先日、友人がぽつりとこんなことを
言っていました。
「できた自分にはOKを出せるけれど、
できなかった自分にはOK出せない」
いやあ、わかります。
できない自分を許せない、
認められないって感覚。
こんにちは。
対話空間「旅するコーチング」へようこそ!
「がんばっている自分に優しくなれない」
「自分に自信がない」
「他人に合わせてしまう」
「職場の人間関係がしんどい」
そんな悩みを私との対話で解決し
《何があっても大丈夫な自分》を
生きていきませんか?
ライフコーチの
小国里恵(おぐにりえ)です。
とても頑張り屋さんの友人。
できたことを少しずつ積み重ねて
ここまでやってきたんだと思います。
そんな自分を存分にねぎらい
認めてあげてほしい。
でも、結果的にうまくいかなかったことや
それにいたる道のりはすべて不要なもの?
自分の人生から切り捨てていいもんなのかな?
そんなことを思いながら聴いていました。
それであることを思い出しました。
もうずいぶん前になりますが、
ある研修でこんなことを聞きました。
「承認」には種類があるというお話。
①結果への承認
②行動への承認
③存在への承認
おそらくその友人は
①の結果を出す自分のみ
認めているのかもしれません。
私もついついやってしまいます。
でも結果に関係なく、
目的に向かって考えた自分、
行動した自分もいる。
悩み苦しんだ自分もいる。
そして、それらを超えたところに
いつもあるのが
「自分という存在」そのものへの承認。
私がここにいる、ということを認める。
まるごとOKする、って
こういうことですよね。
ほんと、何かができるって素晴らしいです。
何かを達成できたり、
誰かのために役に立つことができたり
とても素敵です。
実際、私もそうなると嬉しいです。
でも③の「ここにいる私」に
優しい手が差し伸べられないまま、
結果ばかりを求めるのは、
「根っこ」に水や栄養をやることなく、
キレイで美味しい実がなることばかりを
期待している感じ。
伝わりますかね。
そんな木がホントにあれば枯れてしまいそう…。
だから、あなたが「自分自身」に声をかける時も
大切な「誰か」に声をかける時も
いまその人の「なにを」承認しているのか、
ちょっと意識してほしいのです。
まるごとの存在を認めることなく、
ちゃんとできないとココにいちゃダメ!みたいな、
そんな声をかけていないか?
たまにはゆったりと土の中の
根っこも見てあげよう。
あなたが思っている以上に
しっかり張ってるからね
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