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tablaboyの道日記

祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

残念な結果に終わりました。
湯川さん、後藤さんの冥福を心よりお祈りいたします。

湯川さん、後藤さんの霊界での天命が完うされますように
湯川さん、後藤さんの命が輝きますように

最悪の結果になりましたが、世界中の多くの人々の愛念が湯川さん、後藤さんに注がれました。
これはご本人の霊魂にとってとてもありがたいことだと思います。

最近の記事、霊界通信の中でもしばしばお伝えしたと思いますが、生きている肉体人間からの愛の祈りが、霊魂の救いに大きく役立ち、光輝く世界への道案内になるのです。

この期間に私もたくさんお祈りさせていただきました。私の仲間たちも何万回とお祈りしていたと思います。肉体としては最悪の結果となりましたが、霊魂としてこんなにも大勢の人から愛を受けたことは、最善と云えると思います。

日本人だけではなく、世界中の多くの人がこの宗教戦争、民族紛争、内戦で亡くなられています。そういう人たちにできるだけ愛念を送るために祈り続けましょう。

1回の祈りも無駄ではないのです。

五井先生は「100万人の人が真剣に祈れば、武器も何も使わないで、世界はわけなく平和になる」とおっしゃってました。

1日3回くらい、思い出したら祈るというのでは効果は薄いのです。祈りには強力なパワーがあるのだから1日24時間祈り続ける、という心構えの人が100万人いれば地球人の潜在意識は光明化します。
そういう信念が大事だと思います。

世界人類が平和でありますように
中東諸国が平和でありますように
中東諸国が光り輝きますように
すべての人が愛を放射しますように

いつかは起こると思っていましたが、現実となりました。

運命というフィルムの中では、すでに出来上がっていたシナリオであると思います。

とにかく最善の結果となるよう祈り続けましょう。

合気道の今村師範のように、ひたすら祈りの力を信じ、祈り続けることが最善中の最善であると思います。祈りには力があるのです。相手の心を変える力があるのです。光の波動となって相手の潜在意識に入ってゆくのです。

レスリングの吉田さおりさんが本の出版の時にいってましたが、
「まず私のいうことを信じること。信じるだけではだめで、実行すること・・・そうすれば私のように強くなります。」と。

それと同じで、まず祈りの力を信じること。次に祈りつづけること。そうすれば祈りの力に確信が湧いてきます。というより、体験させられます。
まずは、祈り続けましょう。

世界人類が平和でありますように
中東諸国が平和でありますように
イスラム国と日本が平和でありますように
イスラム国の天命がまっとうされますように
イスラム国の人々の命が光り輝きますように
この世は、善人がだまされ苦難の人生を歩んだり、悪人が何不自由なく、贅沢三昧で、しかも健康であったり、本当に不公平なことが多い、というように思うことを随分見聞きします。

しかし、それは人生が1度しかないという観念から見ているからであって、永遠の生命、連続物語としての人生を考えないからにすぎません。

これからご紹介するのは、善事を為しながらも不遇の人生を強いられた霊人の霊界通信です。
この通信の中には大きな、大事な教訓が詰まっています。私も何度も読み返して「本当だ。そうなんだ。間違いない」と常に教えられています。

自分の人生に起こるすべては、自分が想い、行った結果である・・・

これが根本的な真理です。
その次に、その起って来たことをどういう想いで受け止めるか、それが今後の人生に大きくかかわってきます。

「自分が行ってきたことの報いを、守護の神霊が軽くしてくださって顕してくださっているんだな。この苦しみによって、自分の魂は強くなり、また軽くなり、鍛えられ、より高い世界で仕事ができるようになるんだな。まさに神々の慈愛によって救われ、導かれているんだな。そして、自分を傷つけた人たちは、実は私の借金を軽くするために神様から派遣された天使、菩薩様であったんだな。みなさんありがとうございました。本当にありがたい人生だったな。神様ありがとうございました。すべての人が幸せでありますように」

こういう想いで最後の瞬間を迎えれば、その苦労がすべて報われ、かならずすばらしい世界が待っています。神々、天使が迎えに来ます。肉体の人生より魂の人生の方が長いのです。魂の生活が本当は大事なのです。

五井先生は、「自分の不為をする人の幸せを心から想える人、そういう人は霊能力がなくても、説法が出来なくても第一級の宗教者です。そういう人が本当に立派な人なのです。」と常におっしゃってました。自分の財産を取られたり、肉体的、精神的に傷つけられて、すぐにそういう事態、あるいは加害者に感謝できるものではないですが、それを受け入れて、深い理解と諦念をもって感謝に変えるまでの時間が短ければ短いほど立派な人、魂のできた人といえると思います。
私も常にそういう境地を目指して精進しています。
そういうお話です。

とても参考になりますので、ぜひお読みください。

世界人類が平和でありますように
すべての人がすばらしい移行の瞬間を迎えられますように


苦難の人生を終えて得た希望
――サミュエル・フィリップ氏

≪サミュエル・フィリップ氏は、まさに善人という言葉にふさわしい人物であった。彼が何か意地悪なことをするのを見たことのある人は一人もいないし、彼が誰かを非難するのを見たことのある人も一人もいない。

氏は、友人たちに対して本当に献身的に尽くしてきた。そして、必要なときには、みずからの利益をなげうってまでも、友人たちに奉仕するのであった。苦難、疲労、犠牲など、いっさいをものともせずに、人々に尽くした。しかも、ごく自然に、極めて謙虚にである。人がそのことに対してお礼でも言おうものなら、むしろびっくりするくらいであった。また、どんなにひどいことをされても、決して相手を恨まなかった。恩知らずな仕打ちを受けると「気の毒なのは私ではなくて、彼らのほうなんですよ」と言うのであった。

非常に知性が高く、生まれつきの才能に恵まれていたが、彼の人生は、苦労が多いわりにはぱっとせず、厳しい試練に満ちていた。日陰の花であり、その存在が人々の口の端(は)に上ることもなく、地上ではその光りが認められない類(たぐい)の人であった。霊実在論をしっかりと学んで、篤(あつ)い信仰を得ており、地上を満たす悪に対しては、深い諦念(ていねん)をもってするのが常であった。

氏は、一八六二年十二月に、五十歳で、長い病苦の果てに亡くなった。その死後を悲しんだのは、家族とごく少数の友人たちのみであった。死後、何度か招霊に応じてくれた。≫

――地上で息を引き取った最後の瞬間に関して、はっきりした記憶はお持ちですか?

「よく覚えています。その記憶が徐々に戻りつつあるのです」

――われわれの意識が向上できるように、また、あなたの模範的(もはんてき)な人生をわれわれがしっかり評価できるように、あなたが経験した、肉体的生活から霊的生活への移行の様子を教えいただけますか? さらに、現在、霊界でどのように暮らしておられるのか教えていただけないでしょうか。

「喜んで教えいたしましょう。こうした交流は、あなたがたにとって有益であるだけではなく、私にとっても有利であるのです。地上での私の意識を回想することで、霊界との比較がなされ、そのことによって、私は、神がいかに私を優遇してくださっているかということが、非常によく分かるからです。

私の人生にどれほどの多くの試練があったかは、あなたがたがよくご存知のとおりです。しかし、ありがたいことに、私は決して逆境の中で勇気を失いませんでした。いま、そのことで本当に自分をほめてやりたいと思っています。もし勇気をなくしていたら、どれほどのものを失っていたでしょうか。私が途中であきらめてそれらを投げ出し、したがって、同じことをもう一度、次の転生(てんしょう)でやらなくてはならなかったとしたら……。そう考えただけで、恐ろしさに身震いするほどです。

わが友人諸君よ、よくよく次の真理を体得していただきたいのです。すなわち『問題は、
死んでから幸福になれるかどうか』ということです。

地上における苦しみで、死後の生活の幸福を購(あがな)えるとすれば、決して高い買い物ではありません。無限の時間を前にしては、地上でほんの短時間の苦しみなど、本当に何ほどのこともないのです。

今回の私の人生は多少の評価に値するとしても、それ以前の人生はひどいものでした。今回、地上で一生懸命に努力したおかげで、ようやくいまのような境地に至ることができたのです。過去世でのカルマを解消するために、今世(こんぜ)、地上において数多くの試練をくぐり抜ける必要があったのです。私はそれを潔(いさぎよ)く引き受けました。ひとたび決意したからには弱音を吐(は)くわけには参りませんでした。

いま、そうした試練をくぐり抜けることができて、本当によかったと思います。地上での試練をいまでは祝福したいくらいです。それらの試練を通じて、私は過去と決別できたのであり、いまでは過去は私にとって単なる思い出でしかなくなりました。今後は、過去にたどった道を、正当に手に入れた満足感とともに心静かに眺(なが)めることができるでしょう。

私を地上で苦しめた人々よ、私につらく当たり、私に悪意を向けた人々よ、私を侮辱(ぶじょく)し、私に苦い汁を飲ませた人々よ、虚偽(きょぎ)によって私の財産を奪い、私を窮乏(きゅうぼう)生活に追い込んだ人々よ、私はあなたがたを許すのみならず、あなたがたに心から感謝いたします。あなたがたは、私に悪をしながら、実はこれほどの善をなしていたなどとは、とうてい知るべくもなかったでしょう。いま私が享受(きょうじゅ)している幸福のほとんどはあなたがたのおかげなのです。あなたがたがいてくださったからこそ、私は許すことを学び、悪に報いるに善をもってすることを学ばせていただいたのです。

神は、私の進む道にあなたがたを配し、私の忍耐(にんたい)心を試してくださったのです。そして『敵を愛する』という、最も難しい愛の行為ができるようにと、私に貴重な修行の機会を与えてくださったのです。
先日ご紹介した今村師範ですが、youtubeに演武ビデオがアップされていましたのでご紹介いたします。動きはとても優雅で穏やかで品位があり、武道という感じではなく日本舞踊という感じです。
植芝盛平翁には、たくさんのお弟子がいて、その中でそれぞれが体得したものを、また次の世代に伝えていらっしゃいます。今村師範の場合は、祈りに徹しておられ、その中で体得されたものをご自分の意識と体で表現されています。












講話
東欧
演武3
演武1
演武2

 
今村樹憲師範は、合気道と並行して世界平和の祈りを実践され、今年で50年だそうです。
すごいです。継続は力なりですね。
現在は、会社の社長さんであり、札幌で合気道の指導をされ、またロシア、東欧諸国をはじめ、世界中で合気道の指導をしておられます。

今回ご紹介するビデオ講話は今村師範の体験した祈りの力のおはなしです。
今村師範は、とてもジェントルマンで、穏やかで、強いようにみえないのですが、合気道の達人です。力に頼らない合気道の普及に尽力されているということです。
祈りに力があるということを実感として体験することはなかなか難しいので、本気で祈る人がなかなか増えないのだと思います。
しかし、自覚のあるなしにかかわらず、祈りは光となって宇宙にはなたれ、調和力を発揮しているのです。

最近は、イスラム国が非常に国際的に問題になっています。
つい先日もフランスで自分の宗教、信仰を冒涜したということでテロが起こりました。

どうにかならないだろうか?
何か平和的な解決方法がないだろうか?

と誰もが思っていると思います。

そうです。相手の心が変わればいいのです。
攻撃的な相手の心が平和な心、穏やかな心、感謝の心に変わればいいのです。
そうすれば、この世のすべての戦争、闘争、競争、紛争がなくなるはずです。

養神館合気道の塩田剛三師は
「合気道の最高の技は、自分を殺しに来た相手と友達になることさ」
といわれたそうですが、まさにそれが祈り、合気道の神髄だと思います。

今村師範はご自身の体験から、その方法をお話してくださっています。
皆さんの参考になりましたら幸いです。

世界人類が平和でありますように
すべての人の心に平和の花が咲きますように

明けましておめでとうございますいつじ

いつもご訪問ありがとうございます。
いよいよ2015年がはじまりました。
去年は、やはり幽界にたまっているネガティブなエネルギーの浄化がメインで、戦争、民族紛争、テロ、自然災害、病気、飛行機事故と大変な一年でした。闇が深いということは夜明けが近いということだと思います。

2015年は方向性が見えてくるのと新しいものがUFO生まれてくる予感がします。
私の場合は、この世界平和の祈りでまっすぐ進んでゆくのですが、この祈りはあらゆる波動、あらゆる階層を調和させる力、光明波動をもっているので、その新しいものが生まれるための場を整えるために、1回でも多く祈りたいと思っています。

6年前に「祈りの功徳」という記事をアップしましたが、もう一度その内容をアップさせてください。

村田先生は、「一日150回、『世界人類が平和でありますように』とお祈りして、60日、9000回に達すると、霊界の位(霊格)が3段階上がる」とお話されたということです。
とすると、一生に3億回祈ると、10万段階霊格があがることになります。」
一口に霊格が3段階上がる、といいますが、それは大変なことだということです。
どんなにこの世で慈善事業、愛行、善行に命を捧げても、なかなか簡単に霊界の地位が上がるということは、普通ありえないそうです。本当に祈り続ければ、その功徳は計り知れないものになるでしょう。


霊格が高くなる→自由になる→愛が深くなる→楽々と悠々と善を行うことができる→不動盤石になり恐怖心がなくなる→天命を自然に完うできる→永遠の幸せ、充実、歓びの中で仕事ができる

ということになります。

では本年もよろしくお願いします。

世界人類が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
すべての人々が健康で幸せで充実しますように
コナン・ドイル氏といえば、シャーロック・ホームズで有名な作家ですが、本来は医者であり、晩年はスピリチュアリズムにエネルギーを注がれたようです。
その本人からの通信ですが、やはりとても理知的で、通信の内容も高度ですばらしいです。
死後、すぐに高い世界に導かれ、働きを開始している様子がわかります。
内容はまったく同感で、地球は完全に平和になるに決まっている、という信念がさらに強くなります。

人間は、神の分霊であり、神自身があらゆる経験を積むために、肉体に宿っているので、だめな人間、悪い人間、卑しい人間、醜い人間、ずるい人間・・・そんな人間はどこにもいないのです。ただ経験を積む中で道に迷っている神々なのです。道に迷うことは十分わかっているので、守護の神霊、天使が常に専属で守り導いています。そういう事実をしっかり知っておくことが迷いの中から抜け出すキーポイントになります。

悪い想いは消えてゆく姿
愛のない思いは消えてゆく姿
恐怖心、闘争心、みんな消えてゆく姿・・
十分な肉体経験を積むのに時間がかかっているだけなのです。肉体を卒業した霊魂はみんな同情してくれているようです。肉体に住んでいる神々様、ご苦労様です。

世界人類が平和でありますように
私達の天命が完うされますように



 以下はコナン・ドイル氏の霊界通信です


人間は自分自身のため、即ち、自分の名声を勝ち得るため、この世での成功をおさめるために人生を生きるのではなく、全体のために貢献するような人生を生きなければなりません。すべてを与えるとき、すべてを受け取ることができます。こうすることによってのみ、人間は天の王国に入ることができます。

  私の使命は、愚かで馬鹿げたことと、永遠の宝石のような真実との違いを明確に示すことです。真実によって天国が明らかにされ、虚偽は人間を笑いものにするでしょう。人間が知的なプライドを捨てない限り、真実を発見することは不可能でしょう。これに関しては私の友人の中には反対する人がいるかもしれません。しかし、私は強調しなければなりません。「人は幼子のようにならなければ天国の門を入ることはできない」。私はこの真実を何度も何度も強調しなければなりません。 (中略)
  人がすべてのプライドや自己中心主義を捨てない限り、全能の神の力なしでは人間は何もできないことを理解しない限り、傲慢の牢獄を出て自分だけでは何もできないことを理解しない限り、人間は天の栄光に浴することはできないでしょう。

  地上での生活に関して言えば、私たちは自分自身の選択によって肉体を持って生まれてくるのだ、と覚えておく必要があります。私たちに内在する選択の権利によって、私たちは地上におけるある状況に志願し、選択します。それは、私たちの本来の自己が、肉体を持った人生において最も貴重な体験をもたらしてくれるであろうことを知っているような状況です。
  どんな人であっても、その誕生日、誕生の場所、誕生の状況・環境といったものが、単なる偶然であるなどとは考えないでください。
  神聖な計画を知り尽くしているがゆえに、イエス・キリストは次のように言われたのです。

  一羽の雀が地に落ちるのも、神の知らないことではない。あなたの髪の1本1本がすべて神の知るところである。

  これは真実です。すべての計画は神の御心にあり、神はあなたをその掌に置いておられるのです。
  人間はあらゆる体験の中で、自分自身の勇気と努力によって生きていくことを学ぶ必要があります。人間は本来の自分を発見しなければならないだけでなく、自分自身の本性をコントロールしなければなりません。これをするまでは、人間は自分の霊がもっている無限ともいうべき可能性を実現することはできません。
  人生のすべての修行や体験の目的は、人間を目覚めさせてこのような可能性を実現することです。 

  人間には、運命と自由意思による選択の両方が存在しているのです。
  一人の人間についていえば、運命とはその人が一生涯のうちに体験しなければならない、そして体験することになるであろう、一連の物理的な体験を意味します。自由意思とは、その人の日常的な物理的生活を構成し、かつ支配する一連の状況、環境、境遇に対して、霊的にどのように反応するかということです。
  与えられた境遇に対応する中で、より優しく、かつ親切な人柄になっていけば、人生もその人に対してより優しくなっていくでしょう。逆に、恨みを持ち、同胞に対して厳しく無慈悲な行動をとる人間になれば、苛酷な出来事を自分自身に引きつけ、因果の法則にしたがって、そのような厳しい状況を現実化することになるでしょう。

 地球とそれを取り巻く異次元が浄化される  

  今夜はもの凄いばかりのエネルギーが来ているために、私も足元がすくわれ、一本の藁が暴風に吹き飛ばされるように、私も吹き飛ばされるかもしれません。今、地球に注がれているエネルギーはこのような嵐に例えることができます。この猛烈なエネルギーの放出の過程で、国家的な惨事が引き起こされ、国際的な衝突が引き起こされるでしょう。
  しかし、最終的にはこの霊の力によって人類の再建が実現するでしょう。
  これと同じメッセージを、私は肉体を持っていたときにも受け取りました。私はただくり返しこう述べるしかありません。

  大変動があるでしょう。その結果、現在はてしない海原が広がっている場所に、巨大な新しい大陸が現れるでしょう。そして、それと同じ広さの大陸が海に埋没することでしょう。

  もはやその命令は発せられました。すでに神の創造的なエネルギーが活動しているのを見てとることができます。ある人種が、現在の人類よりもかなり先だって進化をとげることでしょう。こうした変化と共に、地球そのものの物質的状態も浄められ、地球を取り巻くさまざまな異次元の局面も浄化されることになるでしょう(編者注・こうした出来事がいつ起きるか、ということについての言及はなく、かなり未来の出来事である可能性がある)。

  すべての存在の局面に光の天使と暗黒の天使が住んでいることを、私はすでに説明しました。この事実が何を意味するかおわかりでしょうか。たぶん、皆さんはこれまでは、すべての暗黒の天使は地獄に落ちてそこに住みつき、一方、光の天使は天界の最も高いところまで引き上げられ、神の右手に座っているといったふうに想像してきたのではないでしょうか。これは真実からほど遠い考えで、このために、人間は何世紀もの間、善と悪について誤った考えを抱くという結果になったのです。
  知性に溢れた存在たちからなるこの二つの軍隊、皆さんがそう呼びたければ、光の天使と暗黒の天使は、共に手を取り合って仕事をし、一緒に進化する存在であり、お互いになくてはならない存在なのです。そのことに皆さんを目覚めさせることが、今夜の私の使命です。この事実をしっかりと把握して初めて、善と悪の性質について明確に理解できるようになるでしょう。
  これまでのところ、人々は、善は常に悪と対決しなければならないものと考えてきました。これほど間違った考えはありません。悪は、人間が善と呼ぶ資質ないしは状態を補足する大事なものであり、悪がなければ善は進化することも存在することもできません。

  人間が悪と呼ぶものもまた神の一部であり、人間が神と呼んでいる宇宙の知性は、それ自身のなかに善と悪を含んでいるのです。

  現在のところは、善と悪は神の僕として、神の完璧な計画を実現すべく働いているのです。善悪が人間の僕となることこそ究極のあり方です。人間一人一人が自分の物質的な生活、そして個人的な思いに支配された生活よりも高いところに引き上げられたとき、初めて、生命とは一つの巨大な全体であることがわかるでしょう。そのとき、生命とは神の包括的な一つの全体であり、善と悪、白と黒にはそれほどの違いがないということが理解されるでしょう。
  これを聞いて、次のような疑問をもつ人がいるかもしれません。
  「もしそれが本当であるとすれば、善に向かおうとする衝動は失われてしまうのではないでしょうか。正しいことと間違ったことの間に実質的な違いがないというのであれば、この世界を改善したり、人間が自分自身を高めていく必要はなくなってしまうのではないでしょうか。すべてのものが究極には正されるのであれば、自分の好きなようにやっていけばよいのではないでしょうか」

 上昇への道、下降への道  

  ここで皆さんに思いだしてもらいたいのは、星が天空にかかっているのと同じように、人間の魂は生命の永遠の周期の軌道に乗っていて、眠ることのない神の意識に支えられてその軌道を巡り、かつ、その神の意識の中に保持されている、ということです。確かに、魂はある程度の自由意思と選択する能力を与えられ、それによって善を受け入れたり悪を拒否したりすることができます。しかし、人間の魂はいかなる時であれ、崇高なる魂である神との絆を断ち切る力はありません。そして、神に向かって上昇しようとする力が常に働いているのです。(中略)

  人間の運命とは、究極的に神のもとに帰ることによって完成するものなのです。と同時に、人間が神のような存在になるためには、高みに昇るだけでなく、最も低いところまで落ち、悪の深い縁まで落ち、最も深い地獄の底を通り抜けて、やがて自分の住む場所となる天界に達しなければならない、ということも確かです。
  人がこの深遠な真実を把握すれば、同胞である他の人々を責めることはなくなるでしょう。なぜなら、人間としての完全な魂の達成という素晴らしい目標によって、心は喜びで満たされ、その目標に向かって、他の人々も自分自身も、善や悪を経験しながら努力しているのだということがわかるからです。

  人間は地上での生活をする間に、さまざまな内面的な局面で、自分を現実化できるような意識の資質を獲得すべきです。そうすれば、肉体の牢獄から解放されたとき、自分にふさわしい霊界の局面に自動的に移動することができます。
  このような未来についてのヴィジョンを獲得し、肉体をもった生活の目的がわかれば、人間のあり方はきわめて整然としたものになるはずです。そして、いかなる形であれ、災難や事故、不正などの犠牲者になったりすることはなくなるでしょう。

  人間の生活をよく観察し、人間の魂が霊的な完成に近づくことができるには、どれほどの時間が必要かを子細に検討してみれば、人間がたびたび生まれ変わることの必要性がわかるだけでなく、人生の本当にささいな出来事ですら、きわめて重要な意味を持つことがわかるはずです。
  霊の世界においては、すべてが法則、秩序、調和のなかにあります。自然の世界ではすべてのものが厳密な自然の法則にしたがって動いていることに異議を唱える人はいないはずです。その表面だけを見ると、こうした自然の法則は物質的なものにすぎないように見えるかもしれませんが、それはすべて霊的な宇宙に源を発しているのです。
  行き当たりばったりのやり方では通用しません。自然は義務を遂行しない人に対してはきわめて厳しいものです。これは霊の世界でも同じで、ほんのささいな行動でもそれにふさわしい結果が生み出されます。これは何を意味するかというと、人間の思いそのものが自分の創造物になるということであり、思いがその人にとっての光の天使や暗黒の天使になるということです。
  そういうわけですから、人間がより高い存在の局面から自分自身の人生を見れば、沈んだ気持ち、憂鬱、わがままといった、自分で作り出した精神状態が、いかに破壊的な性質をもったものであるか、よくわかります。

  こちらの世界に来て以来、自分が地上の生活で創作したものから深い影響を与えられていることを私は体験しています。というのは、地上にいたとき、私は陰鬱な登場人物や場面などを言葉で創造し、表現したりすることがよくありました。非常に生き生きとした想像力をもっていたものです。喜びに満ちた情景、暖かい家庭のありさま、美しい風景なども数多く描きましたが、私のペンは残酷で、醜悪な犯罪の場面なども描写しました。
  このような描写をすることにより、あるべき姿とは対照的な性質によって、一種の教訓を与えられるということを認めるとしても、醜いものや恐ろしいものは人の心に長く残りがちであり、暴力的で不健康な波動が人を満たすことになります。よかれあしかれ私の影響を受けた数多くの男女の人生を、いま、私はじっと見ているのです。
  いつの日か、すべての人が、自分自身が作り出したものがどんな効果を生み出したか、美しいものか、それともその正反対であるかを、自分の目で見るという喜び、ないしは恐怖を体験することでしょう。創造したものが架空の人物であれ、その人の行動によって生まれた実際の生活の状況であれ、他の人々の生活に相当な影響を与えるものなのです。
  それから宇宙全体に対して自分がどのような貢献をしたか、善なる貢献であったか、それとも邪悪な貢献であったかがわかるでしょう。善悪というよりも、“肯定的”“否定的”という言葉を使ったほうがよいかもしれません。肯定的な波動のみが創造にかかわる波動であり、永遠の波動なのです。否定的な波動は、本来破壊的な力であるために、最終的には苦しみに終わるという結果になります。
  こうした理由のために、病んで苦しみにあえぐ現実の世界に、人はたじろぎを覚え始めているのです。苦しみは、人間自身が苦しみの種をまいた結果にほかなりません。しかし、霊の世界にいる私たちには、すべての生命の源である偉大な太陽から光が放射されているのが見えます。このおかげで、人間の進化の歩みは今なお上昇の軌道にあります。
  人間を下降させようとする力がいかに強いものであっても、それよりもさらに強い、上昇させようとする力が働いています。人類は自らの内部にある真実の本能によって、神のもとに帰りたいという、深い、内在する願望によって救済されることでしょう。

 新しい天国と新しい地球が生まれることを約束します 

  そうです。私たちは約束します。新しい天国と新しい地球が生まれることを。なぜなら、古い地球は今消え去ろうとしているからです。そして新しい天国と地球が生まれるでしょう。それは、人類が神に向かって努力することによって、新しい天国と地球を創造しているからです。神の業は、無知や残酷、誤謬などによるどんな抵抗に出会っても、想像もつかないような完璧な終焉に向かって私たちを進ませるのです。
  古い世界は消え、そして、さらに生き続けるでしょう。
  地上を支配しているのと同じ法則が、地上の生活の後にくる存在の局面をも支配することになります。地上の人間が神のようになることを願望するその程度に応じて、神の神聖なる愛と力を受けとるべくどれだけ心を開くことができるか、その程度に応じて、人間が住んでいる地球全体の物質的な波動が上げられていくでしょう。
  今日の人間が持っている制限された五感にとっては、未来のエーテル界の世界には実体がなく、目に見ることすらできないもののように思われるかもしれません。しかし、このエーテルからなる未来世界は、現在の時間と感覚からなる世界よりも、もっと実質のある現実を包含することになるでしょう。
  エーテルの物質からなる数多くの惑星が、すでに太陽系の中にすら存在しているのです。しかし、これらの惑星は人間の目で見ることができず、最も強力な望遠鏡をもってしても見ることはできません。これらの惑星の霊性は非常な高みに達したため、物質的な視力を超えてしまったのです。
  人間が低い波動の存在にとどまっている間は、自分自身の能力を超えたところにあるものは認識することができません。濁った水のなかを泳いでいる魚と同じように、死の向こうには異なった存在局面があることも知らず、手探りで前進しているだけなのです。この太陽系のなかにあるエーテルからなる美しい惑星にもまったく気づいてはいません。
  物質界の傍らに存在するこの新しい宇宙は、非常に拡大された、振動が加速された意識にしか感知することはできません。ちなみに、この新しい宇宙は、物質的な世界を貫いている死後の存在局面とは別なものです。
  地球は太陽系のなかで最も暗い惑星です。ということは、地球に住んでいるあなた方は、今よりも明るい未来を期待できるわけです。私たちに心を開き、死の恐怖を払いのける機会を私たちに与えてくれれば、あなた方は美と驚異と喜びの世界に向かって、もっと勇敢に踏み出すことができるでしょう。

 神が人間の魂の進化のために考えた崇高な計画  

  前述したように、現代の天文学者が何も知らない世界が存在します。その世界は、エーテルでできており、その影響は地上においてもときどき感じられています。地球を取り巻く既知の惑星から出される放射エネルギーが、個々の人間、あるいは人類全体に影響を及ぼします。それだけに、科学的な観点から見て説明不可能な地殻の変動や、地球の激変の原因は、このような強大な力についての知識が得られたときには説明ができるようになるかもしれません。
  このように考えてくると、人間は、目に見えない、そしてその存在を認識されていない宇宙における、強大な未知の力によって翻弄される、ただのあやつり人形にすぎないのではないかという疑問が出てくるでしょう。これは、肉体をもった存在としての人間の心、頭脳のあり方からすれば当然の疑問です。
  しかしながら、物質性によってもはや束縛されなくなった心ならば、一見したところ大惨事に見えるようなことも、無限の愛が、道を踏みはずした神の子供である人間を完成させるために駆使している、基本的な法則であるかもしれないと理解できるかもしれません。
  神の心ははてしなく深く、神の叡智は限りなく広く、人間が肉体をもって存在する局面に住むすべての個々人の人生を記憶し、かつ監督するだけでなく、人間の魂が数え切れないほどの体験を通して進化していくその全行程に浸透しているのです。魂が真に目覚めたとき、人間の魂の進化のために、こんなにも素晴らしい計画を考え出した崇高な神の前にただひざまずいて、その壮大さ、荘厳さを讃えることでしょう。
  このような目に見えない、未知の惑星が地球に及ぼす影響はたしかに強大なものですが、こうした力をどのような方向にもっていくか、ということについては、人類全体がその鍵を握っています。これらの力は、人間の生活を高め、より霊的なものにする方向に影響を及ぼすことも可能であり、一方、すべての善なるものを破壊する力となることもできるのです。こうした問題を決定するのは人類全体の集合的な思いにほかなりません。

  いま語ろうとしている問題は、とほうもなく規模が広大で、言葉によってそれを包み込むには、私の力が及ばないかもしれないほどのものです。あえてその説明に挑戦しているのは、私の地上での生活の晩年に、来たるべき世界の大惨事、世界の大変革について数多くの予言が寄せられたからです。皆さんに申しあげておきたいのですが、これらの変化が地球にもたらされることは確実です。それは避けることはできません。なぜならば、宇宙のキリスト意識が地球に近づきつつあり、新しい時代が間近に迫っているからです。神の子供である人々が、どうかキリストの偉大な力と栄光が認識できるように、と私は祈るばかりです。
  キリストを受け入れずに退ける人々は、ことさら意図的に行なっているのではなく、霊的な進化ができずにいるだけだということを理解する必要があります。したがって、彼らはより低い進化の軌道に戻されてしまい、キリストを認め、歓迎する心の準備ができている人々が歩む道とは異なった道を旅していくことになります。
  それでは宇宙的なキリストとは何か、定義してみたいと思います。
  霊的に開けた人々であれ、知的に進んだ人々であれ、キリストを本当に理解している人は今日ほとんどいません。そして、ナザレのキリストの神性についての理解が、いまだに混乱しているという悲劇的な状況があります。
  物質主義に陥っているという点では、正統派のキリスト教会は、心霊主義教会と同じくらい有罪です。というのは、イエス・キリストを通して提示された神の存在の物質的な側面だけを利用し、キリストを神に祭り上げることによって、キリストを通して示された無限の愛と叡智を認識することができなかったからです。

  さまざまな不吉な前兆が世界に忍びよりつつあるのが、すでに見えます。エゴによって支配されている腐敗した体制の土台が揺らいでいるのが見えます。過去の戦争がもたらした苦い果実、そしてこれから起こる戦争がもたらすであろう悲惨な状況が見えます。
  人類を絶滅から救うことができるただ一つの存在の前に、いつの日かすべての人間は頭を垂れなければならないということが、悲しみに打ちひしがれ、どうしたらよいかわからず戸惑っている世界の人々に対して示されることでしょう。キリストの救済の力と恩寵ですら、神の前には頭を垂れなければならないのです。

 人間が達成できる栄光  

  宇宙界についてはすでに説明しました。宇宙界から偉大な存在たちが、人類救済の使命を帯びて派遣されてくることも説明しました。
  ここでさらに補足しておきたいのですが、人間が進化のこの段階に到達する時点では、肉体をもった生活との関わりは完了しています。というのは、もはや地上に戻る必要はないからです。しかし、霊的な知識をより高めていくという点では、まだまだ克服しなければならない高みが残されています。これらの高山を克服するためには、生きるという経験をさらに積む必要がありますが、その生活は地上のものではありません。
  ここで、先に触れた惑星に注意を向けなければなりません。それはエーテルの物質で構成されている惑星であり、より密度の濃いエーテルで構成されている場合には光を発し、ときには天文学者の目にも見えることがあるかもしれません。
  地上での“コース”を完了し、さらに進んで、高度に進化を遂げた惑星で、再び存在を開始している魂がたくさんいます。そのために、彼らは高度な進化を遂げている惑星を包み込んでいるさまざまな世界を通り抜けて降りていきます。
  しかし、これほどまで進化を遂げた人々も、人間にとって物質の束縛がどれだけのものであるかを忘れ去ることはできず、そのことに同情の気持ちを抱いています。そして人類が非常な苦しみを体験しているときには、彼らの慈悲の光を地上に送ってくれるのです。

 すべての病の癒し 

  私は一人でこの仕事をしているのではありません。たくさんの仲間がいて、私はその一人にすぎないのですが、特定の目的に向けて特別な訓練を受け、多くのことを教えてもらったのです。

  過去何世紀にもわたって、病を癒すためにさまざまな方法が実施されてきました。(中略)
  病気は、患者の心の状態が原因であると考えられているようですが、ふつうはそれよりもずっと深いところに根ざしているのです。ときには、人の意識から始まり、またときには、潜在意識に由来することもありますが、前意識に始まっていることが一番多いのです。
  前意識という意味は、現在生きている人生よりずっと昔の意識の状態という意味です。人間の過去の人生に遡った意識ということです。つまり、数多くの輪廻転生にまで遡る意識のことです。

  病気になるもっとも多い理由は、リラックスできないということです。あなた方のほとんどが、意識的にも無意識的にも、糸がピンと張りつめたような緊張した生活を送っています。これは目を覚ましているときだけでなく、眠っているときでも同じです。緊張した心のまま眠りにつくと、あなたの指、肘、膝、脊髄、その他の骨の部分が、心のあり方に応じた緊張を保ちつづけているのです。
  なぜそうなるかといえば、だいたい同じような緊張した状態が、日中の生活をほとんど支配しているからです。肉体の緊張は恐れ、心配、抑圧された感情、押さえられた欲望といった心の状態によるものです。

  事故の原因は、犠牲者の前意識のなかに隠されているのでしょうか。それとも、人は自分ではどうにもできない災難の犠牲者にすぎないのでしょうか。じつは、事故ですら前意識の自己の深いところに、前もって作り出された不協和の結果なのです。これは非常に厳しい教えのように思われるかもしれませんが、よく考えてみればそうではありません。事故の犠牲者になる魂は、事故にはそれを体験することによってのみ学ぶことのできる教訓があることを、前意識において十分に知っているのです。

  外面的な感情(怒り、貪欲、羨望など)ははっきりと何かの病気を引き起こす可能性があると申しあげました。人間は、自分の内面的な心をコントロールできない限り、こうした有害な感情の手綱を操れはしないということを覚えておかなければなりません。ここで再び、健康に関する限り、心の内面的な調和が非常に大切であるという事実に話が戻ってきます。そして、人間の心の調和は霊的な自我が目覚めているかどうかにかかっているのです。

  人がどんなものを食べるか、ということは人間の健康に影響を与えるでしょうか。答えは、イエスです。人によってはただちに影響が出ます。だいぶ時間がたってから影響が出てくる人もいます。また、何を食べてもまったく影響を受けることのない人もいます。神の法則を理解した結果、心の平和を達成し、調和のとれた生活を営んでいる人は、食べ過ぎたり、食べるべきでないものを口に入れて自分の体を痛めつけることはないでしょう。

  どんな肉体の病気であっても、その背後に横たわっている原因を明らかにしようとすれば、広い領域を扱わなければなりません。子供たちは、病気や苦しみ、あるいは健康や幸せ、その他、人間生活を構成し、かつ人格の形成に資する人生の浮き沈みを体験する覚悟をして、この世に生まれてくるのです。

 巨大な愛の心のなかで 

  人々と国々のあいだの同胞愛の必要性をここで再び強調したいと思います。というのは、人類全体が進化のスピードをあげ、すべての生命を常に支えている宇宙的な霊の力の中で人類全体が息づき、活動し、存在しているのだということを理解して初めて、人類は滅亡から自分自身を救うことができるのですから。
  希望を失わないでください。人生における価値観が180度転換する日がくることは確かです。人の状況も、それに応じて変わればよいのですが‥‥。人類は今、非常な苦しみと窮乏を経験しようとしています。それは、人間の命を真に生かしてくれる、より大きな真実を探求するためです。
  この単純な真実を語ることは、なんとも簡単なことのように思われます。この真実は、至るところに、あらゆるものの中に存在しているのですから‥‥。しかし、世俗的な心にとって、この真実を見てとるのはなんと複雑で難しいことでしょうか。
  同胞愛以外の生き方などというものは、世界が歩むべき道の選択肢として開かれてはいないのです。現在、世界の国々は疑惑と恐怖心の中で存在しています。誰も譲ろうとせず、お互いを恐れています。ビジネスの世界では、一人一人が自分の分け前を確保しようとして、同胞と戦っています。このような生き方は、人間をどこに導いていくのでしょうか。安定でもなければ、永続的な繁栄でもないことは確かです。それどころか、文明がこれまで一生懸命築きあげてきたものすべての崩壊につながることでしょう。

  気を取り直して勇気を出しましょう。いつの日か、人類の心が高貴なる気高さを達成するときがやってきます。人間の心を高みに引き上げてくれる真の同胞愛のヴィジョンに目覚めるときがやってきます。そのとき、人間は悟るはずです。すべての命、自分自身の命も他のすべての人々の命も、一つの巨大な愛の心のなかに存在するのだということを。
  そのとき、自らを傷つけることなく他人を傷つけることは不可能であると知るでしょう。人を憎み、戦うべく戦争に行くというのは自分自身との戦いに赴くことに他ならないのですから。他人を殺すことは、殺人者にとって霊的な死にほかならないのです。“剣を抜く者は剣によって死す”とは、このような意味です。
  これからやってくる新しい人間は、自分の呼吸一息一息が、心に抱く思いの一つ一つが、世界全体に影響を及ぼすことを知るでしょう。神の宇宙にあっては、究極的には死はけっして君臨することなく、人間がひとたび本来の自分を理解し、神を理解するならば、天においても地上においても、死という現実はありえないと理解するでしょう。
  新しき人間にとって、初めも終わりも存在しないのです。なんとなれば、新しき人間は、生命は終わることのない“周期”であり、この周期は常に進化し、常に回転し、すべての人間の魂を周期の腕の中に永遠に抱擁してくれていると理解するからです。もしひとりの人が一つの法則を破るならば、神の定めた一つの真実を犯すならば、すべての人間の幸福を脅かすことになるのです。
  世界がこのような救済を体験する前に、艱難辛苦を通して同胞との魂の絆の結合をはからなければなりません。現在あなた方の地球には、物質主義によってもたらされた大きな破壊が進行しているのが見えます。これは死にほかなりません。物質主義による死にほかなりません。そして、ついでにいえば、物質主義そのものの死の始まりでもあります。
  物質主義はそう簡単には死にません。かくて苦しみが訪れることになります。人間が物質の富の神をかくも長くかつ絶えず崇拝してきたのですから、これはしかたのないことです。人類が非常な苦痛を体験した後に訪れる新たなる始まり、霊的な悟りと理解が達成された、光に満ちた新しい時代の到来が、私たちには見えます。やがて人間の共同体における生活の霊的な基盤が確立されるでしょう。すべての芸術、文化、科学、国政、宗教の活動において、人間は天界の叡智によってインスピレーションを与えられ、導きを与えられることでしょう。

  私たちが今話している宇宙的な同胞愛について語るべきことはたくさんあります。悲しいことに、ほとんどの人はこの言葉の本当の意味を理解することができません。それは、たいていの人は子供のときから、他人を犠牲にして隣人を破滅させてでも、自分自身のために戦い、自分を主張するようにと教えられてきたからです。
  人間は、人生の目的は自己の個人的な利益の追求にほかならないという誤った信念をもち続けてきました。人生において成功をおさめ、兄弟にうち勝ちたいと望むなら、どのような犠牲を払ってでも、他人より優れた人にならなければなりません。このような生き方は、あらゆる点で同胞愛という宇宙の法則に対して罪を犯すことになります。自分自身のためだけの利益を追求する人は、すべての霊的な法則を破ることになります。人類全体が同じような生き方を選択し続ければ、結果は病める肉体、病める心、混沌と戦争しかありません。
  真に偉大な人間とは、自分自身の欲望を追求する代わりに、無限にして永遠の力に身を任せる人です。それぞれの人間の魂は、本来の自己を見いだすために自己を失わなければなりません。自分の力によって力と達成がやってくるという誤った考えを持っている間は、神を見いだすことはできません。
  宇宙的な同胞愛を理解する人は、「すべてを捨て、私の後についてきなさい」(キリストの言葉)を文字通り実行することになるでしょう。神そのものである宇宙的な無私を発見するために、すべてを断念し、自分を無にし、自分を放棄しなければなりません。この崇高な瞬間に、人は神と一体になれるだけでなく、自分自身と一体になり、すべての生きとし生けるものと一体になるのです。これこそが贖罪です。つまり、神と一体になることなのです。
  人間の同胞愛とはこのことです。
マララさんがノーベル平和賞を受賞しましたね。
本当に勇気があって、恵まれない子供たちの教育のために、捨て身で献身している姿は尊いです。天使ですね。
祈りでいつも応援しています。

マララさんが幸せでありますように
マララさんの天命がまっとうされますように
マララさんの命が輝きますように

子供たちに安全な食料、医療、教育が提供されなければならないのは当たり前ですが、大人が戦争ばかりしていてはどうにもなりません。
子供は大人の犠牲になっているのが現状です。
戦争に向かうエネルギー、お金があれば、子供たちをもっとケアできるはずです。

本当に教育が必要なのは、大人たちの方であり、各国の指導的立場にある人たちなのです。

1.人間は神のわけ命であり、すべての生命は兄弟姉妹であることを知る。
2.人間の生命は永遠であり、肉体はその生命の一つの働き場所にすぎないことを知る。
3.個人が体験するすべての運命は、その個人が過去に想い、行い、しゃべったことの結果である。
4.人間には、各個人に守護霊、守護神がついて守っているので、常に感謝の想いを向けてより高度なインスピレーションを受ける。
5.祈りによって積極的に愛を放射する。
6.あらゆる事物に感謝する。


ざっと、上記のような内容を大人たちに教育しなければ平和への道はないのですが、偏狭な宗教信念、差別意識、既得権益、利己主義がはびこって、もう滅びる寸前です。

やはり最後は、科学的な方法で納得させなければならないと思います。
それが宇宙子波動生命物理学の発表により可能となります。


世界人類が平和でありますように

最近、霊界通信ばかりでしたので、閑話休題・・

高野茂義師の移行の様子が、非常にすばらしいものでしたが、なぜただの剣道で神人一如まで人間を磨くことができたのか、という疑問が起こります。

そこで、剣道とはいかなるものか?
高野茂義師が命がけで修業したこの剣道とは何なのか?

現在の剣道とはまったく違う内容で、足技などもあり、ほんとうの真剣勝負という感じがあります。

そういう内容が詳しく書かれているサイトを発見しました。

「剣道講話」・・・剣道の理念について

小川忠太郎先生の「剣道講話」ですが、たいへんすばらしい内容で、精神性がとても高くて、まさに人間修業が剣の道、天地の理法を体得するのが剣道ということがよくわかります。
この講話の中に高野茂義師のこともでてきて、とても参考になります。

奥深い、すばらしい内容ですので、ご紹介させていただきます。

この講話の中に、男谷信友(精一郎)師の名前が出てきますが、幕末の偉人、勝海舟の師匠の師匠にあたる人で、五井先生が剣の道では最強の人であるとされていました。五井先生は直接会わなくても時空を超えて人間の真価がわかる方でしたので、霊格的に見てそうおっしゃったと思います。たぶん、ものすごい前生があると思います。高野茂義師が生前、「剣道一路」という本を出版されることになり、五井先生にご報告に来られた際に、「一番の剣客はどなたですか?」と尋ねられました。すると五井先生は、宮本武蔵でも誰でもなく、「男谷精一郎が一番強い」と言われたとのことです。
この方は剣聖と呼ばれています。
剣道界のベートーベンというところでしょうか。ベートーベンは天才肌ではげしい人でしたが、男谷師は、天才であることは間違いないでしょうが、君子のように人格も素晴らしい方だったようです。

剣道とはいいますが、本当は道(天地の理法、法則)を体得するために剣という一つの道具を使用するということで、その道を体得できれば、もう剣は必要なくなります。
その体得したものを、世界、社会、国家のために活かす・・
そういう道の修業の内容が満載で素晴らしいです。
ぜひお読みください。

人は道をきわめて、自由無礙となり、愛となり、光となり、神となるのでしょう。

明治維新のころにはなんでこんなに偉大なすばらしい魂がたくさん生まれたのでしょう?
そういう偉大な魂のおかげで現在の日本があることがわかります。
礼節、勇気、潔さ、自己犠牲、愛他、誠、謙虚、使命感、天地への信、相手を尊重する気風、譲り合いの心・・・
世界が尊敬する日本の原点がこの武士道の中にあるような気がします。

世界人類が平和でありますように
日本の天命がまっとうされますように
小川忠太郎師、高野茂義師の霊界での天命がまっとうされますように



この通信も村田先生のご著書からですが、日本人の精神性を代表するような方、偉大な剣道家が移行されたときのおはなしです。

この剣道家は、水戸出身の最高の格式を持った剣士ということで、高野茂義師ということがわかりました。

私は、昔から武道に対する憧れがとてもあり、宮本武蔵をはじめ剣豪、武道家の伝記を読むのが大好きなのです。

武士道・・・これは日本の霊性、精神性そのものだと思います。

さて、その道を究めた方が肉体を離れるときは、どういう状況になるのだろう・・・
とても興味があります。

すばらしい、神々しい、荘厳な移行の様子をどうぞお読みください。

 或る剣道一筋の人

 それで、ある神人の、素晴しい昇天の模様を書かせていただくことにします。
 その人の一生は、剣の道一筋の生涯で、素晴しき神人一如の座まで精進された人でありました。現世においても、剣の道で最高の格式を持っておられました。見るからに頑丈な体躯、魂の大きさを物語る容貌、白髪の中に包む威信。こうした素晴しき魂と、肉体とをあわせ持つ人はまことに少いといえましょう。
 死期が近づく一年ほど前、五井先生に導かれるようになりました。その人の場合は再び帰ることなき肉体の座において、肉体にまつわる想念の一すじだに残すまじと、奥の奥まで洗い浄めることが、この人の最後に残された修業であったのです。
 ある時は激痛の波がとっさに渦を巻き、また或る時は悲しい波が押し寄せてきては消えていった。その間、魂は大方神界にありました。肉体は蝉のぬけがらのようであったのです。空の人、肉体の座におよそ想念はなかったのでした。
 死期が近づくにつれて、出生の地そして縁深き地、水戸がしきりに思われるのでした。やがて水戸に家ができて、木の香も新らしき我が家に帰り着くことができました。老齢とはいえども、一生を剣一筋に鍛えてこられた肉体は頑丈で、腰など少しも曲るようなことはなく、顔にはおかしがたい威信を備え、目は何物をも射ぬくかのような強さが光っていました。無言のうちに、相手に何か強いものを伝えているのでありました。
 新居に移って間もなくその剣人は昇天されました。私は当日ちょっと統一して、水戸での葬儀の様子を見て驚いたのでありました。
 地上での葬儀が盛大であったということだけではありません。儀式は神式で行われていました。ということはこの剣人の魂の座に全くふさわしく、名実ともなる儀式でした。私の霊眼に映じたその場の情景は、実に名状しがたい素晴しいものでありました。
 その時は、お迎えの神々がすでに降りてこられて、それぞれが座に着かれ、地上の儀式が神々の座にむかって行われていました。
 かの剣人は白衣の衣冠束帯をつけた神人の姿で、祭壇の中央に大きく座しておられます。普通の人の三、四倍もの大きさに見受けられました。その背後に、出迎えの武神が等身大で三体立っておられます。その三体の主となられる武神の横に補佐されるように二体やや小さく立っておられます。その武神のうしろに、女神の姿をしたそれはそれは美しい神々が三体立っていらっしやいます。その上に物凄い光輝を放たれている神様は、日本武尊のようなお姿に見えました。
 こうして背後に三段で三角形になって輝いておられる神々の光輝で、あたりは黄白色に満ち満ちています。そのなかで、白衣の神人を中心とした壇の前に、八字型に並んでいらっしゃる神々があまりにも大勢いらっしゃったので、ちょっと見当がつきませんでした。こうしたお迎えの神々が両側に立ちならぶ中を、地上の縁者、友人、知己がうやうやしく捧げる玉串の榊の葉の青さが、一際目立ちます。
 白衣の衣冠束帯の神人があまりにも大きいので、地上の人は子供のように見えてなりませんでした。玉串を捧げ、うやうやしく最敬礼をするたびに、大きくうなづきつつニッコリと笑われるあたりは、神人の面目躍如たるものがあります。ああ素晴しきかなとただ見とれるばかりでした。
 数多き玉串の奉納も終りに近づいた時、どこからともなく笙、ひちりきの音が降り注いできました。喨喨として流れるその音は、五井先生の口笛のように思えてきました。あるいは高くあるいは低く流れるうちに、神々の陣容は神人を中心にピラミッド型になって行きました。その時一段と光輝が放たれました。それは霊団が地上を離れる瞬間に放たれた閃光でした。それを機に霊団は次第に地上をはなれたが、ある点にくるとあとは目にも止まらぬ速さで天上界へと移行してしまったのでした。


すばらしいの一言ですね。
出迎え、迎え人がなんと神々とは・・・
死後、すぐに神様となって仕事を開始することができる境涯・・・
人間は、本来、神の分霊なのですから、それが当然なのかもしれません。
私もこういう移行を迎えられるように、精進してゆきたいと思います。


世界人類が平和でありますように
すべての人が輝かしい移行の瞬間を迎えられますように