今回は、住吉大社についての想像話を書きます![]()
住吉大社には、毎年、会社の新年会あとに初詣で行ってました。終わりかけの時間に行くので、割とバタバタとお詣りするパターンでした
コロナ禍になり、行かなくなり今に至るという感じです。
その頃は、住吉大社=神社みたいに思ってたし、城とかお堀とか建物自体に興味があっただけで、その建物の歴史や背景など、見ようともしてませんでした。勿体無いことしてました。
歴史とか知った上で建物とか見た方が、より楽しめるという気がします![]()
ひとり言ですが![]()
今は、こういう便利な地図があるんですね。
住吉大社さんの周りって、名所だらけなの知らなかった
土日を利用して、また探索しに行こうと思います。
大坂冬の陣の時の家康宿舎は⑨住吉行宮正印殿跡にあったんですね。
ここに宿泊した人の記録が年表になっていて、見てびっくりでした。住吉大社さんってすごい所だったんですね
…無知でした。
武将だけでいうなら、徳川家康の前に織田信長も宿泊してた
豊臣秀吉もみんな来る。歴代の征夷大将軍たちも、そして天皇までもが来てる。
そういう由緒あるところなんですね。
徳川家康と住吉大社の関係は特別だったとおもってます。家康にとっても大事なところで、住吉大社を明らかに守っていましたね。天皇や征夷大将軍が訪れる場所であり、自分も目の前にそのチャンスが訪れているからかな❓
住吉大社にしても、これで長かった戦国時代も終わりをつげる。安泰だと思っていたんだと思う。
この時の神主は津守氏でした。
私はこの人が多くの秘密を知っている人だと思っています。
今回のお話もいつも通り想像の話ですけど、時間軸が合っていません。だから、見る人が見るとおかしいと思う想像話です![]()
結論から言うと、私は旧南宗寺は、今の住吉大社宿舎のところに建っていたと考えます。
今、言われている話は
・場所は分からない
・妙法寺の近く
・中之町、宿院付近
そうすると上の地図辺りだと思うんです。
そして、南宗寺伝説の話、
『家康は大坂夏の陣で後藤又兵衛の槍で刺されて、南宗寺に着いた時は息絶えていた。』
このことを踏まえると、隠蔽しなくてはいけない話になります。なぜなら天下平定中だからです。
産経新聞始め、日経新聞まで南宗寺伝説を記事にしてます。その記事によると、
『駕籠の穴は、槍の穴ではない。鉄砲で開いた穴だ。その証拠に屋根だけでなく、駕籠の底にも穴が開いている。』
茶臼山で真田幸村の鉄砲隊が放った鉄砲玉の嵐の中の流れ弾が駕籠を直撃した!と考えた方がしっくりきます。後藤又兵衛には申し訳ないけど…。![]()
この事を踏まえて、口が固い人が管理していて、そんなに人が調べたり出来ないところで、徳川家が監視できる場所が1番いい隠し場所になります。
前回、貼り付けていた江戸時代の地図です。
住吉大社宿舎の近くに、堺奉行所があります。
菅原神社が目の前にあり、そっちかな?とも思いましたが、徳川家康からの恩恵の話を思い出してください。
住吉大社
・住吉郷内2060石の朱印地として認めらるた。
・1615年神社保護のため、禁制(軍勢の乱入、
乱暴を禁止する命令)が出された。
・1615年 社殿復興指示。
住吉大社宿舎が怪しい
・110石の寺領安堵
・諸役、段銭の免除
これは二代将軍 徳川秀忠が与えた特権です。
明治時代まで引き継がれていました。










