超特急ひかり号 | 旅一郎のブログ

旅一郎のブログ

国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします



物心ついた時から新幹線はあった。


意識してなかったけど岡山まだ行ってた頃だろう。


絵本のソノシートにも「ビュワーン、ビュワーン走る青いひかりの超特急」という歌が入っていた。


新幹線といえば0系、スタイルとほとんどかわらなった。

中学生の頃か、社会の授業で見たテレビ番組で「窓が小さくなったね」「これは新しい設計なんだよ」というのがあったけど、小窓化があったくらいだった。


高校生の時100系が登場し、新幹線=0系というイメージが崩れた。


それでも食堂車があるからまだ面目は保っていたように思う。

初めて乗った時は「シートピッチが広い」と思った。


大学に上がってからは車内販売のアルバイトをし出した。


ほとんどが100系、それもカフェテリアのX編成が増えて来た頃だった。


あの頃はまだ、サラリーマンに「食堂車は何号車?」と聞かれたりした。


グランドひかりV編成で博多もよく行った。


しかし一番のお気に入りは東京6:00発博多行きひかり1号だった。H編成。0系の食堂車とビュッフェを連結した豪華編成だった。


博多クルーの列車でよくしていただいた。

0系の活躍に陰りが見えてきた頃だったけど、1号という誇り高い列車で働ける事にバイトの身分ながら嬉しく思ったものだ。


あの頃の「ひかり号」には超特急のオーラがあった。