エレミヤ 1:11 主の言葉がわたしに臨んだ。「エレミヤよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。」
1:12 主はわたしに言われた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと 見張っている(ショーケード)。」
1:13 主の言葉が再びわたしに臨んで言われた。「何が見えるか。」わたしは答えた。「煮えたぎる鍋が見えます。北からこちらへ傾いています。」
1:14 主はわたしに言われた。北から災いが襲いかかる この地に住む者すべてに。
1:15 北のすべての民とすべての国に わたしは今、呼びかける、と主は言われる。彼らはやって来て、エルサレムの門の前に 都をとりまく城壁と ユダのすべての町に向かって それぞれ王座を据える。
1:16 わたしは、わが民の甚だしい悪に対して 裁きを告げる。彼らはわたしを捨て、他の神々に香をたき 手で造ったものの前にひれ伏した。
1:17 あなたは腰に帯を締め 立って、彼らに語れ わたしが命じることをすべて。彼らの前におののくな わたし自身があなたを 彼らの前でおののかせることがないように。
1:18 わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて 堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として ユダの王やその高官たち その祭司や国の民に立ち向かわせる。
1:19 彼らはあなたに戦いを挑むが 勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、救い出すと 主は言われた。
詩篇 56:1 指揮者によって。「はるかな沈黙の鳩」に合わせて。ダビデの詩。ミクタム。ダビデがガトでペリシテ人に捕えられたとき。
56:2 神よ、わたしを憐れんでください。わたしは人に踏みにじられています。戦いを挑む者が絶えることなくわたしを虐げ
56:3 陥れようとする者が 絶えることなくわたしを踏みにじります。高くいます方よ 多くの者がわたしに戦いを挑みます。
56:4 恐れをいだくとき わたしはあなたに依り頼みます。
56:5 神の御言葉を賛美します。神に依り頼めば恐れはありません。肉にすぎない者が わたしに何をなしえましょう。
56:6 わたしの言葉はいつも苦痛となります。人々はわたしに対して災いを謀り
56:7 待ち構えて争いを起こし 命を奪おうとして後をうかがいます。
56:8 彼らの逃れ場は偶像にすぎません。神よ、怒りを発し 諸国の民を屈服させてください。
56:9 あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に それが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。
56:10 神を呼べば、敵は必ず退き 神はわたしの味方だとわたしは悟るでしょう。
56:11 神の御言葉を賛美します。主の御言葉を賛美します。
56:12 神に依り頼めば恐れはありません。人間がわたしに何をなしえましょう。
56:13 神よ、あなたに誓ったとおり 感謝の献げ物をささげます。
56:14 あなたは死からわたしの魂を救い 突き落とされようとしたわたしの足を救い 命の光の中に 神の御前を歩かせてくださいます。
ルカ 19:41 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、
19:42 言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。
19:43 やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、
19:44 お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」
主なる神様に背を向け、偶像の神々を追い求めていたイスラエルの民に対し、主なる神様は預言者を遣わし、真の神のもとへ立ち返るよう神の裁きの言葉を託した。
預言者エレミヤは、神の言葉を語るよう託されたが「見張っている(ショーケード)」であるはずのところを「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。」と答えている。
エレミヤにはおぼろげには見えているが、完全にははっきりと見えてはいなかったということであろう。
それでも神はエレミヤに対し、「あなたの見るとおりだ。」と仰せられている。
神のなさることの全貌は人間にはわからないし、仮に見えたととしても部分的なところしか見えていないだろうし、間違って解釈している事も多々あるのかもしれない。
それでも主なる神様は、信じて従おうとする者を選び、用いようとなさる。
罪深い人間には、神のなさる全てのことを見通すことはできないが、語られている御言葉を頼りに生きていくなら、きっといつかは全てわかる時がくるのだろう。
自分の都合で、これは良いこと、これは悪いことと言った風にえり好みしないで、語られた言葉、起きている出来事を、そのまま受け止め、神が何を望んでおられるのか、何をしようとしておられるのかを心に抱きつつ、先が見えないのなら見えないなりに歩んで行きたい。
なにより、最後の敵である死を主イエス様が引き受けて下さっているという約束を頂いて歩むなら、なんら恐れる必要などないのだから。