民数記27章12~23節、詩篇138篇、使徒9章26~31節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

民数記 27:12 主はまたモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエルの人々に与えた土地を見渡しなさい。
27:13 それを見た後、あなたもまた兄弟アロンと同じように、先祖の列に加えられるであろう。
27:14 ツィンの荒れ野で共同体が争ったとき、あなたたちはわたしの命令に背き、あの水によって彼らの前にわたしの聖なることを示そうとしなかったからだ。」このことはツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの水のことを指している。
27:15 モーセは主に言った。
27:16 「主よ、すべての肉なるものに霊を与えられる神よ、どうかこの共同体を指揮する人を任命し、
27:17 彼らを率いて出陣し、彼らを率いて凱旋し、進ませ、また連れ戻す者とし、主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください。」
27:18 主はモーセに言われた。「霊に満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選んで、手を彼の上に置き、
27:19 祭司エルアザルと共同体全体の前に立たせて、彼らの見ている前で職に任じなさい。
27:20 あなたの権威を彼に分け与え、イスラエルの人々の共同体全体を彼に従わせなさい。
27:21 彼は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは彼のために、主の御前でウリムによる判断を求めねばならない。ヨシュアとイスラエルのすべての人々、つまり共同体全体は、エルアザルの命令に従って出陣し、また引き揚げねばならない。」
27:22 モーセは、主が命じられたとおりに、ヨシュアを選んで祭司エルアザルと共同体全体の前に立たせ、
27:23 手を彼の上に置いて、主がモーセを通して命じられたとおりに、彼を職に任じた。

詩篇 138:1  ダビデの詩。 わたしは心を尽くして感謝し 神の御前でほめ歌をうたいます。
138:2 聖なる神殿に向かってひれ伏し あなたの慈しみとまことのゆえに 御名に感謝をささげます。その御名のすべてにまさって あなたは仰せを大いなるものとされました。
138:3 呼び求めるわたしに答え あなたは魂に力を与え 解き放ってくださいました。
138:4 地上の王は皆、あなたに感謝をささげます。あなたの口から出る仰せを彼らは聞きました。
138:5 主の道について彼らは歌うでしょう 主の大いなる栄光を。
138:6 主は高くいましても 低くされている者を見ておられます。遠くにいましても 傲慢な者を知っておられます。
138:7 わたしが苦難の中を歩いているときにも 敵の怒りに遭っているときにも わたしに命を得させてください。御手を遣わし、右の御手でお救いください。
138:8 主はわたしのために すべてを成し遂げてくださいます。主よ、あなたの慈しみが とこしえにありますように。御手の業をどうか放さないでください。

使徒 9:26 サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。
9:27 しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。
9:28 それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。
9:29 また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。
9:30 それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。
9:31 こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。


時が流れ、時代が変わると、その時代に生きる人もまた年を重ね、やがて召されていく。
当然、主の働きに携わる者も次の世代へと変えられていく必要がある。
人はいつまでも若く元気ではいられない。
年老いて衰えてしまえば、力も判断力も指導力も何もかも衰えるもの。
それをどう受け入れて行くかは、なかなか難しい問題であろう。
モーセは神の指示に従って、自分の後継者ヨシュアをたて、イスラエルの民を約束の地へ導く指導者とした。
詳しくは記されていないが、民の動揺も大きかったことであろう。
一方、伝道者と変えられたサウロは、エルサレムで使徒たちの仲間に加わろうとしたが、当初は素直に受け入れられなかった。
当然であろう。
人はそれまでのサウロの行いを知っているからである。
けれど、主なる神様は、ふさわしいものを選ばれるのではなく、選ばれた者をふさわしい者とされるのである。
サウロのように、むしろ多くの罪を赦してもらったことを知る者の方が、本当はふさわしいのかもしれない。
自分にも働きを終える時がいつか来るだろう。
そして、新しい時代を担う人たちが現れるだろう。
そのことを願いつつ、自分に何ができるかわからないが、その時までは忠実に生きて行きたいものである。