民数記20章22~29節、詩篇138篇、使徒9章19~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

民数記 20:22 イスラエルの人々、その共同体全体はカデシュを旅立って、ホル山に着いた。
20:23 ホル山はエドム領との国境にあり、ここで、主はモーセとアロンに言われた。
20:24 「アロンは先祖の列に加えられる。わたしがイスラエルの人々に与える土地に、彼は入ることができない。あなたたちがメリバの水のことでわたしの命令に逆らったからだ。
20:25 アロンとその子エルアザルを連れてホル山に登り、
20:26 アロンの衣を脱がせ、その子エルアザルに着せなさい。アロンはそこで死に、先祖の列に加えられる。」
20:27 モーセは主が命じられたとおりにした。彼らは、共同体全体の見守る中をホル山に登った。
20:28 モーセはアロンの衣を脱がせ、その子エルアザルに着せた。アロンはその山の上で死んだ。モーセとエルアザルが山を下ると、
20:29 共同体全体はアロンが息を引き取ったのを悟り、イスラエルの全家は三十日の間、アロンを悼んで泣いた。

詩篇 138:1  ダビデの詩。 わたしは心を尽くして感謝し 神の御前でほめ歌をうたいます。
138:2 聖なる神殿に向かってひれ伏し あなたの慈しみとまことのゆえに 御名に感謝をささげます。その御名のすべてにまさって あなたは仰せを大いなるものとされました。
138:3 呼び求めるわたしに答え あなたは魂に力を与え 解き放ってくださいました。
138:4 地上の王は皆、あなたに感謝をささげます。あなたの口から出る仰せを彼らは聞きました。
138:5 主の道について彼らは歌うでしょう 主の大いなる栄光を。
138:6 主は高くいましても 低くされている者を見ておられます。遠くにいましても 傲慢な者を知っておられます。
138:7 わたしが苦難の中を歩いているときにも 敵の怒りに遭っているときにも わたしに命を得させてください。御手を遣わし、右の御手でお救いください。
138:8 主はわたしのために すべてを成し遂げてくださいます。主よ、あなたの慈しみが とこしえにありますように。御手の業をどうか放さないでください。

使徒 9:19 サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、
9:20 すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。
9:21 これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」
9:22 しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。
9:23 かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、
9:24 この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。
9:25 そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。



かつてクリスチャンたちを迫害していたサウロは、イエス様と出会い、悔い改めてキリストを宣べ伝える者となったとたん、今度は自分が迫害される立場となってしまう。
しかし、彼はそのようなことはものともせず、大胆に福音を宣べ伝えていったのである。
それほどにイエス様との出会いを通して示された罪の赦し、救いの確信が強烈なものであったからなのであろう。
けれど、彼だけが特別というわけでもないだろう。
確かに彼の召しの体験は特殊なものであるかもしれないが、人それぞれにイエス様との出会いの仕方が違っているだけで、我々がイエス様と出会い、召され、人生が変えられていくことも、一人一人に特別なものである。
誰も「あなたの召しは特別だ。私とは違う」と言って、伝道者や献身者と自分は違うかのように言うのは、何かを勘違いしているのかもしれない。
「モーセは正しく、アロンは過ちを犯した」と言った風に、印象だけで物事を見ていると、本質を見誤ってしまうことになりかねない。
モーセもアロンも同じ罪人。
しかし、主なる神様は彼らを召し、そして用いられた。
どちらも過ちを犯すこともあっただろう。
後にパウロとなったサウロもまた多くの過ちを犯した。
しかし、だからこそ罪赦された者の幸いを誰よりも知っていただけに過ぎない。
私たちも、キリストの十字架によって多くの罪を赦された一人の人間として召されている。
他の誰にもできない、自分にしかできない召しを生きていきたい。