こんにちは。
対話空間「旅するコーチング」へようこそ!
昨日、4月24日が世界的に
「ファッション
レボリューションデイ」
という日であったこと。
ご存知の方は
おそらくほとんど
おられないと思います。
わたしもそうでした。
でも、昨日観ることのできた映画
『ザ・トゥルー・コスト~ファストファッション 真の代償~』
を観て、
なぜそのような日が生まれたのかを
知りました。
(チラシより引用)
2013年4月24日。
バングラデシュのダッカで衣服労働者の働くビルが倒壊。1100人以上の命が失われました。この日の大惨事をきっかけにつくられたのがこの映画です。私たちが着る服や衣服をつくる人々、そしてアパレル産業が世界に与える影響の物語。貪欲さと恐怖、そして権力と貧困の物語でもあります。
「服に対して本当のコストを支払っているのは誰か?」
ファストファッションと呼ばれる衣料が、
なぜ安いか、その裏に何があるのか。
縫製工場だけでなく
綿農家や革製品、染色の現場などで
起こっていることも描いている
ドキュメンタリー映画です。
(2015年制作・アメリカ)
映像では
何かに駆り立てられるように
ファストファッションに群がり
「消費に走る人々」と、
「搾取されていく労働者」が、
これでもかと言うほど
描かれていました。
まさに、洋服と「その裏側」の映像でした。
正直、ショックでした。
私は日頃から服やアクササリーが好きです。
服に限らず、
身につけるものは、
何かしら、
自分を「表現する」ものだと
思っています。
それは私の幸せな価値観です。
ただ、
映画の中でも語られていましたが、
「ものをもつことが幸せである」
という誰かに押し付けられた価値観で
自分の内にある「満たされないもの」を
埋めようとし続けたとき。
安いからという理由で
次から次へと
ものを買うとき。
似合わなかったら捨てたらいい。
着なくなったら捨てたらいい。
すぐにヨレヨレになっても仕方ない。
別に無駄になってももったいなくない。
それは
「買う(使う)」と同時発生的に
「捨てる(消費する)」が存在する世界です。
服が消耗品になる瞬間です。
私たちは
消費者にさせられている。
買っているようで買わされている。
買え買えと追い立てられている。
安いから、もったいなくないからと。
そこには
選択者としての
「喜び」と
「主体性」が
感じられない。
映画の中で
ステラ・マッカートニーが述べていました。
「顧客は気に入らなければ
受け入れなくていい。」
そして、
買うと捨てるが一体となったその消費行動と
労働者としての権利も保障されることなく
最低以下の賃金で
服を縫う人々が
ひとつの大きなシステムの中で
つながっている。
縫製工場で働く若い母親の言葉です。
「これは私たちの
血でできた服だ」
わかったうえで
彼女たちは
それでも
子どもの将来のために
働いていました。
そうか。
彼女は
自分たちの労働が何につながっているのか
わかっているのに、
私たちは自分たちの行動が
どこの、誰の、何に、つながっているのか
知らない。
・・・・・
「ファストファッション=巨悪」
「それ以外=正義」
そういう単純な話ではないと思います。
映画の中で語られた世界だけが
全てではないと思います。
ただ、これから
ものを買う時に
ひと呼吸置くだろうな。
すべてのものは
「どこかで誰かがつくっている」
そして、私がなにかを手に入れることで
遠く名前も知らない誰かが喜ぶ…
そういうこともしていこうと
思いました。
(フェアトレード製品とか)
もちろん
私も
そのものとともに
楽しい時間を過ごす…
それが前提です。
でないと、
長続きしないからね(^^♪
この映画は
SDGs(持続可能な開発目標)の掲げた
17の目標の中で次の4つに関連しています。
1.貧困をなくそう
8.働きがいも経済成長も
10.人や国の不平等をなくそう
12.つくる責任 つかう責任