民営化後も客車鈍行に乗れた頃(ムーンライト九州ほか) | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


タイトルの通りですが、61.11ダイヤ改札後、急速に鉄道旅行の興味を失い、海外に軸足を移していた頃でした。


それでも18きっぷの時期は客車列車に乗りに行ってました。

ダイヤ改正毎に本数を減らす客レでしたが、この頃よく行ったコースは客車健在を感じさせるものでした。

よく乗った「ムーンライト九州」

USJができた時は毎日運転になり、姫路あたりから通勤客も乗る当たり前の定期列車のようになっていました。

岡山で東京ブルトレとすれ違います。時刻表で見ると「あさかぜ」4号か。しっかり食堂車マークもついています。

ムーンライト山陽では「高知」「松山」切り離しの停車中に、やはり東京ブルトレが見られました。


この頃新幹線の車内販売もしていましたが「祭りずし」はその時知りました。値段を見ると930円

つい先日1,000円から1,100円に値上げされましたがほとんど変わらない。

90年代はもう「終わってる」時代に感じてましたがまだまだブルトレも走っていますね。

よくやったコースは折尾で下車。折尾6:31

なぜなら、筑豊本線の原田行きに乗れるから。

筑豊本線ホームに降りると、赤ナンバーのDD51に牽引された50系4両編成の431〜2835レが止まっていました。


時代は少し前ですがイメージです。多分2835レ

桂川からはいつも貸切になりました。

原田到着8:07

原田から電車で鳥栖に行くと

今度は久大本線の50系が待っていました。

鳥栖10:01発、豊後森行き1827レ。列車は豊後森から1829レになり大分まで走ります。

夜明駅にて

豊後森では駅員おすすめの鰻丼を食べに行きました。当時400円だったと記憶しています。すごく安くて印象的でした。


イメージです。


大分に着くと、いつも別府の温泉に行きました。

100円と破格でした。


その後、フェリーで神戸というパターンと日豊本線を上がって上りのムーンライトで帰るパターンがありました。

日豊本線は415系に乗るのがかったるいと思っていました。


気持ちの上では、もう終わった時代と思っていましたが、まだまだ選べば客レばかりで旅ができた頃でした。

今から考えると贅沢な事です。