イザヤ8章1~15節、詩篇115篇、ルカ5章27~32節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 8:1 主はわたしに言われた。「大きな羊皮紙を取り、その上に分かりやすい書き方で、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(分捕りは早く、略奪は速やかに来る)と書きなさい」と。
8:2 そのためにわたしは、祭司ウリヤとエベレクヤの子ゼカルヤを、信頼しうる証人として立てた。
8:3 わたしは女預言者に近づいた。彼女が身ごもって男の子を産むと、主はわたしに言われた。「この子にマヘル・シャラル・ハシュ・バズという名を付けなさい。
8:4 この子がお父さん、お母さんと言えるようになる前に、ダマスコからはその富が、サマリアからはその戦利品が、アッシリアの王の前に運び去られる。」
8:5 主は重ねてわたしに語られた。
8:6 「この民はゆるやかに流れるシロアの水を拒み レツィンとレマルヤの子のゆえにくずおれる。
8:7 それゆえ、見よ、主は大河の激流を 彼らの上に襲いかからせようとしておられる。すなわち、アッシリアの王とそのすべての栄光を。激流はどの川床も満たし 至るところで堤防を越え
8:8 ユダにみなぎり、首に達し、溢れ、押し流す。その広げた翼は インマヌエルよ、あなたの国土を覆い尽くす。」
8:9 諸国の民よ、連合せよ、だがおののけ。遠い国々よ、共に耳を傾けよ。武装せよ、だが、おののけ。武装せよ、だが、おののけ。
8:10 戦略を練るがよい、だが、挫折する。決定するがよい、だが、実現することはない。神が我らと共におられる(インマヌエル)のだから。
8:11 主は御手をもってわたしをとらえ、この民の行く道を行かないように戒めて言われた。
8:12 あなたたちはこの民が同盟と呼ぶものを 何一つ同盟と呼んではならない。彼らが恐れるものを、恐れてはならない。その前におののいてはならない。
8:13 万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主。
8:14 主は聖所にとっては、つまずきの石 イスラエルの両王国にとっては、妨げの岩 エルサレムの住民にとっては 仕掛け網となり、罠となられる。
8:15 多くの者がこれに妨げられ、倒れて打ち砕かれ 罠にかかって捕らえられる。

ルカ 5:27 その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。
5:28 彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。
5:29 そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。
5:30 ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」
5:31 イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。
5:32 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」



イエス様の弟子として召された人たちの中に、元徴税人だったマタイがいる。
彼は役人@として税金を集める仕事をしていたわけであるが、集めた税金はローマに収められたり、権力者たちの懐を潤す賄賂のような扱われ方をすることも知っていたことであろう。
一方、税金を納める側の人たちについても、多くの税を納める裕福な者たちの生き様や、わずかしか納められず生活に困窮している人達も見てきたことであろう。
あるいは、徴税人たちの中にも、計算をごまかし、私服を肥やしていた人たちもいたことであろう。
自分も罪人として見られる中、いったいどんな思いでこの仕事に携わっていたのだろう。
やりきれない思いを抱きつつ、さりとて何もかも嫌になり、この仕事を放り出したところで、どうやって生きて行けば良いのか、困窮していた人たちの様子を目の当たりにしていれば、なおさら辞めるに辞められないもどかしさの中、あきらめてそこに身を置いていたのかもしれない。
そんな徴税人固いに対し、イエス様は「わたしに従いなさい」と仰せられ、マタイは何もかも捨ててイエス様に従って行った。
マタイはこれまで自分が何を求め、何に従って生きているのかすら見失っていただろう。
そんなマタイをイエス様は、まさに救い出したのである。
イエス様のもとには、かつての自分のように、罪人扱いされていた人たちが大勢集まっており、同じようにイエス様に救い出され、罪赦された者たちと共に生きることになるのである。
これまでのような生活はできなくなったかもしれないが、生きる目的や仲間を見いだし、彼にとっては幸いであったことだろう。
焦って何もかも捨ててしまわなくてもいいが、一度、自分にとって本当に必要なものが何か、どこで何をすべきなのか、自分は何のために生きているのか、じっくり考えてみるのも悪くない。
偽りの人生ではなく、本当の自分の人生を生きていきたいものである。