二刀流の大谷翔平選手、
日本に帰ってきましたね。
ニュースで流れていた帰国会見の言葉に
ハッとしました。
それは「子どもたちに対して、
一言メッセージを」という
インタビュアーに対する大谷選手の返答。
「プレーする側としては、
夢を与えようとか、元気を与えようというのは、
まったく考えていないので、
そう受け取ってもらえたらうれしいかなと。」
そして、そこにはまだ続きがありました。
こんにちは。
対話空間「旅するコーチング」へようこそ!
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コーチをとおして自分と対話し
《何があっても大丈夫な自分》を
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ライフコーチの
小国里恵(おぐにりえ)です。
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こちらは去年の夏、
オリンピックや高校野球があったころに
書いた記事です。
やたら選手たちから発せられる
「見ている人に勇気と感動を与えたいと思います。」
この言葉に「まるで判を押したよう」だと、
私はいつも違和感を感じていたのです。
私自身、アスリートの姿から
勇気も感動も感じることは
もちろんこれまでたくさんあったけれど、
それは「結果として」そうなるもの。
与えたいと言われたからではない、と。
なので大谷選手の
「夢を与えようとか、元気を与えようというのは、
まったく考えていないので」という言葉に
押しつけがましさのない自然体や
目標をひたすら追求する
真摯な姿を感じたのです。
でも会見全文を読んでみると、
その続きにさらに素敵なことを
言っていたのです。
「プレーする側としては、
夢を与えようとか、元気を与えようというのは、
まったく考えていないので、
そう受け取ってもらえたらうれしいかなと。」
「毎日頑張ってますし、
そう受け取ってくれるのは、
その人がそういう感覚を
持っているからなので、
そういう純粋な感覚があるならば、
それはそれで素晴らしいことですし。」
ね、どう思います?
素敵な考え方だと思いませんか?
その人がそういう感覚を
持っていることが素晴らしいって。
私はこの言葉を
こんな風に受けとめました。
自分の姿から
「夢」や「元気」を受け取れるのは
あなたの中にそれらを
「受け取れる器」があるから。
つまり、自分の中に
その「アンテナ」がなければ
キャッチできないのです。
もし、あなたが誰かから
何かを受け取ったと思ったなら…。
あなたのアンテナは
いったいその人の
「何に」「どんなところに」触れたのか。
心を動かされたのか…。
どうぞ、自分の中にある
「アンテナ(感性)」を思い、
観察してみてくださいね
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