こんにちは
また、霊界通信のおはなしですよ。もう十分でしょうか?
いやいやいくらでも深い次元があるのです。
ということで、霊界での祈りの姿の紹介です。
村田先生の霊界通信 第2巻 紫雲界への道
この通信は、村田先生と生前親しかった木口さんの通信です。
五井先生の序文がありますので、これもぜひ読んでください。
序 文
五 井 昌 久
霊界からの通信者である木口さんも、著者の村田さんも、私とは特に親しい人たちである。木口さんは古武士の風格をもった直情の人であった。この人が霊界にいってどう間違っても、曲った道や、低い階層にゆくわけがない、と木口さんを知っている人なら、誰にでも思わせる品格を身心に備えていた。
著者の村田さんは、統一の名人で、村田さんと一緒に坐っていると、村田さんの中に吸いこまれてゆくようで、統一が非常に楽だ、という人が多い。村田さんは霊界とこの世とをつなぐために生れてきたような人で、私の会では霊界通信の第一人者である。それに加えて人の善いこと無類で、金銭にも淡泊である。
こういう村田さんだからこそ、誤りなく霊界に自由に出入できるのでもあろう。
神のみ心に素直で、純粋な信仰者である村田さんと、曲ったことの大嫌いな、直情そのものである木口さんとの心のつながりが、スムーズに行われるということは当然なことで、この霊界通信が前巻の島田ゆうさんとは全く異なった、ダイナミックな幅広い神霊の現出となっているのもむべなるかなである。
人間は肉体が死んでも、人間そのものは永遠の生命の光の一線として、個性をもったままで生きつづけてゆくものである、という事実を、この書はドラマチックに展開してゆくのである。この霊界通信には、木口さんという霊人と、村田さんという肉体界の人間との間に、幾多の神霊が介在していて、この通信を助けているのである。
人間はこの肉体界に存在しながらも、実は神霊の世界に同時に存在しているのでありヽこの事実をはっきり身心ともに知っている人を仏とか覚者とかいうのである。
この本をお読みになる皆さんも、本を読んでいる肉体身と同時に、霊界で働いているあなた自身があることを、次第に知ってゆくようになることであろう。
人間は神の分生命であって、久遠の生命そのものであることを知ることこそ、死の恐怖を超え得る唯一の道なのであることを、この本を読まれて是非皆さんのものにしていただきたいと、切に思うものである。
昭和四十六年三月末日記
目 次
は じ め に …………………………………………………………………………………7
生から死へ………………………………………………………………………………………16
霊界移行の準備 死は睡りと違わない 鴬の声に導かれて 道を急ぐ
霊界の伽藍 霊人と共に統一行 霊界に移行する時の心境
御手に救われている有難さ 霊界と現世との相違 旧友にお会いする
座 観 の 場 ………………………………………………………………………………52
座観の場の修業 統一行のくりかえし 統一行について 本心の自分と無数
の個の自分 救いの力 得難い宝 ″個″の座の修行を終える
神界に昇れるまでのテスト 神界へ昇る 光明につながる縁
国魂の宮………………………………………………………………………………………86
大調和の天地 全託ということ 不思議な石塔 照心の塔
壮麗なる社殿 白衣の霊人 浄霊の一喝
紫 雲 界……………………………………………………………………………………109
神々の祝福 大いなる父の心 すべてみ心のうつし
幸いなるかな神々に祝福されたる友よ
霊 界 談 話
第一話 死の関門……………………………………………………………………………123
第二話 肉体離脱のこと……………………………………………………………………131
肉体の離脱する時 指導霊の愛 霊要素と睡眠
夢はすべて業の消えてゆく姿
第三話 霊界移行さまざま…………………………………………………………………142
人生は長編のドラマ 或る金物商店主の死 或る老婆の場合
或る剣道一筋の人
第四話 執着の愛情と魂の進化……………………………………………………………154
愛と情 子供の霊界 誤てる愛情は執着となる 若き母親の執念
僧侶の役目
第五話 さまざまな死後の世界……………………………………………………………173
人間の不可思議さ 地獄に降りる 唯物主義者の転落する世界
或る無神論者の姿 北海道の霊界の特異性 偽善者の行く世界
木口武之亮さんの霊界通信 座観の場より
私は現世で教えられた世界平和の祈りをただ一所懸命しておりました。″世界人類が平和でありますように″と心の中で深く思うと同時に、私の意識はスーツとどこかへ消えてしまいました。霊体がどこか空の高い高い大奥に、吸いこまれるように引揚げられてゆくのをチラリと私は感じました。そして眼の前が火の玉のように輝いていくのでした。そしてその火の玉はしだいに大きな円光と変ってゆきました。火の玉も、赤黄色から、真黄金色、そして黄白色にとしだいに移り変ってゆくのが、実に鮮やかに感じられてゆくのですよ。私の心は眼前の変化しながら展開されてゆく円光の中に、まるで吸収されるようになんの雑念など起る余裕がありませんでした。
大円光は白黄色の中心から太陽の如く、無礙光を尽十方に放射しています。その輝きというのは、一定の光が絶えず放たれておるというんでなくて、物凄いほど微妙な波動が間断なく放射されて、その流れが強弱大小の波となって、中心から外部へ円形の波がしだいに拡がっては、無限の彼方へと拡がってゆくのです。その様はなんと表現したなら理解していただけるでしょうな?
私はこのような不思議な現象を今迄見たことはありませんでした。私は一切を忘れて、眼前の絶妙荘厳な光輝の中へ溶けこんで行くのでした。
その時、円光の中心の白黄色の部分が、真円であったのが楕円形に変ってゆきました。そして二つの渦のように回りながら輝く中心体が現われ、二つの中心は霊人の眼と変ってゆきました。その眼を見ていたら、いい知れぬ懐かしさ親しさが湧き上ってきました。そして顔の輪郭もあざやかに現われたのは、五井先生のお顔でありました。先ほどは大勢の雲人たちの中心に立って、統御していて下さった五井先生が、今は私一人の前にお姿を現わして下すったんで、私は思わず眼頭の熱くなってゆくのを感じながら、無意識のうちに如来印を組み、世界平和の祈り言が板の間を玉を転がすように飛び散るのを、チラと感じただけで、後はもう胸がいっぱいになって、何も申し上げることができませんでした。
或る無神論者の姿
その間私の意識は消されていました。気がついた時は薄暗い広野の中を歩いていました。西も東も見当がつかなかった。行けども行けども雑草が大きく伸びて、木々がところどころにありました。私はどれだけ歩いたのかわかりませんでした。薄暗い広野の中を一人歩きつづける時ほど心細いものはありません。次第に心があせり出すのでありました。
それにつれて体が疲労して行くのをどうすることもできませんでした。
大きくためいきをつこうとした時でした。一人の男の人が小躍りするような喜び方をしながら飛びついてきました。
私は咄嵯にその霊人のからむ手を払いのけ、向い合ってよく見ると、全く幽鬼そのものの様相です。やせ細った頬、くぼんだ目、ボロボロに裂かれた着物、髪は長く伸び放題となって、見るからに顔をそむけたくなる姿でした。
その霊人は眼を輝かせながら話し出しました。
「私はこの世界にきてから何年たったかわからない。初めのうちは一生懸命何かに行き着くだろうと思って、この広野を求め求めかけずり廻ったが、猫の子一匹にも出会わなかった。そのうちに腹は空く、喉は乾く、疲労困憊の末その場に倒れてしまった。気がついた時体は死人のように冷たくなっていたのに驚いて再び歩き出した。いくら行っても果のない広い野原を歩き廻る時の心細さ、人間って一人では決して暮せないものであることをこれほど深く味わったことはなかった。淋しくて淋しくて骨髄の芯まで沁みるように淋しさがこみ上げてくるのを、どうすることもできなかった。そのうちまた再び倒れてしまった。そうしてどれだけ倒れては歩き、また歩いては倒れるのを繰返しただろう。そのうちに眼先に螢火のようなかすかな明りを見出したんだ。この時の嬉しさは天にも昇るような喜びだった。だがついにその正体をつかむことができず今日になったのだが、今日はその明りの正体を捕えることができたのだ。 あなたに会ってこれほど嬉しいことはない。私はあなたから決して離れることはない。放そうとしても私はあなたを放さない。そうでしょう。放せると思えますか」
感激して話す言葉はとぎれとぎれ、両眼からは涙をポロポロこぼしつづけるのでした。
「よくわかりました。私がいい世界へ連れて行って上げます。これから神様をお呼びしましょう」
「神様ですって? 神様が真実おられるのでしたなら、私がこうして苦しんでいるのにどうして救いにきてくれないのでしょうか?」
「あなたは神様! と一心にお呼びしたことがありましたか?」
「私は無神論者であって、神様なんてないものと思っております」
「ですから、こうした世界に転落して神仏の実在を知り得るまで修業をせねばならなかったのです。人間は、ポツンと一人で暮せるものではない。神仏のご加護と、人々の愛念愛行のおかげで暮して行けるものです」
「その神様をどうしてわからせてもらえましょうか?」
「それでは私がこれから神様をお呼びするから、それをよく心に止めて置きなさい。神様を知ることが素晴しい世界へ昇る根本のことであり、神様を否定する想念を出した時は、再びこの広野での苦業が続くものであることを忘れないように」
差し出した私の手を締付けるように固くにぎった手の、氷のような冷たさと幽気が、私の手から伝わっては消えて行きました。
私は一生懸命五井先生と呼びつづけました。背後で柏手が鳴るのと同時でありました。黄金色の輝きがあたりを包んでしまいました。私の手を固くにぎったその霊は、驚きのあまり子供のように小さくなって、丸く縮み上っていました。
気がついた時私は五井先生のもとに帰っていました。幸せなその霊人は、次の修業の場に移されたことは申すまでもありません。
上記の文章は、ほんの一例ですが、霊界の上位に移行された方の通信です。あちらに移行すると、あらゆる角度から学びの場が用意されていることがわかります。
また、「神は存在しない」という信念を持っている人、無神論者ですが、アランカルデック氏の霊界通信とまったく同じ状況が描写されています。これも参考になります。
通して読むと、守護の神霊が、その愛念ゆえに、魂の子孫を手取り足取り教育してくださっていることがよくわかります。魂の親とは本当にありがたいものです。
ぜひ、全編をお読みください。
高倉健さん、菅原文太さんと、昭和の名優さんがどんどん移行されてゆきます。
人間は、誰しもあちらに移行してゆきます。
金も地位も名誉も財産もあの世には持ってゆけません。魂の輝き、磨きをかけた智慧、才能、能力がその人の往く世界を決めます。
生きている内にできるだけたくさん陰徳を積んで、才能を磨いて、常に心の準備、魂の準備をしておきましょう。
世界人類が平和でありますように
すべての人が輝く世界に移行できますように
ここしばらく霊界通信の記事ばかりですが、自分の理解とまったく合致した内容で、やはり古今東西関係なく、常に生命の法則が同じであることを確認したのでした。
しかし、以前紹介してきた霊界通信が、相当古い時代のものであり、また西洋の文化、キリスト教の文化の中で育った霊魂の通信ばかりでしたので、日本人ではどういう世界に移行するか、まだサンプル不足という感があります。
また、霊界での祈りの姿がわかりにくにということもあります。
霊界通信では、神にすがる気持ちになって、真剣に祈ったらパーと光がさして、天使が現れるという情景がよく描写されていましたが、それなら世界平和の祈り・・「世界人類が平和でありますように」と祈ったらどうなるのか?
そういう疑問がわいてくると思います。
五井先生は
「この祈りは、私と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。あらゆる階層、あらゆる波動の世界を調和させるのが世界平和の祈りなのです」
ということを常におっしゃってましたが、はたして霊界ではどうなのか?
そういうお話です。
霊界での世界平和の祈りの姿
また村田正雄先生の霊界通信第3巻・・柳生六郎さんの霊界通信でも描写されておりますので、参考になりましたら幸いです。
神界との約束事
「こうしてお話ししてくると、余りにも規模が大きくて理解され難いものなので、ただ私たちにわかることというのは、大神様と五井先生との約束事で、世界平和を祈る所には必ず救世の大光明が働いて、祈る人たちを浄化して下さるということです。世界平和と救世の大霊団、五井先生は、表裏一体と考えてもよいと私は思う。救世の大霊団を通して働く平和の祈りが、私たちの世界平和の祈りなのであり、その救世の大霊団の中心の場こそ、五井先生なんです。だから五井先生の提唱なさる世界平和の祈りこそ、天地を貫いた素晴しい大光明の伴った真実の世界平和のお祈りなんです。
祈りの言葉が同じならば、その内容も全く同じだろうと考えるのは大きな誤りです。だから救世の大霊団を通して伝わってくる世界平和のお祈りでなければならないのです。
五井先生が大神様と約束された約束事なんだ。どういう約束だがそれは私たちにはわからないが、無限数に近い段階を経て流れてくる大光明を通す場の在り方……といってしまいましたが、この表現は正しいとはいえません。……(少し考えて)……実際に世界平和のお祈りをするときに、素晴しい大円光が輝くのです。それは現世でも多くの人々が体験されておるように、霊界でも全く同じことであります。かつてなく神々の大結集された大霊光に浴することのできるのは、五井先生の提唱なさる世界平和のお祈りによって初めて得られるものであります。
私たちは世界平和の祈りを繰返していくうちに、五井先生と、大神様との約束事が少しづつわからせていただくような気がします。各場を通してくる大光明の流れが、大変に通り易くなっておるんじゃないかと思います。それでいて余り真直ぐに通ってきたならば、光明力の凄さに私たちはその場に転倒してしまうでしょう。
そのような急激な変化がなくて、しかも真直ぐに通り易くなる場の在り方を与えてくれるのは、他の霊団では容易になしうるところではありません。これはどうやって話してよいかわかりません。私たちがお祈りをするたびごとに実在して現われておるもんなんです。つまり『お約束』なのです」
このお話を信じるか信じないかお任せいたしますが、あちらへ移行されましたら、ためしに「世界人類が平和でありますように」と祈ってみたら、その時にわかると思います。
「これは本当だろうな、五井先生のような大人格者、霊覚者がそうおっしゃるのだから間違いないだろう。生きている間に、実感できなくても1日3000回くらい祈ってみよう」、という感じでもいいと思います。
お好きなように。
世界人類が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
すべての御霊が浄まり神界へ導かれ光り輝きますように
しかし、以前紹介してきた霊界通信が、相当古い時代のものであり、また西洋の文化、キリスト教の文化の中で育った霊魂の通信ばかりでしたので、日本人ではどういう世界に移行するか、まだサンプル不足という感があります。
また、霊界での祈りの姿がわかりにくにということもあります。
霊界通信では、神にすがる気持ちになって、真剣に祈ったらパーと光がさして、天使が現れるという情景がよく描写されていましたが、それなら世界平和の祈り・・「世界人類が平和でありますように」と祈ったらどうなるのか?
そういう疑問がわいてくると思います。
五井先生は
「この祈りは、私と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。あらゆる階層、あらゆる波動の世界を調和させるのが世界平和の祈りなのです」
ということを常におっしゃってましたが、はたして霊界ではどうなのか?
そういうお話です。
霊界での世界平和の祈りの姿
また村田正雄先生の霊界通信第3巻・・柳生六郎さんの霊界通信でも描写されておりますので、参考になりましたら幸いです。
神界との約束事
「こうしてお話ししてくると、余りにも規模が大きくて理解され難いものなので、ただ私たちにわかることというのは、大神様と五井先生との約束事で、世界平和を祈る所には必ず救世の大光明が働いて、祈る人たちを浄化して下さるということです。世界平和と救世の大霊団、五井先生は、表裏一体と考えてもよいと私は思う。救世の大霊団を通して働く平和の祈りが、私たちの世界平和の祈りなのであり、その救世の大霊団の中心の場こそ、五井先生なんです。だから五井先生の提唱なさる世界平和の祈りこそ、天地を貫いた素晴しい大光明の伴った真実の世界平和のお祈りなんです。
祈りの言葉が同じならば、その内容も全く同じだろうと考えるのは大きな誤りです。だから救世の大霊団を通して伝わってくる世界平和のお祈りでなければならないのです。
五井先生が大神様と約束された約束事なんだ。どういう約束だがそれは私たちにはわからないが、無限数に近い段階を経て流れてくる大光明を通す場の在り方……といってしまいましたが、この表現は正しいとはいえません。……(少し考えて)……実際に世界平和のお祈りをするときに、素晴しい大円光が輝くのです。それは現世でも多くの人々が体験されておるように、霊界でも全く同じことであります。かつてなく神々の大結集された大霊光に浴することのできるのは、五井先生の提唱なさる世界平和のお祈りによって初めて得られるものであります。
私たちは世界平和の祈りを繰返していくうちに、五井先生と、大神様との約束事が少しづつわからせていただくような気がします。各場を通してくる大光明の流れが、大変に通り易くなっておるんじゃないかと思います。それでいて余り真直ぐに通ってきたならば、光明力の凄さに私たちはその場に転倒してしまうでしょう。
そのような急激な変化がなくて、しかも真直ぐに通り易くなる場の在り方を与えてくれるのは、他の霊団では容易になしうるところではありません。これはどうやって話してよいかわかりません。私たちがお祈りをするたびごとに実在して現われておるもんなんです。つまり『お約束』なのです」
このお話を信じるか信じないかお任せいたしますが、あちらへ移行されましたら、ためしに「世界人類が平和でありますように」と祈ってみたら、その時にわかると思います。
「これは本当だろうな、五井先生のような大人格者、霊覚者がそうおっしゃるのだから間違いないだろう。生きている間に、実感できなくても1日3000回くらい祈ってみよう」、という感じでもいいと思います。
お好きなように。
世界人類が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
すべての御霊が浄まり神界へ導かれ光り輝きますように
『ワードの死後の世界』
前半は、ワード氏と亡くなった叔父さんとの霊界通信で、普通の人が行く幽界というところの情景です。
まずは、自分の生前の想念行為をすべて見せられることから修行がはじまってゆきます。
『それを幻影と言ったが、実は、みな実態があるのじゃ。しかもじゃ、よく見ると、それが皆わしの生涯〔地上時代〕の出来事じゃ。それが映画のように、目の前に再現される。どんな小さな事も一つも省〔はぶ〕かれることなく、しかも、それが何の順序連絡もなしに、いっせいにパッと展開する。いやその時の、恥ずかしさ辛さ苦しさ。わしは赤面で、満身から血が吹き出す思いで、幾百千年もそうやっているようじゃった。
と、その時、わしの心に、天来の福音がひらめいた「祈ってみよう」。
そうじゃ、わしは生まれて初めて、神に祈る気を起こした。で、一心不乱に、神に祈りを捧げた。するとどうじゃ、あれほど混沌〔こんとん〕していた背景が、自然に整理され、類別されていく。そして、とうとうしまいには、年代順に並べられて、まるで一つの街道のようになった。で、その街道が、先へ先へとつづいて、行先は神の裁きの庭(にわ)に達するというあんばいじゃ。』
いつも五井先生が説いてくださっているそのままの情景です。
信仰があるかないかで、行く世界がかなり違ってきます。
また、守護霊や守護神の存在を信じている、祈りの意味、意義、働きを知っているかどうかで、これも行く世界がかなり違ってきます。
この本もすばらしい教養書だと思います。
次に後半ですが、20世紀はじめ、イギリスの陸軍士官が地獄で体験したことを自分の言葉(表現)で解説している霊界通信です。よっぱらってバスに轢かれて死んでから、地獄のそこまで落ち、そこで改心し、また地獄の入り口まで戻ってきた霊人の物語です。
この通信も非常にためになるお話がいっぱいで、霊界の法則、祈りや守護の神霊の導きの大切さがわかりやすく語られています。とても参考になります。
こういう通信を読んでいると、霊界に移行した人が、「生きている間に、死後にも意識があるんだよ。自業自得という法則があるんだよ。だから肉体を持っている間に、できるだけ人のためになること、世の中のためになることをして、高い霊界に行けるようにならないとだめだよ」ということを伝えたくて、霊媒体質の人に働きかけている、ということがよくわかります。
あと20年もすると楽々と霊界通信ができるようになり、死という言葉は死語になり、人間の本質が霊性であり、自由自在であり、創造力そのものであり、光そのものである、ということが常識になっていると思います。
霊界の人は、肉体を持って苦労している我々を見捨ててはいません。なんとかして正しい道に導こうと苦心、工夫してくださっていることがよくわかります。
ぜひお読みください。
世界人類が平和でありますように
すべての人の天命がまっとうされますように
死んでる人も生きてる人も、皆その命が活き活きと輝きますように
前半は、ワード氏と亡くなった叔父さんとの霊界通信で、普通の人が行く幽界というところの情景です。
まずは、自分の生前の想念行為をすべて見せられることから修行がはじまってゆきます。
『それを幻影と言ったが、実は、みな実態があるのじゃ。しかもじゃ、よく見ると、それが皆わしの生涯〔地上時代〕の出来事じゃ。それが映画のように、目の前に再現される。どんな小さな事も一つも省〔はぶ〕かれることなく、しかも、それが何の順序連絡もなしに、いっせいにパッと展開する。いやその時の、恥ずかしさ辛さ苦しさ。わしは赤面で、満身から血が吹き出す思いで、幾百千年もそうやっているようじゃった。
と、その時、わしの心に、天来の福音がひらめいた「祈ってみよう」。
そうじゃ、わしは生まれて初めて、神に祈る気を起こした。で、一心不乱に、神に祈りを捧げた。するとどうじゃ、あれほど混沌〔こんとん〕していた背景が、自然に整理され、類別されていく。そして、とうとうしまいには、年代順に並べられて、まるで一つの街道のようになった。で、その街道が、先へ先へとつづいて、行先は神の裁きの庭(にわ)に達するというあんばいじゃ。』
いつも五井先生が説いてくださっているそのままの情景です。
信仰があるかないかで、行く世界がかなり違ってきます。
また、守護霊や守護神の存在を信じている、祈りの意味、意義、働きを知っているかどうかで、これも行く世界がかなり違ってきます。
この本もすばらしい教養書だと思います。
次に後半ですが、20世紀はじめ、イギリスの陸軍士官が地獄で体験したことを自分の言葉(表現)で解説している霊界通信です。よっぱらってバスに轢かれて死んでから、地獄のそこまで落ち、そこで改心し、また地獄の入り口まで戻ってきた霊人の物語です。
この通信も非常にためになるお話がいっぱいで、霊界の法則、祈りや守護の神霊の導きの大切さがわかりやすく語られています。とても参考になります。
こういう通信を読んでいると、霊界に移行した人が、「生きている間に、死後にも意識があるんだよ。自業自得という法則があるんだよ。だから肉体を持っている間に、できるだけ人のためになること、世の中のためになることをして、高い霊界に行けるようにならないとだめだよ」ということを伝えたくて、霊媒体質の人に働きかけている、ということがよくわかります。
あと20年もすると楽々と霊界通信ができるようになり、死という言葉は死語になり、人間の本質が霊性であり、自由自在であり、創造力そのものであり、光そのものである、ということが常識になっていると思います。
霊界の人は、肉体を持って苦労している我々を見捨ててはいません。なんとかして正しい道に導こうと苦心、工夫してくださっていることがよくわかります。
ぜひお読みください。
世界人類が平和でありますように
すべての人の天命がまっとうされますように
死んでる人も生きてる人も、皆その命が活き活きと輝きますように
このお話は、仏教でいう因縁因果を見事に描写しているので、生命の法則、カルマの法則がどう働いているか、非常に参考になると思います。
どんな小さな出来事にも原因があり、そうなるべくしてそうなっている、ということがわかります。お医者さんで、もし愛のない態度で患者に対している人がいると、来生は非常に厳しいものになるでしょう。もしお医者さん、また治療に携わっている人で、このブログを見てくださっているなら、ぜひ参考にしていただき、「神様・・どうか深い私でありますように、この方の命がより輝くために、少しでもお役に立たせていただけますように」というような祈りをベースとした生活をしていただきますようにお願いします。
また、五井先生のおはなしでも、因縁因果について詳しく解説してくださっているところがありますので、そちらの講話も合わせて聞いていただくと、「なるほどな」ととてもよく理解できると思います。
五井先生は、個人相談で1日700人くらいの人とお会いになり、指導とお浄めをされていた時期がありました。対座する人の過去世、またその人の口からでる名前の人の過去世を見ながら、今生の心をあり方、境遇の受け止め方など、細かに指導されている様子がわかります。
ある野心的な医者の転生
≪ボルッドーのB夫人は、経済的苦境には陥らなかったものの、生涯を通じて、無数の病気にかかり、大変な肉体的苦痛をこうむった。
生後五ヶ月のときに始まり、その後の六十年間というもの、ほとんど毎年、重病にかかっては、死の一歩手前まで行った、いかがわしい医者から、三度、あやしい薬を飲まされたこともあり、病気によってだけではなく薬によっても彼女の健康は害され、生涯を終えるまで、耐えがたい苦しみに悩まされて、それを和らげるすべはなかった。
キリスト教徒であり、霊実在主義者でもあり、また霊媒でもあった彼女の娘が、祈りの中で、神に、「母親のひどい苦痛を和らげてください」とお願いしたことがある。すると、指導霊が出てきて、「むしろ、母親が、諦念(ていねん)と忍耐心をもって苦しみに耐える力を得ることができるよう、神様にお願いしなさい」と言い、さらに、次のようなメッセージを伝えてきた≫
(指導霊)「地上においては、すべてに意味があります。あなたが原因となって他者に味わわせた苦しみは、必ず、ブーメランのように、あなたのところへ戻ってくるようになっているのです。何かを浪費すれば、必ず不足に悩まされます。あなたが流す涙は、どの涙も、ある過ちを、あるいは、ある罪を洗い流すものであるのです。
したがって、どのような、肉体的、精神的苦痛であろうと、諦念をもって耐え忍びなさい。身を粉(こ)にして、休むことなく働きつづける農夫には、その根気に対するほうびとして、黄金色に輝く、山のような麦の穂が与えられるのです。これが、地上において悩み苦しむ人間の運命なのです。忍耐の結果、得られる、素晴らしい収穫を心に描けば、人間生活に付きものの、たまゆらの苦労など、簡単に乗り越えることができるのです。
あなたのお母さんに起こっていることも同じです。苦しみの一つひとつが、彼女が過去に犯した罪に対する贖(あがな)いとなっているのです。そうした罪を早く消し去れば消し去るほど、幸福が早く訪れます。諦念とともに耐え忍ばない場合、苦痛は不毛なものとなるでしょう。つまり、もう一度、経験しなければならなくなるのです。したがって、彼女にとって、いまいちばん必要なのは、勇気と素直さなのです。それこそ、神、そして高級諸神霊に対し、与えてくださいとお願いすべきでしょう。
あなたのお母さんは、ある過去世で男性として生まれ、たいへん裕福な人々を相手に医者をしていました。彼らは、『健康のためならお金に糸目は付けない』という人々であったので、この医者は、経済的に非常に恵まれ、また、素晴らしい名声も得ました。
栄光と富に対して野心を抱いていたので、彼は、医学界の頂点を極めようとしました。ただし、『同胞たちを救いたい』という思いからそうしたのではなくて、ただ単に、さらなる名声を得たいがためにそうしたにすぎませんでした。しかし、金持ちの患者に恵まれていたので、そうした目的を達成することには何の困難もありませんでした。
そして、そのために、とうてい考えられないような、ひどい実験を繰り返したのです。痙攣(けいれん)を研究するために、ある母親に、わざと、ある薬を飲ませて痙攣を起こさせ、この母親を、苦しみのうちに死に至らしめました。ある病気の治療薬を見つけるために、子供を使って残酷な実験を行いました。また、ある年寄りが、実験によって命を縮めました。屈強な男が、ある飲み薬の効果を確かめる実験によって、見るも哀れな病人になりました。そして、実験は、すべて、何の疑いも持っていない患者たちに対して行われたのです。
貪欲と傲慢、名声への渇望(かつぼう)が、その動機のすべてでした。
この霊が、ようやく悔悟(かいご)の心を持てるようになるまでには、死後、何世紀にもわたって、恐るべき試練にさらされる必要がありました。そして、それから、ようやく再生のための贖(あがな)いが開始されました。今回の人生の試練は、それまでに体験したことに比べれば、まだまだ楽であると言えるのです。
したがって、今世は、勇気をもって、そうした試練に耐えなければなりません。苦しみはひどく、また長いかもしれませんが、忍耐強く、諦念をもって、謙虚に耐え忍んでください。そうすれば、それに対する報いは大きなものとなるのです。
苦しんでいる人々よ、どうか勇気を持ってください。物質世界での生活など、ほんの一瞬なのです。その後に待っている永遠の喜びを、どうか思い描いていただきたいのです。
希望という友に呼びかけないさい。そうすれば、希望は、必ず、苦しみを和らげに、あなたのそばに来てくれます。希望の姉である信仰にも呼びかけなさい。信仰は、天国をかいま見せてくれるでしょう。そして、希望があれば、より容易に天国に入れるのです。
さらに、天使たちを送ってくださるように、神様にお願いしなさい。天使たちは、あなたを囲み、あなたを支え、あなたを愛してくれるでしょう。天使たちの、変わることのない思いやりに励まされて、あなたが、その法を犯し、冒涜(ぼうとく)した神様のところへと、再び戻ることが可能となるのです」
≪B夫人は、死後、娘、そしてパリ霊実在主義協会に霊示を送ってきた。それは、たいへん卓越した内容のものであったが、そこで、彼女は、指導霊によって明かされた自分の前歴をすべて認めた≫
どんな小さな出来事にも原因があり、そうなるべくしてそうなっている、ということがわかります。お医者さんで、もし愛のない態度で患者に対している人がいると、来生は非常に厳しいものになるでしょう。もしお医者さん、また治療に携わっている人で、このブログを見てくださっているなら、ぜひ参考にしていただき、「神様・・どうか深い私でありますように、この方の命がより輝くために、少しでもお役に立たせていただけますように」というような祈りをベースとした生活をしていただきますようにお願いします。
また、五井先生のおはなしでも、因縁因果について詳しく解説してくださっているところがありますので、そちらの講話も合わせて聞いていただくと、「なるほどな」ととてもよく理解できると思います。
五井先生は、個人相談で1日700人くらいの人とお会いになり、指導とお浄めをされていた時期がありました。対座する人の過去世、またその人の口からでる名前の人の過去世を見ながら、今生の心をあり方、境遇の受け止め方など、細かに指導されている様子がわかります。
ある野心的な医者の転生
≪ボルッドーのB夫人は、経済的苦境には陥らなかったものの、生涯を通じて、無数の病気にかかり、大変な肉体的苦痛をこうむった。
生後五ヶ月のときに始まり、その後の六十年間というもの、ほとんど毎年、重病にかかっては、死の一歩手前まで行った、いかがわしい医者から、三度、あやしい薬を飲まされたこともあり、病気によってだけではなく薬によっても彼女の健康は害され、生涯を終えるまで、耐えがたい苦しみに悩まされて、それを和らげるすべはなかった。
キリスト教徒であり、霊実在主義者でもあり、また霊媒でもあった彼女の娘が、祈りの中で、神に、「母親のひどい苦痛を和らげてください」とお願いしたことがある。すると、指導霊が出てきて、「むしろ、母親が、諦念(ていねん)と忍耐心をもって苦しみに耐える力を得ることができるよう、神様にお願いしなさい」と言い、さらに、次のようなメッセージを伝えてきた≫
(指導霊)「地上においては、すべてに意味があります。あなたが原因となって他者に味わわせた苦しみは、必ず、ブーメランのように、あなたのところへ戻ってくるようになっているのです。何かを浪費すれば、必ず不足に悩まされます。あなたが流す涙は、どの涙も、ある過ちを、あるいは、ある罪を洗い流すものであるのです。
したがって、どのような、肉体的、精神的苦痛であろうと、諦念をもって耐え忍びなさい。身を粉(こ)にして、休むことなく働きつづける農夫には、その根気に対するほうびとして、黄金色に輝く、山のような麦の穂が与えられるのです。これが、地上において悩み苦しむ人間の運命なのです。忍耐の結果、得られる、素晴らしい収穫を心に描けば、人間生活に付きものの、たまゆらの苦労など、簡単に乗り越えることができるのです。
あなたのお母さんに起こっていることも同じです。苦しみの一つひとつが、彼女が過去に犯した罪に対する贖(あがな)いとなっているのです。そうした罪を早く消し去れば消し去るほど、幸福が早く訪れます。諦念とともに耐え忍ばない場合、苦痛は不毛なものとなるでしょう。つまり、もう一度、経験しなければならなくなるのです。したがって、彼女にとって、いまいちばん必要なのは、勇気と素直さなのです。それこそ、神、そして高級諸神霊に対し、与えてくださいとお願いすべきでしょう。
あなたのお母さんは、ある過去世で男性として生まれ、たいへん裕福な人々を相手に医者をしていました。彼らは、『健康のためならお金に糸目は付けない』という人々であったので、この医者は、経済的に非常に恵まれ、また、素晴らしい名声も得ました。
栄光と富に対して野心を抱いていたので、彼は、医学界の頂点を極めようとしました。ただし、『同胞たちを救いたい』という思いからそうしたのではなくて、ただ単に、さらなる名声を得たいがためにそうしたにすぎませんでした。しかし、金持ちの患者に恵まれていたので、そうした目的を達成することには何の困難もありませんでした。
そして、そのために、とうてい考えられないような、ひどい実験を繰り返したのです。痙攣(けいれん)を研究するために、ある母親に、わざと、ある薬を飲ませて痙攣を起こさせ、この母親を、苦しみのうちに死に至らしめました。ある病気の治療薬を見つけるために、子供を使って残酷な実験を行いました。また、ある年寄りが、実験によって命を縮めました。屈強な男が、ある飲み薬の効果を確かめる実験によって、見るも哀れな病人になりました。そして、実験は、すべて、何の疑いも持っていない患者たちに対して行われたのです。
貪欲と傲慢、名声への渇望(かつぼう)が、その動機のすべてでした。
この霊が、ようやく悔悟(かいご)の心を持てるようになるまでには、死後、何世紀にもわたって、恐るべき試練にさらされる必要がありました。そして、それから、ようやく再生のための贖(あがな)いが開始されました。今回の人生の試練は、それまでに体験したことに比べれば、まだまだ楽であると言えるのです。
したがって、今世は、勇気をもって、そうした試練に耐えなければなりません。苦しみはひどく、また長いかもしれませんが、忍耐強く、諦念をもって、謙虚に耐え忍んでください。そうすれば、それに対する報いは大きなものとなるのです。
苦しんでいる人々よ、どうか勇気を持ってください。物質世界での生活など、ほんの一瞬なのです。その後に待っている永遠の喜びを、どうか思い描いていただきたいのです。
希望という友に呼びかけないさい。そうすれば、希望は、必ず、苦しみを和らげに、あなたのそばに来てくれます。希望の姉である信仰にも呼びかけなさい。信仰は、天国をかいま見せてくれるでしょう。そして、希望があれば、より容易に天国に入れるのです。
さらに、天使たちを送ってくださるように、神様にお願いしなさい。天使たちは、あなたを囲み、あなたを支え、あなたを愛してくれるでしょう。天使たちの、変わることのない思いやりに励まされて、あなたが、その法を犯し、冒涜(ぼうとく)した神様のところへと、再び戻ることが可能となるのです」
≪B夫人は、死後、娘、そしてパリ霊実在主義協会に霊示を送ってきた。それは、たいへん卓越した内容のものであったが、そこで、彼女は、指導霊によって明かされた自分の前歴をすべて認めた≫
天国と地獄 アラン・カルデック
http://www5.ocn.ne.jp/~sl1848sb/newpage89.html
この霊界通信では、肉体を持っていたときに様々な生き方をしてきた霊魂を招霊して、生前の生活、肉体を離れた後の生活についてのケーススタディーになっています。
とても参考になり、学ぶことが多いです。
以下の内容です。
目次
第二部 天国霊・地獄霊からの通信の記録
第一章 幸福に暮らす霊
サンソン氏――死後の招霊を希望していた男性
シドゥニエ――事故で溺死した霊媒
寡婦フロン夫人――失明した細密画家
伯爵夫人ポーラ――恵まれない人々を助けた女性
アントワーヌ・コストー――心優しき舗装工
エマ嬢――火事に遭って亡くなった女性
ヴィニャル博士――生前に幽体離脱した男性
モーリス・コントラン――胸の病気で亡くなった一人息子
第二章 普通の心境の霊
ジョゼフ・ブレ――孫娘に招霊された男性
エレーヌ・ミシェル嬢――突然に死亡した女性
アンナ・ベルヴィル――長く病気に苦しんだ若い母親
第三章 苦しんでいる霊
オーギュスト・ミッシェル――金持ちの青年
ウラン王太子――ロシアの貴族
フェルディナン・ベルタン――海難事故の犠牲者
フランソワ・リキエ――けちくさい独身の中年
クレール――極端なエゴイスト
第四章 自殺した人の霊
公衆浴場で自殺した身元不明の男性
微兵適齢の息子を持った父親
ルーヴェ・フランソワ=シモン――身投げをした男性
息子の後追い自殺をした母親
義務にそむかないために情死した二人
第五章 後悔する犯罪者の霊
ヴェルジュ――パリの大司教を殺した神父
ブノワ――僧たちを迫害した聖職者
ジャック・ラトゥール――殺人の咎で死刑になった男性
第六章 強情な霊
ラポムレー――光による懲罰を受ける男性
アンジェル――まったく意味のない人生を送った女性
女王ドゥード――フランスで死亡したインド人
第七章 この世で過去世(かこぜ)の償いをした霊
マルセル――高貴な感情を持つ子供
物乞いのマックス
主人に献身的に仕えた召使い
ある野心的な医者の転生
ジョゼフ・メートル――苦難に襲われた男性
◆?アラン・カルデック『霊との対話(天国と地獄Ⅱ)』
第一部 生前の生き方が、死後の行き先を決める
――天国霊・地獄霊の人生ケーススタディー
第一章 天国で喜びを謳歌(おうか)する霊
安らぎに満ちた死の瞬間――ジョルジュ
死後も霊実在論の普及に情熱を燃やす幸福――ジョベール氏
苦難の人生を終えて得た希望――サミュエル・フィリップ氏
永遠のただなかで生きる喜び――ヴァン・デュルスト氏
死後も友の健康を気遣う医者――ドゥムール氏
つらいときには私を呼んでください――ロシア人の医者
十五世紀に生きた農奴の霊界での仕事――ベルナルダン
霊実在論の発展を予告する作家の霊――ジャン・レイノー
二十歳で病死した水先案内人――ヴィクトール・ルビュフル
荒れくれ労働者一家に生まれた人生の意味――アナイス・グルドン夫人
第二章 天国と地獄のあいだにいる霊
死の直前に起きた驚くべき現象――サン・ポール侯爵
無神論の信念を打ち砕いた臨死体験――医師カルドン氏
苦しみの世界から解き放たれたときの幸福感――エリック・スタニスラス
第三章 地獄で苦しむ霊
エゴイスティックな霊への懲罰――ジョルジュ
容赦のない光に照らし出される生前の罪――ノヴェル
快楽の追及に人生を費やした、ある遊び人の後悔
傲慢は、猛毒を吐く百頭の蛇――リスベット
祈りは死後の苦痛を和らげる――パスカル・ラヴィック
第四章 自殺後の試練を受ける霊
婚約者の不実に激して自殺した男性――ルイと縫い子
高学歴の無神論者の霊の苦しみ――J・D氏
破産が原因で自殺した男性の霊――フェリシアン氏
前世で犯した罪の記憶に苛まれて自殺した男の霊――アントワーヌ・ベル
第五章 悔い改める犯罪者の霊
斬首刑の直後に見えたもの――ルメール
ある屋敷に二百年居座る地縛霊の正体 ――カステルノダリーの怪物
第六章 みずからの怠慢と強情に苦しむ霊
怠惰な人生に対する「退屈」という罰――無為に生きた霊
地獄の拷問で苦しんでいる男の霊――クシュメーヌ
第七章 厳しい人生の試練を経験した霊
自分がしてもらいたいことを他の人にせよ――スジメル・スリズゴル
障害と貧困の生涯から学んだこと――ジュリエンヌ=マリ
生きたまま埋葬された男性――アントニオ・B氏
沸騰したニスを全身に浴びて亡くなった男性――レティル氏
知的障害があっても霊には正常な思考力がある――シャルル・ド・サン=G
主人への献身のうちに生涯を閉じた女中――アデライド=マルグリット
四歳で肢体不自由となり、十歳で亡くなるという経験について――クララ・リヴィエ
謙虚さは人格を測る試金石――フランソワーズ・ヴェルヌ
娘を亡くし、悲嘆に暮れて亡くなった父親のその後――アンナ・ビッテの父親
こういう生き方をすれば、こういう死後の生活になります・・
という、仏教でいう自業自得、因果応報、善因善果、悪因悪果、そのままの状況が映し出されています。
善と悪・・・誰が判断するのでしょうか?
それは、守護霊、守護神、自己の本心、ということになります。
仏教が盛んな国では、生まれ変わり、因果応報、地獄と極楽ということが常識となって、まったく違和感がないのですが、この霊界通信は19世紀のフランスで生きていた人たちの死後の霊界通信なので、キリスト教の環境のなかで教育され、生活していた人ばかりです。
そういう霊魂から、前世のこと、輪廻転生のこと、因果応報のことが次々とでてきます。
「前世でこういう行いをしたので、こういう罰を受けています」という告白が多く語られます。
特に死んでも意識がなくならないと知識だけでもいいから知っていたらどれほどの救いになったかわからない、と言っている霊魂が多いです。それは、「死=苦悩も罪も何もなくなる」と思っていたのに、意識が復活してとても混乱して、迷っている霊魂が圧倒的に多いからなのです。
後は、霊魂から「私のために祈ってください」というリクエストが非常に多くみられます。
これは、人間の愛念が霊魂に救いや霊界での進化向上にとても役立つことを意味しています。
世界平和の祈りでは、
「私たちの天命がまっとうされますように」という祈り言葉が入っていて、○○さんの天命がまっとうされますように、と常に人に対して祈りを投げかけています。
その人が肉体を持っていても持っていなくても、霊魂には関係ないので、応援が必要な人には常にそれらの祈りは届いていると思います。
もちろん、そういう祈りを守護の神霊が知らないはずがありません。
守護の神霊は、人間が思っていることのすべて、一瞬一瞬の心の動きを観察し、把握しており、その想念行為、動機、にふさわしい世界が死後に用意されています。
これは例外なくそのようです。
この霊界通信は、理論ではなく、体験談になっているので、とてもわかりやすくなっています。
読み終わると、「この世に、この宇宙に偶然というものは何もない。すべて自分の想念行為の結果である」という深い感慨が胸の中に湧いてきます。
ぜひお読みください。
世界人類が平和でありますように
すべての人の天命がまっとうされますように
人間一人一人が、一日もはやく永遠の生命であることを確認できますように
http://www5.ocn.ne.jp/~sl1848sb/newpage89.html
この霊界通信では、肉体を持っていたときに様々な生き方をしてきた霊魂を招霊して、生前の生活、肉体を離れた後の生活についてのケーススタディーになっています。
とても参考になり、学ぶことが多いです。
以下の内容です。
目次
第二部 天国霊・地獄霊からの通信の記録
第一章 幸福に暮らす霊
サンソン氏――死後の招霊を希望していた男性
シドゥニエ――事故で溺死した霊媒
寡婦フロン夫人――失明した細密画家
伯爵夫人ポーラ――恵まれない人々を助けた女性
アントワーヌ・コストー――心優しき舗装工
エマ嬢――火事に遭って亡くなった女性
ヴィニャル博士――生前に幽体離脱した男性
モーリス・コントラン――胸の病気で亡くなった一人息子
第二章 普通の心境の霊
ジョゼフ・ブレ――孫娘に招霊された男性
エレーヌ・ミシェル嬢――突然に死亡した女性
アンナ・ベルヴィル――長く病気に苦しんだ若い母親
第三章 苦しんでいる霊
オーギュスト・ミッシェル――金持ちの青年
ウラン王太子――ロシアの貴族
フェルディナン・ベルタン――海難事故の犠牲者
フランソワ・リキエ――けちくさい独身の中年
クレール――極端なエゴイスト
第四章 自殺した人の霊
公衆浴場で自殺した身元不明の男性
微兵適齢の息子を持った父親
ルーヴェ・フランソワ=シモン――身投げをした男性
息子の後追い自殺をした母親
義務にそむかないために情死した二人
第五章 後悔する犯罪者の霊
ヴェルジュ――パリの大司教を殺した神父
ブノワ――僧たちを迫害した聖職者
ジャック・ラトゥール――殺人の咎で死刑になった男性
第六章 強情な霊
ラポムレー――光による懲罰を受ける男性
アンジェル――まったく意味のない人生を送った女性
女王ドゥード――フランスで死亡したインド人
第七章 この世で過去世(かこぜ)の償いをした霊
マルセル――高貴な感情を持つ子供
物乞いのマックス
主人に献身的に仕えた召使い
ある野心的な医者の転生
ジョゼフ・メートル――苦難に襲われた男性
◆?アラン・カルデック『霊との対話(天国と地獄Ⅱ)』
第一部 生前の生き方が、死後の行き先を決める
――天国霊・地獄霊の人生ケーススタディー
第一章 天国で喜びを謳歌(おうか)する霊
安らぎに満ちた死の瞬間――ジョルジュ
死後も霊実在論の普及に情熱を燃やす幸福――ジョベール氏
苦難の人生を終えて得た希望――サミュエル・フィリップ氏
永遠のただなかで生きる喜び――ヴァン・デュルスト氏
死後も友の健康を気遣う医者――ドゥムール氏
つらいときには私を呼んでください――ロシア人の医者
十五世紀に生きた農奴の霊界での仕事――ベルナルダン
霊実在論の発展を予告する作家の霊――ジャン・レイノー
二十歳で病死した水先案内人――ヴィクトール・ルビュフル
荒れくれ労働者一家に生まれた人生の意味――アナイス・グルドン夫人
第二章 天国と地獄のあいだにいる霊
死の直前に起きた驚くべき現象――サン・ポール侯爵
無神論の信念を打ち砕いた臨死体験――医師カルドン氏
苦しみの世界から解き放たれたときの幸福感――エリック・スタニスラス
第三章 地獄で苦しむ霊
エゴイスティックな霊への懲罰――ジョルジュ
容赦のない光に照らし出される生前の罪――ノヴェル
快楽の追及に人生を費やした、ある遊び人の後悔
傲慢は、猛毒を吐く百頭の蛇――リスベット
祈りは死後の苦痛を和らげる――パスカル・ラヴィック
第四章 自殺後の試練を受ける霊
婚約者の不実に激して自殺した男性――ルイと縫い子
高学歴の無神論者の霊の苦しみ――J・D氏
破産が原因で自殺した男性の霊――フェリシアン氏
前世で犯した罪の記憶に苛まれて自殺した男の霊――アントワーヌ・ベル
第五章 悔い改める犯罪者の霊
斬首刑の直後に見えたもの――ルメール
ある屋敷に二百年居座る地縛霊の正体 ――カステルノダリーの怪物
第六章 みずからの怠慢と強情に苦しむ霊
怠惰な人生に対する「退屈」という罰――無為に生きた霊
地獄の拷問で苦しんでいる男の霊――クシュメーヌ
第七章 厳しい人生の試練を経験した霊
自分がしてもらいたいことを他の人にせよ――スジメル・スリズゴル
障害と貧困の生涯から学んだこと――ジュリエンヌ=マリ
生きたまま埋葬された男性――アントニオ・B氏
沸騰したニスを全身に浴びて亡くなった男性――レティル氏
知的障害があっても霊には正常な思考力がある――シャルル・ド・サン=G
主人への献身のうちに生涯を閉じた女中――アデライド=マルグリット
四歳で肢体不自由となり、十歳で亡くなるという経験について――クララ・リヴィエ
謙虚さは人格を測る試金石――フランソワーズ・ヴェルヌ
娘を亡くし、悲嘆に暮れて亡くなった父親のその後――アンナ・ビッテの父親
こういう生き方をすれば、こういう死後の生活になります・・
という、仏教でいう自業自得、因果応報、善因善果、悪因悪果、そのままの状況が映し出されています。
善と悪・・・誰が判断するのでしょうか?
それは、守護霊、守護神、自己の本心、ということになります。
仏教が盛んな国では、生まれ変わり、因果応報、地獄と極楽ということが常識となって、まったく違和感がないのですが、この霊界通信は19世紀のフランスで生きていた人たちの死後の霊界通信なので、キリスト教の環境のなかで教育され、生活していた人ばかりです。
そういう霊魂から、前世のこと、輪廻転生のこと、因果応報のことが次々とでてきます。
「前世でこういう行いをしたので、こういう罰を受けています」という告白が多く語られます。
特に死んでも意識がなくならないと知識だけでもいいから知っていたらどれほどの救いになったかわからない、と言っている霊魂が多いです。それは、「死=苦悩も罪も何もなくなる」と思っていたのに、意識が復活してとても混乱して、迷っている霊魂が圧倒的に多いからなのです。
後は、霊魂から「私のために祈ってください」というリクエストが非常に多くみられます。
これは、人間の愛念が霊魂に救いや霊界での進化向上にとても役立つことを意味しています。
世界平和の祈りでは、
「私たちの天命がまっとうされますように」という祈り言葉が入っていて、○○さんの天命がまっとうされますように、と常に人に対して祈りを投げかけています。
その人が肉体を持っていても持っていなくても、霊魂には関係ないので、応援が必要な人には常にそれらの祈りは届いていると思います。
もちろん、そういう祈りを守護の神霊が知らないはずがありません。
守護の神霊は、人間が思っていることのすべて、一瞬一瞬の心の動きを観察し、把握しており、その想念行為、動機、にふさわしい世界が死後に用意されています。
これは例外なくそのようです。
この霊界通信は、理論ではなく、体験談になっているので、とてもわかりやすくなっています。
読み終わると、「この世に、この宇宙に偶然というものは何もない。すべて自分の想念行為の結果である」という深い感慨が胸の中に湧いてきます。
ぜひお読みください。
世界人類が平和でありますように
すべての人の天命がまっとうされますように
人間一人一人が、一日もはやく永遠の生命であることを確認できますように
最近は、ずっと霊界通信を読んでいますが、今日紹介するのはある貧しい靴職人の霊界通信ですが、とてもすばらしい内容で感動しましたので、シェアさせていただきます。
平凡な一生を送ったあの貧しい靴職人が・・・
高級神霊となって霊界で大きな働きをしているなんて・・・
想像できないですが、人間の真価は神眼でないとわからないものです。
しかし、その人の行為を見ていると、親切、誠実、正直、律儀、献身、愛情、サービス精神、謙虚、無邪気、思いやり、などきらっと輝いていることがわかります。
ある貧しい靴職人の死後
『ベールの彼方の生活3 天界の政庁編』 潮文社刊 『ベールの彼方の生活』は十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて生きたG・V・オーエンという牧師に降ろされた霊界通信です。一巻から四巻で構成されており、一巻は主にオーエン氏の母親からの通信、二巻はオーエン氏の守護霊から、三、四巻はその守護霊に準ずる霊格を持った霊からの通信で成り立っており、巻が進むにつれ内容が高度になっていきます。
この書籍の第三巻『天界の政庁編』に、ある貧しい靴職人の死後の様子を伝える次のような通信文があります。彼はごく平凡な死者であり、霊界でもごく平凡な階層で生活を始めていました。
地上の言い方をすれば“何年も前”のことになるが、靴直しを生業としていた男が地上を去ってこちらへ来た。何とか暮らしていくだけの収入があるのみで、葬儀の費用を支払った時は一銭も残っていなかった。こちらで出迎えたのもほんの僅かな知人だけだったが、彼にしてみれば自分ごとき身分の者を迎えにわざわざ地上近くまで来て道案内をしてくれたことだけで十分うれしく思った。案内された所も地上近くの階層の一つで、決して高い階層ではなかった。が今も言った通り彼はそれで満足であった。と言うのも、苦労と退屈と貧困との闘いのあとだけに、そこに安らぎを見いだし、その界の興味深い景色や場所を見物する余裕もできたからである。彼にとってはそこがまさに天国であり、みんなが親切にしてくれて幸福そのものだった。
(P.46)
この貧しい靴職人は、ごく一般的な過程を経て霊界の住人になっていることが分かります。このことは私たちも知っておくべき事柄です。なぜなら、あまりにも霊的な知識が無かったり、頑固な唯物主義者であったりすると、自分が死んだことが分からず地縛霊のような“迷い霊”になってしまうことになりかねないからです。ですから、死ねば先に霊界入りしていた親類や知人、ペットたちが迎えに来てくれ、彼らに導かれて霊界の落ち着くべきところに落ち着くことになる、ということを知っておく必要があります。
霊界とは霊がフワフワ漂っているような所ではなく、しっかりとした実体・実感のある世界です。そこには山や小川、森や湖のような自然があり、犬や猫、小鳥のような動物たちも存在しています。さらに霊たちの家があり、学校や病院、行政機関など社会機構があり、霊はそれぞれが自分自身の霊格や能力に見合った仕事を持っています。そもそもこの地上界が霊界の写しなのです。ですから地上のものが霊界にあっても何も不思議なことではありません。全ての元は霊界側にあります。それと同じく私たちの本来の住み家も霊界にあります。今はただ自らの成長のために地上界へと出向いて様々な体験をしている最中です。
さて、この平凡な靴職人は霊界入りしてから家を与えられ、そこである本を読んでいました。その本にはその界には不釣合いの高度な内容が書かれており、読んで何とか理解できるのですが、なぜこのような本が自分の家にあるのかと、彼はいぶかしく思っていました。その本には上層界での高度な仕事に就く高級霊団について書かれており、さらにその霊団を指揮するリーダーへの教訓も書かれているのでした。
この靴職人がそのように思っていたとき、彼の家に上層界から天使が訪ねてきました。その天使は彼に「何を読んでいるのですか?」と尋ねます。それに対し靴職人は「ここよりも高い界の書物のようです。なぜ私の家にあるのか判りません」と答えました。すると天使が……
そこで天使は開いていたその本を男の手から取って閉じ、黙って再び手渡した。それを男が受け取った時である。彼は急に頬を赤く染めて、ひどく狼狽した。その表紙に宝石を並べて綴られた自分の名前があるのに気づいたからである。戸惑いながら彼はこう言った。
「でも私にはそれが見えなかったのです。今の今まで私の名前が書いてあるとは知りませんでした」
「しかし、ご覧の通り、あなたのものです。と言うことは、あなたの勉強のためということです。いいですか。ここはあなたにとってはホンの一時の休憩所に過ぎないのです。もう十分休まれたのですから、そろそろ次の仕事に取りかからなくてはいけません。ここではありません。この本に出ている高い界での仕事です」
彼は何か言おうとしたが口に出ない。不安の念に襲われ、しり込みして天使の前で頭を垂れてしまった。そしてやっと口に出たのは次の言葉だった。「私はただの靴職人です。人を指導する人間ではありません。私はこの明るい土地で平凡な人間であることで満足です。私ごとき者にはここが天国です」
(P.47-48)
この男性は地上時代は貧しい靴職人でしたが、実はとても霊格の高い霊だったことがこれで分かります。本人はそんなことはまったく意識しておらず、天使にそれを教えられて動揺さえしていることも分かります。
彼のようなごく平凡な人物を、霊界の高い階層に進めるほどに進歩たらしめた要因とは何だったのかについて、動揺している彼に対する天使の次の発言を読むことで理解できます。これは霊的な成長(霊格の向上)を目指している私たちにとっても参考にすべきことで、いかに日々の生活での取り組み方が大切であるのかを教えてくれます。
「そういう言葉が述べられるということだけで、あなたには十分向上の資格があります。真の謙虚さは上に立つ者の絶対的な盾であり、防衛手段のひとつなのです。それにあなたは、それ以外にも強力な武器をお持ちです。謙虚の盾は消極的な手段です。あなたはあの地上生活の中で攻撃のための武器も強化し鋭利にしておられた。たとえば靴を作る時あなたはそれをなるべく長持ちさせて貧しい人の財布の負担を軽くしてあげようと考えた。儲ける金のことよりもそのことの方を先に考えた。それをモットーにしておられたほどです。そのモットーがあなたの魂に沁み込み、あなたの霊性の一部となった。こちらではその徳は決してぞんざいには扱われません。
その上あなたは日々の生活費が逼迫しているにも拘らず、時には知人宅の収穫や植えつけ、屋根ふきなどを手伝い、時には病気の友を見舞った。そのために割いた時間はローソクの明かりで取り戻した。そうしなければならないほど生活費に困っておられた。そうしたことはあなたの魂の輝きによってベールのこちら側からことごとく判っておりました。と言うのも、こちらの世界には、私たちの肩越しに天界の光が地上生活を照らし出し、徳を反射し、悪徳は反射しないという、そういう見晴らしがきく利点があるのです。ですから、正しい生活を営む者は明るく照らし出され、邪悪な生活を送っている者は暗く陰気に映ります。(…後略…)」
(P.48-49)
これを読んで分かるように、霊的な成長にとって必要なものは日々においての善行の積み重ねであることが分かります。何か特別な大きな仕事をしなければならないということではありません。あくまでも“自らの良心に対して正直に、真っ当に生きる”ということに尽きると思います。本人の置かれている環境下で、その人の出来得る範囲内での善行を重ねていくことが大切なのです。
また、下線の部分を読めば分かるように、正しい生活を送っている者は天界から認識されています。それにより、善霊や高級霊から陰ながら支援を受けることができます。逆に、悪徳にまみれた生活を送る者は低級界から認識されており、悪霊や低級霊の影響を受けることになります。
上の引用を語った天使はその“かつての靴職人”に対し、「本に書かれていた界に、あなたをリーダーとする霊団がおり、あなたの到着を待ちわびている。さあ、そこへ参りましょう」と説得します。しかし彼は「私はその人たちを知りませんし、私に従ってくれないでしょう」と言ってなおも渋り続けます。そこで天使は「あなたは彼らを知っており、彼らもあなたを知っている。なぜなら、あなたは睡眠中に肉体から抜け出し、彼らと共に訓練を受けていたから」と言い、また「あなたをリーダーに選んだのは間違いを犯すことのない大天使であり、その大天使も力になってくれるので、あなたも頑張らなくてはいけない」と言って説得します。そしてついに彼もそれを受け入れることになりました。二人は高い界へと向けて出発します。
そう言い終ると天使は彼を従えてその家をあとにし、山へ向かって歩を進め、やがて峠を越えて次の界へ行った。行くほどに彼の衣服が明るさを増し、生地が明るく映え、身体がどことなく大きく且つ光輝を増し、山頂へ登る頃にはその姿はもはやかつての靴直しのそれではなく、貴公子のそれであり、まさしくリーダーらしくなっていた。
道中は長びいたが楽しいものであった。(長びいたのは本来の姿を穏やかに取り戻すためであった)そしてついに霊団の待つところへやって来た。ひと目見て彼には彼らの全てが確認できた。出迎えて彼の前に整列した彼らを見たときには、彼にはすでにリーダーとしての自信が湧いていた。各自の目に愛の光を見たからである。
(P.50-51)
私たちは他人を判断するとき、その人の見てくれや社会的地位、持っている財産などを判断基準にしがちです。もし私たちが上で見た貧しい靴職人と同時代に生きていたら、彼のことを「平凡でつまらない男だ」と判断したかもしれません。しかしそのような判断は間違いであることが分かります。なぜなら彼はつまらない男どころか実は「高貴な霊」であり、高級霊団のリーダーでもあったからです。また同書第二巻(P.104~107)では、地上時代に白髪の老婆だった女性が、あの世ではその徳性の高さゆえに、女王のごとき美しさと輝きを放つ女性霊として描かれている箇所があります。このように、私たちは人を見かけで判断することは控えるほうが賢明です。後々恥ずかしい思いをする可能性があるからです。
この靴職人の例を見ても分かるのですが、霊界で高い階層に所属する霊が地上世界ではごく平凡な人間であることは特に珍しいことではありません。あのイエス・キリストも当時の低い身分である大工の子供として誕生しています。また、カルマ的なものとは関係なく、高級霊が何らかの肉体的障害を持った身体に宿って地上経験を送る場合もあります。その場合は、より強力な霊的力量を獲得するために自らに課した厳しい挑戦です。それは力があればこそできる修行でもあります。
地上界では肉体的外見が人間の優劣を判断する一つの指標となりがちですが、霊的世界では霊の成長度が霊体の外見的美しさを決める絶対基準になります。この世ではどれほど霊的に発達した人でも、肉体的外見が好ましくなければ人としての価値が“劣”の判断をされかねませんが、あの世では霊的成長度がそのまま外見的美しさに反映されるのです。ここで紹介した靴職人の場合も霊界では「貧しい靴職人の外見から貴公子のようなそれに変わった」ことが分かります。これは逆の場合でも同じで、この世では美しい外見を持っていたとしても、霊的に罪深ければ霊界ではそれ相応の醜い外見を持つことになり、それが本人にとっても自分自身の霊的な未熟さを自覚する要因になります。
霊は、霊界では霊格が高くなればなるほど、活動する階層が高くなればなるほど、より重要で価値があり、やりがいのある仕事を与えられていきます。霊界では階層が高くなればなるほどその世界はより美しくなり、またより大きな幸福を享受できるようになります。そこはまさに光り輝く世界であり、そこに住む霊たちもまた光り輝く天使たちです。彼らは宇宙の神秘を知り、恒星間を活動の範囲に収めるほどの存在になっていきます。
平凡な一生を送ったあの貧しい靴職人が・・・
高級神霊となって霊界で大きな働きをしているなんて・・・
想像できないですが、人間の真価は神眼でないとわからないものです。
しかし、その人の行為を見ていると、親切、誠実、正直、律儀、献身、愛情、サービス精神、謙虚、無邪気、思いやり、などきらっと輝いていることがわかります。
ある貧しい靴職人の死後
『ベールの彼方の生活3 天界の政庁編』 潮文社刊 『ベールの彼方の生活』は十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて生きたG・V・オーエンという牧師に降ろされた霊界通信です。一巻から四巻で構成されており、一巻は主にオーエン氏の母親からの通信、二巻はオーエン氏の守護霊から、三、四巻はその守護霊に準ずる霊格を持った霊からの通信で成り立っており、巻が進むにつれ内容が高度になっていきます。
この書籍の第三巻『天界の政庁編』に、ある貧しい靴職人の死後の様子を伝える次のような通信文があります。彼はごく平凡な死者であり、霊界でもごく平凡な階層で生活を始めていました。
地上の言い方をすれば“何年も前”のことになるが、靴直しを生業としていた男が地上を去ってこちらへ来た。何とか暮らしていくだけの収入があるのみで、葬儀の費用を支払った時は一銭も残っていなかった。こちらで出迎えたのもほんの僅かな知人だけだったが、彼にしてみれば自分ごとき身分の者を迎えにわざわざ地上近くまで来て道案内をしてくれたことだけで十分うれしく思った。案内された所も地上近くの階層の一つで、決して高い階層ではなかった。が今も言った通り彼はそれで満足であった。と言うのも、苦労と退屈と貧困との闘いのあとだけに、そこに安らぎを見いだし、その界の興味深い景色や場所を見物する余裕もできたからである。彼にとってはそこがまさに天国であり、みんなが親切にしてくれて幸福そのものだった。
(P.46)
この貧しい靴職人は、ごく一般的な過程を経て霊界の住人になっていることが分かります。このことは私たちも知っておくべき事柄です。なぜなら、あまりにも霊的な知識が無かったり、頑固な唯物主義者であったりすると、自分が死んだことが分からず地縛霊のような“迷い霊”になってしまうことになりかねないからです。ですから、死ねば先に霊界入りしていた親類や知人、ペットたちが迎えに来てくれ、彼らに導かれて霊界の落ち着くべきところに落ち着くことになる、ということを知っておく必要があります。
霊界とは霊がフワフワ漂っているような所ではなく、しっかりとした実体・実感のある世界です。そこには山や小川、森や湖のような自然があり、犬や猫、小鳥のような動物たちも存在しています。さらに霊たちの家があり、学校や病院、行政機関など社会機構があり、霊はそれぞれが自分自身の霊格や能力に見合った仕事を持っています。そもそもこの地上界が霊界の写しなのです。ですから地上のものが霊界にあっても何も不思議なことではありません。全ての元は霊界側にあります。それと同じく私たちの本来の住み家も霊界にあります。今はただ自らの成長のために地上界へと出向いて様々な体験をしている最中です。
さて、この平凡な靴職人は霊界入りしてから家を与えられ、そこである本を読んでいました。その本にはその界には不釣合いの高度な内容が書かれており、読んで何とか理解できるのですが、なぜこのような本が自分の家にあるのかと、彼はいぶかしく思っていました。その本には上層界での高度な仕事に就く高級霊団について書かれており、さらにその霊団を指揮するリーダーへの教訓も書かれているのでした。
この靴職人がそのように思っていたとき、彼の家に上層界から天使が訪ねてきました。その天使は彼に「何を読んでいるのですか?」と尋ねます。それに対し靴職人は「ここよりも高い界の書物のようです。なぜ私の家にあるのか判りません」と答えました。すると天使が……
そこで天使は開いていたその本を男の手から取って閉じ、黙って再び手渡した。それを男が受け取った時である。彼は急に頬を赤く染めて、ひどく狼狽した。その表紙に宝石を並べて綴られた自分の名前があるのに気づいたからである。戸惑いながら彼はこう言った。
「でも私にはそれが見えなかったのです。今の今まで私の名前が書いてあるとは知りませんでした」
「しかし、ご覧の通り、あなたのものです。と言うことは、あなたの勉強のためということです。いいですか。ここはあなたにとってはホンの一時の休憩所に過ぎないのです。もう十分休まれたのですから、そろそろ次の仕事に取りかからなくてはいけません。ここではありません。この本に出ている高い界での仕事です」
彼は何か言おうとしたが口に出ない。不安の念に襲われ、しり込みして天使の前で頭を垂れてしまった。そしてやっと口に出たのは次の言葉だった。「私はただの靴職人です。人を指導する人間ではありません。私はこの明るい土地で平凡な人間であることで満足です。私ごとき者にはここが天国です」
(P.47-48)
この男性は地上時代は貧しい靴職人でしたが、実はとても霊格の高い霊だったことがこれで分かります。本人はそんなことはまったく意識しておらず、天使にそれを教えられて動揺さえしていることも分かります。
彼のようなごく平凡な人物を、霊界の高い階層に進めるほどに進歩たらしめた要因とは何だったのかについて、動揺している彼に対する天使の次の発言を読むことで理解できます。これは霊的な成長(霊格の向上)を目指している私たちにとっても参考にすべきことで、いかに日々の生活での取り組み方が大切であるのかを教えてくれます。
「そういう言葉が述べられるということだけで、あなたには十分向上の資格があります。真の謙虚さは上に立つ者の絶対的な盾であり、防衛手段のひとつなのです。それにあなたは、それ以外にも強力な武器をお持ちです。謙虚の盾は消極的な手段です。あなたはあの地上生活の中で攻撃のための武器も強化し鋭利にしておられた。たとえば靴を作る時あなたはそれをなるべく長持ちさせて貧しい人の財布の負担を軽くしてあげようと考えた。儲ける金のことよりもそのことの方を先に考えた。それをモットーにしておられたほどです。そのモットーがあなたの魂に沁み込み、あなたの霊性の一部となった。こちらではその徳は決してぞんざいには扱われません。
その上あなたは日々の生活費が逼迫しているにも拘らず、時には知人宅の収穫や植えつけ、屋根ふきなどを手伝い、時には病気の友を見舞った。そのために割いた時間はローソクの明かりで取り戻した。そうしなければならないほど生活費に困っておられた。そうしたことはあなたの魂の輝きによってベールのこちら側からことごとく判っておりました。と言うのも、こちらの世界には、私たちの肩越しに天界の光が地上生活を照らし出し、徳を反射し、悪徳は反射しないという、そういう見晴らしがきく利点があるのです。ですから、正しい生活を営む者は明るく照らし出され、邪悪な生活を送っている者は暗く陰気に映ります。(…後略…)」
(P.48-49)
これを読んで分かるように、霊的な成長にとって必要なものは日々においての善行の積み重ねであることが分かります。何か特別な大きな仕事をしなければならないということではありません。あくまでも“自らの良心に対して正直に、真っ当に生きる”ということに尽きると思います。本人の置かれている環境下で、その人の出来得る範囲内での善行を重ねていくことが大切なのです。
また、下線の部分を読めば分かるように、正しい生活を送っている者は天界から認識されています。それにより、善霊や高級霊から陰ながら支援を受けることができます。逆に、悪徳にまみれた生活を送る者は低級界から認識されており、悪霊や低級霊の影響を受けることになります。
上の引用を語った天使はその“かつての靴職人”に対し、「本に書かれていた界に、あなたをリーダーとする霊団がおり、あなたの到着を待ちわびている。さあ、そこへ参りましょう」と説得します。しかし彼は「私はその人たちを知りませんし、私に従ってくれないでしょう」と言ってなおも渋り続けます。そこで天使は「あなたは彼らを知っており、彼らもあなたを知っている。なぜなら、あなたは睡眠中に肉体から抜け出し、彼らと共に訓練を受けていたから」と言い、また「あなたをリーダーに選んだのは間違いを犯すことのない大天使であり、その大天使も力になってくれるので、あなたも頑張らなくてはいけない」と言って説得します。そしてついに彼もそれを受け入れることになりました。二人は高い界へと向けて出発します。
そう言い終ると天使は彼を従えてその家をあとにし、山へ向かって歩を進め、やがて峠を越えて次の界へ行った。行くほどに彼の衣服が明るさを増し、生地が明るく映え、身体がどことなく大きく且つ光輝を増し、山頂へ登る頃にはその姿はもはやかつての靴直しのそれではなく、貴公子のそれであり、まさしくリーダーらしくなっていた。
道中は長びいたが楽しいものであった。(長びいたのは本来の姿を穏やかに取り戻すためであった)そしてついに霊団の待つところへやって来た。ひと目見て彼には彼らの全てが確認できた。出迎えて彼の前に整列した彼らを見たときには、彼にはすでにリーダーとしての自信が湧いていた。各自の目に愛の光を見たからである。
(P.50-51)
私たちは他人を判断するとき、その人の見てくれや社会的地位、持っている財産などを判断基準にしがちです。もし私たちが上で見た貧しい靴職人と同時代に生きていたら、彼のことを「平凡でつまらない男だ」と判断したかもしれません。しかしそのような判断は間違いであることが分かります。なぜなら彼はつまらない男どころか実は「高貴な霊」であり、高級霊団のリーダーでもあったからです。また同書第二巻(P.104~107)では、地上時代に白髪の老婆だった女性が、あの世ではその徳性の高さゆえに、女王のごとき美しさと輝きを放つ女性霊として描かれている箇所があります。このように、私たちは人を見かけで判断することは控えるほうが賢明です。後々恥ずかしい思いをする可能性があるからです。
この靴職人の例を見ても分かるのですが、霊界で高い階層に所属する霊が地上世界ではごく平凡な人間であることは特に珍しいことではありません。あのイエス・キリストも当時の低い身分である大工の子供として誕生しています。また、カルマ的なものとは関係なく、高級霊が何らかの肉体的障害を持った身体に宿って地上経験を送る場合もあります。その場合は、より強力な霊的力量を獲得するために自らに課した厳しい挑戦です。それは力があればこそできる修行でもあります。
地上界では肉体的外見が人間の優劣を判断する一つの指標となりがちですが、霊的世界では霊の成長度が霊体の外見的美しさを決める絶対基準になります。この世ではどれほど霊的に発達した人でも、肉体的外見が好ましくなければ人としての価値が“劣”の判断をされかねませんが、あの世では霊的成長度がそのまま外見的美しさに反映されるのです。ここで紹介した靴職人の場合も霊界では「貧しい靴職人の外見から貴公子のようなそれに変わった」ことが分かります。これは逆の場合でも同じで、この世では美しい外見を持っていたとしても、霊的に罪深ければ霊界ではそれ相応の醜い外見を持つことになり、それが本人にとっても自分自身の霊的な未熟さを自覚する要因になります。
霊は、霊界では霊格が高くなればなるほど、活動する階層が高くなればなるほど、より重要で価値があり、やりがいのある仕事を与えられていきます。霊界では階層が高くなればなるほどその世界はより美しくなり、またより大きな幸福を享受できるようになります。そこはまさに光り輝く世界であり、そこに住む霊たちもまた光り輝く天使たちです。彼らは宇宙の神秘を知り、恒星間を活動の範囲に収めるほどの存在になっていきます。
最近、シルバーバーチさんの霊界通信をよく読んでいるのですが、私が思っていることとあまりにも同じで、とても心強い感じがします。
以下はシルバーバーチさんの言葉ですが
「人間は本質的に二重の要素をそなえているのです。動物時代の本能の名残りと神の分霊とがあって、それがあなたの存在の中で常に葛藤しており、そして、そのいずれかを選ぶ自由意志を持つあなたがいるわけです。そこに進化の要素があるのです。あなたとしてはなるべく動物性を抑え、潜在する神性を発揮する方向で努力しないといけません。」
これが五井先生の教えの中心・・消えてゆく姿で世界平和の祈りなのです。
動物性から人間性へ 人間性から神性へ
人間は誰でもその旅の途中にいることになります。
その葛藤を超えてゆくことが、人間一人一人の使命といえるのではないかと思います。
人間は過ちを通して学んでゆくので、当然のごとくその道は苦難、痛みがともないます
人間には自由意志があります。想う自由が与えられています。
北朝鮮に住んでいても、シリアに住んでいても、想う自由は行使できます。
その意思を使用して「祈る」か「自分の肉体の利益だけを考える」か「愛深い私でありますように」と魂の成長を願うか・・・自由です。
祈る人は、その自由を祈りに使った、祈りを選択したことになります。
祈るとは、神、大霊に想いを向けることなので、その向けた分、大霊に近づくことになります。
その近づいたことによって、その響きが周囲、肉体界や幽界にも響くようになります。
そうすることによって、この世界を光明化するのが、祈りによる世界平和運動なのです。
もちろん、シルバーバーチさんも救世の大光明霊団の中で働かれていることでしょう。
世界人類が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
シルバーバーチさん、ほんとうにありがとうございます
あなた方の尊いお働きに深く深く感謝いたします
以下はシルバーバーチさんの言葉ですが
「人間は本質的に二重の要素をそなえているのです。動物時代の本能の名残りと神の分霊とがあって、それがあなたの存在の中で常に葛藤しており、そして、そのいずれかを選ぶ自由意志を持つあなたがいるわけです。そこに進化の要素があるのです。あなたとしてはなるべく動物性を抑え、潜在する神性を発揮する方向で努力しないといけません。」
これが五井先生の教えの中心・・消えてゆく姿で世界平和の祈りなのです。
動物性から人間性へ 人間性から神性へ
人間は誰でもその旅の途中にいることになります。
その葛藤を超えてゆくことが、人間一人一人の使命といえるのではないかと思います。
人間は過ちを通して学んでゆくので、当然のごとくその道は苦難、痛みがともないます
人間には自由意志があります。想う自由が与えられています。
北朝鮮に住んでいても、シリアに住んでいても、想う自由は行使できます。
その意思を使用して「祈る」か「自分の肉体の利益だけを考える」か「愛深い私でありますように」と魂の成長を願うか・・・自由です。
祈る人は、その自由を祈りに使った、祈りを選択したことになります。
祈るとは、神、大霊に想いを向けることなので、その向けた分、大霊に近づくことになります。
その近づいたことによって、その響きが周囲、肉体界や幽界にも響くようになります。
そうすることによって、この世界を光明化するのが、祈りによる世界平和運動なのです。
もちろん、シルバーバーチさんも救世の大光明霊団の中で働かれていることでしょう。
世界人類が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
シルバーバーチさん、ほんとうにありがとうございます
あなた方の尊いお働きに深く深く感謝いたします

シルバーバーチさんの霊界通信ですが、もう100%同意です。
長い文章ですが、とても啓発されますので、読んでみてください。
今現在も、イスラエル、シリア、イラク、ウクライナなど多くの国で殺戮が行われています。
平和のための戦争、正義のための戦争、悪い人間に制裁を与えるための殺戮・・・
はたしてそれが正しいのでしょうか。手段としてどうなのでしょうか。霊的真理から見てどうなのでしょうか。
宇宙の法則から見てどうなのでしょうか。
人間が永遠の生命に目覚めなければ、近い将来、地上から人類は消えることになるでしょう。
そうならないようなシナリオになっていますが、どれだけ痛み苦しみ少なく目覚めるかは、人間一人一人の自覚、祈りにかかっています。
シルバーバーチは、人間に対する愛から質問に答えてくれています。
参考リンク
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sb-teachings/index.htm
18章 霊界側から見た戦争
〔シルバーバーチは若者が祖国のために出征していくことを決して咎めないが、戦争そのものがもたらす害悪については機会あるごとに厳しく言及し、地上的問題が戦争によって解決されたことは一度もないことを強調する〕
私たち霊界の者としては戦争が起きる度に霊界が、わけも分からず送り込まれてくる戦死者の魂でごった返す野戦病院のようになってくれては困るのです。
私たちのように地球圏に降りて仕事をしている者は、私たちがお届けしている霊的真理が受け入れられるようになる以外に救いようがないことを痛感いたします。人間の側の努力の問題だということです。私たちが代わってやってあげるわけには行かないのです。摂理に反したことをするとこうなるということを見届けて、地上界で間違ったことをすると霊界でこういう迷惑が生じますよと教えてあげるしかありません。
迷惑とは、霊的に何の準備もできていない魂が霊界へ続々と送り込まれてくることです。そのあまりの酷さに、霊界側としても黙って見過ごすわけには行かなくなったのです。戦死者たちはあたかも熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。地上界で生活するための道具(肉体)を破壊された魂の傷を、なぜ霊界で癒さねばならないのでしょうか。地上界でやっておくべきことを疎(おろそ)かにしたために生じた面倒な事態に対処するために、なぜ私たちが進化の歩みを止めて地上圏へ戻って来なければならないのでしょうか。
それは、私たちには愛の心、大霊の愛の発露があるからこそです。それが無かったら地上圏でこうして働いてはいないでしょう。その事実を証明するものとしては、スピリチュアリズムの知識しかありません。つまり、それが真実であることを認めてくれない限り、私たちとしては身元を証明するものがないのです。「あなたの言うことはおかしい――これまでの地上の常識に反しているから」と言われては、最早や私たちとしては為す術がありません。
戦争を正当化することは、地上界の問題に限って考えても、できません。ただ破壊するだけだからです。ましてや霊界側へ及ぼす影響を考えた時、絶対に正当化できません。霊は地上界を離れるべき時機が熟した時に肉体から離れるべきであるという摂理に反したことを無差別に行うことになるからです。大霊の子がよくぞあれほど大規模に大霊の摂理を平気で犯すものと、私たちは呆れるばかりです。
実は地上界のそうした愚かな行為が、霊界の無知な低級霊集団を跋扈(ばっこ)させることになることを、皆さんはご存じありません。彼らは進歩と平和と調和を憎み、組織的な態勢で邪魔立てしようと画策しているのです。これを阻止するためには民族的対立をなくし、地上人類は全てが大霊の子であるとの認識をもつことです。対立を生んでいるのは地上的概念であって、大霊は何の差別もしておりません。民族の別なく全ての人類に大霊の分霊が宿っており、それ故に全人類が等しく大霊の子なのです。
地上世界には建設すべきものが幾らでもあるというのに、指導的立場にある人たちはなぜ破壊という手段を選ぶのでしょうか。大霊の摂理に悖(もと)ることをしていては、破壊と混乱を生むだけです。人類はもう充分にそれを見てきたのではないでしょうか。
ここにお出での皆さんには、大霊の計画を地上界に実現するために全力を尽していただきたいのです。大霊が流血を望まれるでしょうか。大霊が、戦争が生み出す悲劇や苦難、失業、飢餓、貧民窟、争いごとを喜ばれるでしょうか。せっかく分け与えてある霊的な恵みが無駄に終わるのを見て大霊が喜ばれるでしょうか。無慈悲にも両親から引き離された若い魂たちが(霊界の救護班の世話になっても)本当の親からは何もしてもらえなくて悲しむのを見て、大霊が何とも思わないものでしょうか。
私たちも大霊の僕として、こうして地上圏へ降りて働いているからこそ言えることですが、私たちがお届けする教えに忠実でありさえすれば、それだけであなた方もこの(地球浄化の)大事業で力になれるのです。
他人の物的生命に終止符を打つ行為は、大霊の摂理に悖ります。殺意を抱いた時、理性が去ります。人間には大霊が宿っておりますが、身体的進化の途上で通過した動物的段階の名残も宿しています。人間の向上進化というのは取りも直さずその動物性を抑え大霊(神性)を発揮できるようになることです。
動物性の跋扈を許しそれに引きずられることになった時は、戦争や紛争、殺人事件などが頻発します。大霊の心が顕現して互いに助け合う風潮になれば、平和と調和が生まれ、生きるための糧も必要な分だけ行き渡ります。
国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も大霊の一部なのです。みな大霊の目から見れば兄弟であり姉妹なのです。こうした私たちの教えは単純で子供騙しのように思えるかもしれませんが、やはり真実です。大霊の摂理を基盤としているからです。摂理を無視して地上界を築こうとしても、混乱と騒動が起きるばかりで、最後は全てが破綻します。
よほどの犠牲的努力が為されない限り地上界はこれからも戦争が絶えないでしょう。人類はそうなるタネを蒔いて来ており、蒔いたタネは人類自らの手で刈り取らねばなりません。原因と結果の法則は絶対にごまかせないのです。物的欲望のタネを蒔いておいて、その結果を免れようとしても、それは許されません。
愛が欲しければ愛のタネを蒔くことです。平和が欲しければ平和のタネを蒔くことです。至るところに奉仕のタネを蒔けば、地上世界は奉仕の精神に溢れることでしょう。大霊の真理はこのように至って単純なのです。あまりに単純過ぎるために却って地上の「お偉い方々」にはその重大性がお分かりにならないのです。
質疑応答
――大戦で戦死した若者の「犠牲」は何の役にも立たなかったのでしょうか。
少なくとも私の目には何の意義も見出せません。休戦後の今の方が「偉大なる戦い」が始まった時より一段と混乱が深まっております。
――あれだけの英雄的行為が無駄に終わることがあって良いものでしょうか。霊的な反響はまったくないのでしょうか。
犠牲となった個人個人には報いがあります。動機が正しかったからです。しかし、忘れてならないのは、地上世界は彼らを裏切っているということです。相も変わらず物質中心の考えにかぶれているために、彼らの犠牲が無意味に終わっていると申し上げているのです。
――休戦記念行事が毎年のように催されていますが、意義があるのでしょうか。
たとえ二分間でも思い出してあげることは、何もしないよりはましでしょう。ですが、ライフルや銃剣、軍隊、花火その他、戦争に結びついたもので軍事力を誇示することによって祝って、一体何になるのかと言いたいわけです。なぜ霊的な行事で祝えないのでしょうか。
――スピリチュアリズム的な催しには賛成ですか。
真実が述べられるところには必ず徳が生まれます。もちろんそれが奉仕的精神を鼓舞するものであればのことです。大見得を切った演説からは何も生まれません。また、それを聴く側も、いかにも自分たちが平和の味方であるかの気分に浸るだけではいけません。
私は「行為」を要求しているのです。人に役立つことをして欲しいのです。弱者を元気づけるようなことをして欲しいのです。病気に苦しむ人々を癒してあげて欲しいのです。喪の悲しみの中にいる人を慰めてあげて欲しいのです。住む家もない人に宿を貸してあげて欲しいのです。地上世界の恥とも言うベき動物への虐待行為を止めさせて欲しいのです。
平和は互助の精神からしか生まれません。全ての人が奉仕の精神を抱くようになるまでは、そしてそれを実行に移すようになるまでは、平和は訪れません。
――不戦主義、即ち参戦を拒否する一派の運動をどう思われますか。
私はいかなる「派」にも与(くみ)しません。私にはラベルというものがないのです。私の眼中には人のために役立つ行為と動機しかありません。お題目に幻惑されてはいけません。何を目的としているか、動機は何かを見極めないといけません。なぜなら、反目し合うどちらの側にも誠意の人と善意の人とがいるものだからです。私が述べる教えは至って簡単なことばかりですが、それを実行に移すには勇気がいります。
霊的真理と霊的摂理を知ることによって断固とした決意を持つに至った時、そして日常生活のあらゆる分野で私利私欲をなくし互助の精神で臨むようになった時、地上に平和と和合が訪れます。
それは一宗一派の主義・主張から生まれるのではありません。大霊の子の全てが霊的真理を理解して、それが日常生活に、政策に、経営に、政治に、そして国際問題に適用していくことから生まれるのです。
私は、これこそ真実であると確信した宇宙の原理・原則を説きます。だからこそ、これを実行に移せばきっとうまく行きますということを、自信をもって申し上げられるのです。皆さんは物質の世界にいらっしゃいます。最終的には皆さんに責任が掛かってきます。私たちはただ誠意をもって指導し、正道から逸れないように協力してあげることしか出来ません。
地上には古いしきたりから抜け出せない人が大勢います。それが宗教的なものである場合もありますし、政治的なものである場合もありますし、自分の想像力で拵(こしら)えた小さな精神的牢獄である場合もあります。
魂は常に自由であらねばなりません。自らを牢獄の中に閉じこめてはいけません。周りに垣根をめぐらし、新しいものを受け入れなくなってしまってはお終いです。真理は絶え間なく探究していくべきものです。その境界は限りなく広がっていきます。魂が進化するにつれて精神がそれに呼応していくからです。
――その魂の自由はどうすれば得られるのでしょうか。
完全な自由というものは得られません。自由の度合は魂の成長度に呼応するものだからです。知識にも真理にも叡智にも成長にも「限界」というものがないと悟れば、それだけ自由の度合が大きくなったことになります。心の中で間違いだと気づいたもの、理性が拒否するもの、知性が反発するものを潔く捨てることが出来れば、それだけ多くの自由を獲得したことになります。新しい光に照らして間違いであることが分かったものを恐れることなく捨てることが出来たら、それだけ自由になったことになります。それがお出来になる方が果たして何人いることでしょう?
――経済的な事情からそれが叶えられない人もいるのではないでしょうか。
それは違います。経済的事情は物的身体を束縛することはあっても、魂まで束縛することは出来ません。束縛しているのは経済的事情ではなくて、その人自身の精神です。その束縛から解放されるための叡智は、受け入れる用意さえあれば、いつでも得られるようになっております。しかし、それを手に入れるための旅は自分一人で出かけるしかないのです。
果てしない旅となることを覚悟しなければなりません。恐怖や危険にさらされることも覚悟しなければなりません。道なき道を一人分け入ることになることも覚悟しなければなりません。しかも真理の導くところならどこへでもついて行き、間違っていることは、それがいかに古くから大事にされてきているものであっても、潔く拒絶する用意が出来ていなければなりません。
――ヨーロッパの大国がみんな完全武装して大戦に備えている中で、英国だけが参加していないのは間違いではないでしょうか。
ですから、あなた方は一国・一民族の概念で考え、私は大霊とその子の概念で考えているということを何度も申し上げてきたはずです。破壊のための兵器をいくらこしらえても平和は得られないと言っているのです。平和を希求する声が高まり、みんなが愛と奉仕の摂理にのっとって生きるようになれば、平和になります。一国・一民族の概念は、私は取りません。全ての民族を一つと考え、大霊の一部という考えに立っております。全ての人類が大霊の子なのです。大霊の摂理を物質界に適用しない限り、戦争と破壊と混乱と破綻の尽きる時は来ないでしょう。
イタリア軍によるアビシニア(現エチオピア)侵攻に関連して出された質疑応答――
――「制裁」という手段をどう思われますか。
私の意見はもうお分かりでしょう。生命は大霊のものであって、人間のものではありません。勝手に生命を奪うことは許されません。摂理に反します。摂理に反したことをすれば、その代償を支払わねばなりません。
――しかし、この場合は動機が正当化されるのではないでしょうか。戦争を止めさせるためという大義があるのですから。
力による制裁のタネを蒔けば、そのタネはさらなる力による制裁を生むだけです。「戦争を止めさせるための戦争」だと当事者は言っているではありませんか。
――では、獣のような連中が無抵抗の人間を殺すのを手をこまねいて見ていろとおっしゃるのでしょうか。
そういう風に、あなた方はよくその場しのぎの手段について私たちの意見を求められますが、私たちは永遠の原理・原則を説いているのです。最初の段階で永遠の原理に基づいた手段を用いていれば、今日のような難題は生じなかったはずです。困った事態になってから「取り敢えずこういう手段を用いてよいか」とおっしゃっても返答のしようがありません。永遠の平和を得るには永遠の原理に基づいた手段を用いるしかありません。
――国際連盟(現在の「国際連合」の前身)は支持すべきでしょうか。
加盟国の代表は本当に平和を希求しているのでしょうか。心の底から、魂の奥底から平和を望んでいるのでしょうか。永遠の原理に素直に従うだけの覚悟が出来ているでしょうか。もしかして自国への脅威となるものを阻止しようとしているだけではないでしょうか。地球と人類全体のためではなく、我が国家と我が民族の富と安全を第一に考えているのではないでしょうか。
私たちは大霊と摂理、そしてその摂理の作用を永遠の規範として皆さんに説いているところです。それ以外にないからです。その場しのぎの手段でも一時的には効果があるかも知れませんが、邪悪な手段からは邪悪なものしか生まれません。
そのうち地上人類も愛こそが邪悪に勝つことを悟る日がまいります。全ての問題を愛の精神で解決するようになれば地上界は平和になります。愛の摂理にもとる欲望は分裂と混沌と破綻を生み出します。その根を正さないといけません。他のいかなる手段をもってしても永遠の平和は訪れません。
――宇宙には戦争を正当化する理由はないのでしょうか。
ありません。戦争は人類が地上で行っているだけで、霊界にはありません。人間が殺意を抱いた時、瞬時にしてその人間の周りに同じ意念に燃えた地縛霊が引きつけられると思って下さい。
一九三七年十一月十一日の「休戦記念日」におけるシルバーバーチからのメッセージ
毎年この日が巡ってくるごとに、戦死者の犠牲が空しいものであることをますます痛感させられます。たった二分間、あなた方は「栄誉ある戦没者」に無言の敬意(黙祷)を捧げ、それからの一年間は忘れ、この日が訪れると棚から下ろして埃(ほこり)をはたき、二分間だけ拝みます。
彼らの犠牲的行為は全て無駄に終わっています。十九年間(一九三七年現在で)十字架に架けられ続けてきたようなものです。それをあなた方は「偉大なる戦争」と呼びます。その偉大さとは殺戮の量、無駄な殺人の多さに過ぎないのではありませんか。全ての戦争を止めさせるための戦争だったとおっしゃいますが、その言葉の何と空しいことでしょう。何という欺瞞に満ちた言葉でしょう。
自分の生命まで犠牲にして祖国のために献身した若者たちが、実際は霊界で辛い幻滅の歳月を送っていることをご存じでしょうか。夢多き青春のまっただ中で肉体を奪われたのです。戦地へ赴いた時は文明を守るのだという理想に燃えておりました。しかし、そうした彼らを、その後の地上世界は裏切り続けております。地球上から戦争はなくなっておりません。栄誉ある戦死者への二分間の黙祷を捧げている最中でも「休戦」はありません。殺戮は二分間の休みもなく続いております。
真の平和は霊的摂理を適用する以外にないということを、地球人類はいつになったら悟るのでしょうか。戦争はもとより、それが生み出す流血、悲劇、混沌、破綻といったものの元凶は「利己主義」なのです。
その利己主義に代わって互いが奉仕的精神を抱き合うことによって初めて平和が訪れること、自国の物的威力を誇示しようとする古い唯物思想を捨て、代わって互いが互いのために生き、強い者が弱い者を助け、持てる者が持たざる者を援助しようとする気風になることによってのみ、平和が訪れることを知らねばなりません。
二分間だけの、それも、心にもない口先だけの敬意だけで、空しく霊界へ送られた者を侮辱してはなりません。和平へ向けていろいろと努力が為されながら、ことごとく失敗しております。が、唯一試みられていないのは、霊的真理の理解による方法です。それが為されないかぎり、戦争と流血が止むことはないでしょうし、ついには人類が誇りに思っている物質文明も破綻をきたすことでしょう。
世界人類が平和でありますように
すべての人が大霊の子であることに目覚めますように
すべての人が愛深くありますように
その愛がどこまでも深まりますように
長い文章ですが、とても啓発されますので、読んでみてください。
今現在も、イスラエル、シリア、イラク、ウクライナなど多くの国で殺戮が行われています。
平和のための戦争、正義のための戦争、悪い人間に制裁を与えるための殺戮・・・
はたしてそれが正しいのでしょうか。手段としてどうなのでしょうか。霊的真理から見てどうなのでしょうか。
宇宙の法則から見てどうなのでしょうか。
人間が永遠の生命に目覚めなければ、近い将来、地上から人類は消えることになるでしょう。
そうならないようなシナリオになっていますが、どれだけ痛み苦しみ少なく目覚めるかは、人間一人一人の自覚、祈りにかかっています。
シルバーバーチは、人間に対する愛から質問に答えてくれています。
参考リンク
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sb-teachings/index.htm
18章 霊界側から見た戦争
〔シルバーバーチは若者が祖国のために出征していくことを決して咎めないが、戦争そのものがもたらす害悪については機会あるごとに厳しく言及し、地上的問題が戦争によって解決されたことは一度もないことを強調する〕
私たち霊界の者としては戦争が起きる度に霊界が、わけも分からず送り込まれてくる戦死者の魂でごった返す野戦病院のようになってくれては困るのです。
私たちのように地球圏に降りて仕事をしている者は、私たちがお届けしている霊的真理が受け入れられるようになる以外に救いようがないことを痛感いたします。人間の側の努力の問題だということです。私たちが代わってやってあげるわけには行かないのです。摂理に反したことをするとこうなるということを見届けて、地上界で間違ったことをすると霊界でこういう迷惑が生じますよと教えてあげるしかありません。
迷惑とは、霊的に何の準備もできていない魂が霊界へ続々と送り込まれてくることです。そのあまりの酷さに、霊界側としても黙って見過ごすわけには行かなくなったのです。戦死者たちはあたかも熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。地上界で生活するための道具(肉体)を破壊された魂の傷を、なぜ霊界で癒さねばならないのでしょうか。地上界でやっておくべきことを疎(おろそ)かにしたために生じた面倒な事態に対処するために、なぜ私たちが進化の歩みを止めて地上圏へ戻って来なければならないのでしょうか。
それは、私たちには愛の心、大霊の愛の発露があるからこそです。それが無かったら地上圏でこうして働いてはいないでしょう。その事実を証明するものとしては、スピリチュアリズムの知識しかありません。つまり、それが真実であることを認めてくれない限り、私たちとしては身元を証明するものがないのです。「あなたの言うことはおかしい――これまでの地上の常識に反しているから」と言われては、最早や私たちとしては為す術がありません。
戦争を正当化することは、地上界の問題に限って考えても、できません。ただ破壊するだけだからです。ましてや霊界側へ及ぼす影響を考えた時、絶対に正当化できません。霊は地上界を離れるべき時機が熟した時に肉体から離れるべきであるという摂理に反したことを無差別に行うことになるからです。大霊の子がよくぞあれほど大規模に大霊の摂理を平気で犯すものと、私たちは呆れるばかりです。
実は地上界のそうした愚かな行為が、霊界の無知な低級霊集団を跋扈(ばっこ)させることになることを、皆さんはご存じありません。彼らは進歩と平和と調和を憎み、組織的な態勢で邪魔立てしようと画策しているのです。これを阻止するためには民族的対立をなくし、地上人類は全てが大霊の子であるとの認識をもつことです。対立を生んでいるのは地上的概念であって、大霊は何の差別もしておりません。民族の別なく全ての人類に大霊の分霊が宿っており、それ故に全人類が等しく大霊の子なのです。
地上世界には建設すべきものが幾らでもあるというのに、指導的立場にある人たちはなぜ破壊という手段を選ぶのでしょうか。大霊の摂理に悖(もと)ることをしていては、破壊と混乱を生むだけです。人類はもう充分にそれを見てきたのではないでしょうか。
ここにお出での皆さんには、大霊の計画を地上界に実現するために全力を尽していただきたいのです。大霊が流血を望まれるでしょうか。大霊が、戦争が生み出す悲劇や苦難、失業、飢餓、貧民窟、争いごとを喜ばれるでしょうか。せっかく分け与えてある霊的な恵みが無駄に終わるのを見て大霊が喜ばれるでしょうか。無慈悲にも両親から引き離された若い魂たちが(霊界の救護班の世話になっても)本当の親からは何もしてもらえなくて悲しむのを見て、大霊が何とも思わないものでしょうか。
私たちも大霊の僕として、こうして地上圏へ降りて働いているからこそ言えることですが、私たちがお届けする教えに忠実でありさえすれば、それだけであなた方もこの(地球浄化の)大事業で力になれるのです。
他人の物的生命に終止符を打つ行為は、大霊の摂理に悖ります。殺意を抱いた時、理性が去ります。人間には大霊が宿っておりますが、身体的進化の途上で通過した動物的段階の名残も宿しています。人間の向上進化というのは取りも直さずその動物性を抑え大霊(神性)を発揮できるようになることです。
動物性の跋扈を許しそれに引きずられることになった時は、戦争や紛争、殺人事件などが頻発します。大霊の心が顕現して互いに助け合う風潮になれば、平和と調和が生まれ、生きるための糧も必要な分だけ行き渡ります。
国家とか民族とかで差別してはいけません。いずれの国家も民族も大霊の一部なのです。みな大霊の目から見れば兄弟であり姉妹なのです。こうした私たちの教えは単純で子供騙しのように思えるかもしれませんが、やはり真実です。大霊の摂理を基盤としているからです。摂理を無視して地上界を築こうとしても、混乱と騒動が起きるばかりで、最後は全てが破綻します。
よほどの犠牲的努力が為されない限り地上界はこれからも戦争が絶えないでしょう。人類はそうなるタネを蒔いて来ており、蒔いたタネは人類自らの手で刈り取らねばなりません。原因と結果の法則は絶対にごまかせないのです。物的欲望のタネを蒔いておいて、その結果を免れようとしても、それは許されません。
愛が欲しければ愛のタネを蒔くことです。平和が欲しければ平和のタネを蒔くことです。至るところに奉仕のタネを蒔けば、地上世界は奉仕の精神に溢れることでしょう。大霊の真理はこのように至って単純なのです。あまりに単純過ぎるために却って地上の「お偉い方々」にはその重大性がお分かりにならないのです。
質疑応答
――大戦で戦死した若者の「犠牲」は何の役にも立たなかったのでしょうか。
少なくとも私の目には何の意義も見出せません。休戦後の今の方が「偉大なる戦い」が始まった時より一段と混乱が深まっております。
――あれだけの英雄的行為が無駄に終わることがあって良いものでしょうか。霊的な反響はまったくないのでしょうか。
犠牲となった個人個人には報いがあります。動機が正しかったからです。しかし、忘れてならないのは、地上世界は彼らを裏切っているということです。相も変わらず物質中心の考えにかぶれているために、彼らの犠牲が無意味に終わっていると申し上げているのです。
――休戦記念行事が毎年のように催されていますが、意義があるのでしょうか。
たとえ二分間でも思い出してあげることは、何もしないよりはましでしょう。ですが、ライフルや銃剣、軍隊、花火その他、戦争に結びついたもので軍事力を誇示することによって祝って、一体何になるのかと言いたいわけです。なぜ霊的な行事で祝えないのでしょうか。
――スピリチュアリズム的な催しには賛成ですか。
真実が述べられるところには必ず徳が生まれます。もちろんそれが奉仕的精神を鼓舞するものであればのことです。大見得を切った演説からは何も生まれません。また、それを聴く側も、いかにも自分たちが平和の味方であるかの気分に浸るだけではいけません。
私は「行為」を要求しているのです。人に役立つことをして欲しいのです。弱者を元気づけるようなことをして欲しいのです。病気に苦しむ人々を癒してあげて欲しいのです。喪の悲しみの中にいる人を慰めてあげて欲しいのです。住む家もない人に宿を貸してあげて欲しいのです。地上世界の恥とも言うベき動物への虐待行為を止めさせて欲しいのです。
平和は互助の精神からしか生まれません。全ての人が奉仕の精神を抱くようになるまでは、そしてそれを実行に移すようになるまでは、平和は訪れません。
――不戦主義、即ち参戦を拒否する一派の運動をどう思われますか。
私はいかなる「派」にも与(くみ)しません。私にはラベルというものがないのです。私の眼中には人のために役立つ行為と動機しかありません。お題目に幻惑されてはいけません。何を目的としているか、動機は何かを見極めないといけません。なぜなら、反目し合うどちらの側にも誠意の人と善意の人とがいるものだからです。私が述べる教えは至って簡単なことばかりですが、それを実行に移すには勇気がいります。
霊的真理と霊的摂理を知ることによって断固とした決意を持つに至った時、そして日常生活のあらゆる分野で私利私欲をなくし互助の精神で臨むようになった時、地上に平和と和合が訪れます。
それは一宗一派の主義・主張から生まれるのではありません。大霊の子の全てが霊的真理を理解して、それが日常生活に、政策に、経営に、政治に、そして国際問題に適用していくことから生まれるのです。
私は、これこそ真実であると確信した宇宙の原理・原則を説きます。だからこそ、これを実行に移せばきっとうまく行きますということを、自信をもって申し上げられるのです。皆さんは物質の世界にいらっしゃいます。最終的には皆さんに責任が掛かってきます。私たちはただ誠意をもって指導し、正道から逸れないように協力してあげることしか出来ません。
地上には古いしきたりから抜け出せない人が大勢います。それが宗教的なものである場合もありますし、政治的なものである場合もありますし、自分の想像力で拵(こしら)えた小さな精神的牢獄である場合もあります。
魂は常に自由であらねばなりません。自らを牢獄の中に閉じこめてはいけません。周りに垣根をめぐらし、新しいものを受け入れなくなってしまってはお終いです。真理は絶え間なく探究していくべきものです。その境界は限りなく広がっていきます。魂が進化するにつれて精神がそれに呼応していくからです。
――その魂の自由はどうすれば得られるのでしょうか。
完全な自由というものは得られません。自由の度合は魂の成長度に呼応するものだからです。知識にも真理にも叡智にも成長にも「限界」というものがないと悟れば、それだけ自由の度合が大きくなったことになります。心の中で間違いだと気づいたもの、理性が拒否するもの、知性が反発するものを潔く捨てることが出来れば、それだけ多くの自由を獲得したことになります。新しい光に照らして間違いであることが分かったものを恐れることなく捨てることが出来たら、それだけ自由になったことになります。それがお出来になる方が果たして何人いることでしょう?
――経済的な事情からそれが叶えられない人もいるのではないでしょうか。
それは違います。経済的事情は物的身体を束縛することはあっても、魂まで束縛することは出来ません。束縛しているのは経済的事情ではなくて、その人自身の精神です。その束縛から解放されるための叡智は、受け入れる用意さえあれば、いつでも得られるようになっております。しかし、それを手に入れるための旅は自分一人で出かけるしかないのです。
果てしない旅となることを覚悟しなければなりません。恐怖や危険にさらされることも覚悟しなければなりません。道なき道を一人分け入ることになることも覚悟しなければなりません。しかも真理の導くところならどこへでもついて行き、間違っていることは、それがいかに古くから大事にされてきているものであっても、潔く拒絶する用意が出来ていなければなりません。
――ヨーロッパの大国がみんな完全武装して大戦に備えている中で、英国だけが参加していないのは間違いではないでしょうか。
ですから、あなた方は一国・一民族の概念で考え、私は大霊とその子の概念で考えているということを何度も申し上げてきたはずです。破壊のための兵器をいくらこしらえても平和は得られないと言っているのです。平和を希求する声が高まり、みんなが愛と奉仕の摂理にのっとって生きるようになれば、平和になります。一国・一民族の概念は、私は取りません。全ての民族を一つと考え、大霊の一部という考えに立っております。全ての人類が大霊の子なのです。大霊の摂理を物質界に適用しない限り、戦争と破壊と混乱と破綻の尽きる時は来ないでしょう。
イタリア軍によるアビシニア(現エチオピア)侵攻に関連して出された質疑応答――
――「制裁」という手段をどう思われますか。
私の意見はもうお分かりでしょう。生命は大霊のものであって、人間のものではありません。勝手に生命を奪うことは許されません。摂理に反します。摂理に反したことをすれば、その代償を支払わねばなりません。
――しかし、この場合は動機が正当化されるのではないでしょうか。戦争を止めさせるためという大義があるのですから。
力による制裁のタネを蒔けば、そのタネはさらなる力による制裁を生むだけです。「戦争を止めさせるための戦争」だと当事者は言っているではありませんか。
――では、獣のような連中が無抵抗の人間を殺すのを手をこまねいて見ていろとおっしゃるのでしょうか。
そういう風に、あなた方はよくその場しのぎの手段について私たちの意見を求められますが、私たちは永遠の原理・原則を説いているのです。最初の段階で永遠の原理に基づいた手段を用いていれば、今日のような難題は生じなかったはずです。困った事態になってから「取り敢えずこういう手段を用いてよいか」とおっしゃっても返答のしようがありません。永遠の平和を得るには永遠の原理に基づいた手段を用いるしかありません。
――国際連盟(現在の「国際連合」の前身)は支持すべきでしょうか。
加盟国の代表は本当に平和を希求しているのでしょうか。心の底から、魂の奥底から平和を望んでいるのでしょうか。永遠の原理に素直に従うだけの覚悟が出来ているでしょうか。もしかして自国への脅威となるものを阻止しようとしているだけではないでしょうか。地球と人類全体のためではなく、我が国家と我が民族の富と安全を第一に考えているのではないでしょうか。
私たちは大霊と摂理、そしてその摂理の作用を永遠の規範として皆さんに説いているところです。それ以外にないからです。その場しのぎの手段でも一時的には効果があるかも知れませんが、邪悪な手段からは邪悪なものしか生まれません。
そのうち地上人類も愛こそが邪悪に勝つことを悟る日がまいります。全ての問題を愛の精神で解決するようになれば地上界は平和になります。愛の摂理にもとる欲望は分裂と混沌と破綻を生み出します。その根を正さないといけません。他のいかなる手段をもってしても永遠の平和は訪れません。
――宇宙には戦争を正当化する理由はないのでしょうか。
ありません。戦争は人類が地上で行っているだけで、霊界にはありません。人間が殺意を抱いた時、瞬時にしてその人間の周りに同じ意念に燃えた地縛霊が引きつけられると思って下さい。
一九三七年十一月十一日の「休戦記念日」におけるシルバーバーチからのメッセージ
毎年この日が巡ってくるごとに、戦死者の犠牲が空しいものであることをますます痛感させられます。たった二分間、あなた方は「栄誉ある戦没者」に無言の敬意(黙祷)を捧げ、それからの一年間は忘れ、この日が訪れると棚から下ろして埃(ほこり)をはたき、二分間だけ拝みます。
彼らの犠牲的行為は全て無駄に終わっています。十九年間(一九三七年現在で)十字架に架けられ続けてきたようなものです。それをあなた方は「偉大なる戦争」と呼びます。その偉大さとは殺戮の量、無駄な殺人の多さに過ぎないのではありませんか。全ての戦争を止めさせるための戦争だったとおっしゃいますが、その言葉の何と空しいことでしょう。何という欺瞞に満ちた言葉でしょう。
自分の生命まで犠牲にして祖国のために献身した若者たちが、実際は霊界で辛い幻滅の歳月を送っていることをご存じでしょうか。夢多き青春のまっただ中で肉体を奪われたのです。戦地へ赴いた時は文明を守るのだという理想に燃えておりました。しかし、そうした彼らを、その後の地上世界は裏切り続けております。地球上から戦争はなくなっておりません。栄誉ある戦死者への二分間の黙祷を捧げている最中でも「休戦」はありません。殺戮は二分間の休みもなく続いております。
真の平和は霊的摂理を適用する以外にないということを、地球人類はいつになったら悟るのでしょうか。戦争はもとより、それが生み出す流血、悲劇、混沌、破綻といったものの元凶は「利己主義」なのです。
その利己主義に代わって互いが奉仕的精神を抱き合うことによって初めて平和が訪れること、自国の物的威力を誇示しようとする古い唯物思想を捨て、代わって互いが互いのために生き、強い者が弱い者を助け、持てる者が持たざる者を援助しようとする気風になることによってのみ、平和が訪れることを知らねばなりません。
二分間だけの、それも、心にもない口先だけの敬意だけで、空しく霊界へ送られた者を侮辱してはなりません。和平へ向けていろいろと努力が為されながら、ことごとく失敗しております。が、唯一試みられていないのは、霊的真理の理解による方法です。それが為されないかぎり、戦争と流血が止むことはないでしょうし、ついには人類が誇りに思っている物質文明も破綻をきたすことでしょう。
世界人類が平和でありますように
すべての人が大霊の子であることに目覚めますように
すべての人が愛深くありますように
その愛がどこまでも深まりますように
フランツェッツォさんの霊界通信では多くのことが学べます。
1.現世でどんな罪を犯そうとも、心を改め、傷つけた人に心から謝罪すれば、高い霊界への扉は常に開かれているということ。
だから、今、刑務所にいる人や、犯罪を犯して罪を償っていない人、犯罪組織にいる人・・・
そういう人たちにこの霊界通信は福音となります。
2.人生をやり直すに遅すぎるということはないということ。
五井先生がおっしゃてましたが「私のような立場で嘘をつくと影響が大きいだけに地獄に落ちなければいけない。守護霊守護神が常に人間を守っているということを嘘だったら、『先生はうそを言ったぞ』死んでから私の首を絞めに来てください。絶対にありませんから。みんな死んでから感謝しています」と。
嘘をついて人を陥れた場合、その責任は当然受けなければなりません。
だから、宗教家みたいな立場になって、人に嘘をつくことは魂が非常に傷つくことであって、そんな馬鹿なことをすると死んでから大変です。
3.人を傷つけた、嘘をついて自分の立場を守った、自分の利益を優先して他を顧みなかった・・
そいうい事実を変えることはできませんが、悲観することはありません。
その2倍も3倍も人のためになる仕事をすればいいのであって、どんどん前へ進めばいいのです。すると高い霊界に住み着き、聖者になることも可能なのです。
それば霊界の法則です。
4.自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す・・
赦せなければ前へすすめません。想いが執着しているところがその人の住んでいる世界なのですから、赦せなければその赦せない相手とのつながりは切れないのです。
また、自分を赦せなければ、自己処罰の気持ちがあるので、地獄といわれる世界に自ら落ちてしまいます。
なんかまるで五井先生の教えそっくりそのままですが、それが生命の法則だということです。
このフランツェッツォさんの霊界通信は、そういうことを教えてくれます。
世界人類が平和でありますように
フランツェッツォさんありがとう!
フランツェッツォさんの霊界での天命がますます輝きますよに
1.現世でどんな罪を犯そうとも、心を改め、傷つけた人に心から謝罪すれば、高い霊界への扉は常に開かれているということ。
だから、今、刑務所にいる人や、犯罪を犯して罪を償っていない人、犯罪組織にいる人・・・
そういう人たちにこの霊界通信は福音となります。
2.人生をやり直すに遅すぎるということはないということ。
五井先生がおっしゃてましたが「私のような立場で嘘をつくと影響が大きいだけに地獄に落ちなければいけない。守護霊守護神が常に人間を守っているということを嘘だったら、『先生はうそを言ったぞ』死んでから私の首を絞めに来てください。絶対にありませんから。みんな死んでから感謝しています」と。
嘘をついて人を陥れた場合、その責任は当然受けなければなりません。
だから、宗教家みたいな立場になって、人に嘘をつくことは魂が非常に傷つくことであって、そんな馬鹿なことをすると死んでから大変です。
3.人を傷つけた、嘘をついて自分の立場を守った、自分の利益を優先して他を顧みなかった・・
そいうい事実を変えることはできませんが、悲観することはありません。
その2倍も3倍も人のためになる仕事をすればいいのであって、どんどん前へ進めばいいのです。すると高い霊界に住み着き、聖者になることも可能なのです。
それば霊界の法則です。
4.自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す・・
赦せなければ前へすすめません。想いが執着しているところがその人の住んでいる世界なのですから、赦せなければその赦せない相手とのつながりは切れないのです。
また、自分を赦せなければ、自己処罰の気持ちがあるので、地獄といわれる世界に自ら落ちてしまいます。
なんかまるで五井先生の教えそっくりそのままですが、それが生命の法則だということです。
このフランツェッツォさんの霊界通信は、そういうことを教えてくれます。
世界人類が平和でありますように
フランツェッツォさんありがとう!
フランツェッツォさんの霊界での天命がますます輝きますよに
最近、母のお得意さんのTさんがあっけなく亡くなり、本当に死というものが身近なものであることを感じています。
そのTさんは、亡くなる1週間くらい前から急に母に対して親しみを表し、近くに用事があって母がそのTさんを訪ねると、部屋中が書類、アルバムなど過去のすべてのものを整理しているところでした。母が「どうしたの?」と尋ねると「体の具合がよくないので、なにが起るかわからないので整理しとるんよ」という返事でした。
その翌日、Tさんの奥さんから電話が有り「主人が亡くなった」ということでした。
Tさんは、なんとなく自分の死期が近いことを意識の奥で知っていて、なんとなく母と親しくなり、母と知り合うことで私と知り合ったのでした。
そして、その年の「地球黎明祭」にTさんの御霊の供養を私が申し込むことになったのでした。
この縁というか、すべてが計画されているというか、奥に働いている力を感じるのです。
Tさんはとても純朴ないい人で高い世界に導かれたと感じています。Tさんの笑顔が心に映ってきます。
人間は、この肉体がひとりぼっちで生きているような感じがしていますが、実は守護の神霊のネットワークの中で無意識の内に導かれているというのが真実だと思います。
その中で出会うべき人に出会い、その出会いの中で磨かれ成長するように仕組まれていると思います。
守護の神霊からすると肉体の死などは、その死に方はどうであれ、当たり前のことであって、特別悪いことでもなければ悲しむべきことでもないのです。一つの課題をクリアしておめでとうという感じでしょうか。
一番悲しいのは、自分が守っている子供(肉体人間)がこの世で進歩しないで、成長しないで、かえって、人に迷惑をかけ、カルマ積み、退歩することなのです。
死は永遠の別れでもなければ、悲しいことでもない、ということが科学的にも個人の体験としても確認することができる日が来るのを切に願わずにいられません。
世界人類が平和でありますように
すべての人が死後の生命を確認できる日が一日も早く来ますように
そのTさんは、亡くなる1週間くらい前から急に母に対して親しみを表し、近くに用事があって母がそのTさんを訪ねると、部屋中が書類、アルバムなど過去のすべてのものを整理しているところでした。母が「どうしたの?」と尋ねると「体の具合がよくないので、なにが起るかわからないので整理しとるんよ」という返事でした。
その翌日、Tさんの奥さんから電話が有り「主人が亡くなった」ということでした。
Tさんは、なんとなく自分の死期が近いことを意識の奥で知っていて、なんとなく母と親しくなり、母と知り合うことで私と知り合ったのでした。
そして、その年の「地球黎明祭」にTさんの御霊の供養を私が申し込むことになったのでした。
この縁というか、すべてが計画されているというか、奥に働いている力を感じるのです。
Tさんはとても純朴ないい人で高い世界に導かれたと感じています。Tさんの笑顔が心に映ってきます。
人間は、この肉体がひとりぼっちで生きているような感じがしていますが、実は守護の神霊のネットワークの中で無意識の内に導かれているというのが真実だと思います。
その中で出会うべき人に出会い、その出会いの中で磨かれ成長するように仕組まれていると思います。
守護の神霊からすると肉体の死などは、その死に方はどうであれ、当たり前のことであって、特別悪いことでもなければ悲しむべきことでもないのです。一つの課題をクリアしておめでとうという感じでしょうか。
一番悲しいのは、自分が守っている子供(肉体人間)がこの世で進歩しないで、成長しないで、かえって、人に迷惑をかけ、カルマ積み、退歩することなのです。
死は永遠の別れでもなければ、悲しいことでもない、ということが科学的にも個人の体験としても確認することができる日が来るのを切に願わずにいられません。
世界人類が平和でありますように
すべての人が死後の生命を確認できる日が一日も早く来ますように