30:4 主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ 墓穴に下ることを免れさせ わたしに命を得させてくださいました。
30:5 主の慈しみに生きる人々よ 主に賛美の歌をうたい 聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。
30:6 ひととき、お怒りになっても 命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも 喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。
30:7 平穏なときには、申しました 「わたしはとこしえに揺らぐことがない」と。
30:8 主よ、あなたが御旨によって 砦の山に立たせてくださったからです。しかし、御顔を隠されると わたしはたちまち恐怖に陥りました。
30:9 主よ、わたしはあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。
30:10 わたしが死んで墓に下ることに 何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ あなたのまことを告げ知らせるでしょうか。
30:11 主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、わたしの助けとなってください。
30:12 あなたはわたしの嘆きを踊りに変え 粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。
30:13 わたしの魂があなたをほめ歌い 沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ とこしえにあなたに感謝をささげます。

黙示 4:1 その後、わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパが響くようにわたしに語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。」
4:2 わたしは、たちまち"霊"に満たされた。すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。
4:3 その方は、碧玉や赤めのうのようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。
4:4 また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。
4:5 玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である。
4:6 また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。
4:7 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。
4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
4:9 玉座に座っておられ、世々限りなく生きておられる方に、これらの生き物が、栄光と誉れをたたえて感謝をささげると、
4:10 二十四人の長老は、玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言った。
4:11 「主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。」



黙示録の箇所には、おそらくヨハネが見たであろう、天の御国における神の栄光にみちた光景が語られている。
それが何のことであって、どういう意味を持つのか、詳しいことは分からない。
ここには、羽の生えた四つの生き物について語られているが、その内容からして、イザヤ6章に記されているセラフィムという天使のような存在と同じものであろうと思われる。
もしそうであるなら、もしかしたら、イザヤ6章でも、二つではなく四つの生き物だったのかもsれいない。
「互いに呼び交わした」と語られていることから二つと考えがちであるが、四つで互いに呼び交わすこともないわけではない。
イザヤ書では、数については明確に触れられていないが、その内容、性質や働きを考えれば、同じもの、もしくは同じ種類のもの、と考えたほうが無難であろう。
イザヤ書では「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」と神をほめたたえ、黙示録では「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」と、ほぼ同じ内容で神を賛美している。
それが彼らの役割なのだろう。
たったそれだけかもしれないが、神をほめたたえるということは、とても高貴な働きである。
そして、なんと、神を賛美することは、我々人間にもできるのだ。
主なる神様は、こんな愚かで罪深い人間にも、神を賛美する賜物を与えて下さる。
歌が上手でなくても、楽器が演奏できなくても「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主、全能の神、かつておられ、今おられ、やがて来られる方が、全てを治めておられる」と、神を称えることができる。
小さなものを救ってくれた喜び、大きな罪を赦してもらった感謝、永遠に滅びることのない命を与えて下さった幸いを覚え、たとえ一人でも、あるいは二人、三人と集まっているところでも、全てにおいて神を賛美するものでありたい。