さらに入間川をさかのぼり、今回訪れるのは

(今回はナカナカですヨ!)

 

■廣瀬神社・・・埼玉県狭山市広瀬2丁目23−1

 

 

 

廣瀬神社は入間川北岸にあります。

 

入り組んだ住宅地の中にあります。

おそらくかつて周辺は農地だったのでしょう。

 

境内は比較的広いです。

 

境内に入り振り返って鳥居の方を見ています。神楽殿と巨樹

 

由緒書

主祭神は若宇迦能売、相殿神は八衢(やちまた)比古、八衢比女、久那斗。このセットは武蔵府中熊野神社でも見ました。

百嶋神社考古学では八衢比古=ナガスネヒコ、八衢比女=オキツヨソタラシ姫(ナガスネヒコの妹)、久那斗=ナガスネヒコです。ナガスネヒコが重複していますが、ここ廣瀬神社に、ある時代ナガスネヒコを祀る人々が入植していたということには変わりありません。

 

由緒書には末社の祭神も書かれていて、稲荷(保食、猿田彦、大宮比売)、八幡(応神)、霞神社(大国主、少彦名、ほか117柱)とあります。

以前も大宮比売が不明だったのですが、猿田彦とセットになっているので大宮比売=伊勢下宮様かもしれませんね。

 

拝殿

 

拝殿正面

 

若宇迦能売が分からないんですよ。若宇迦能売=宇迦能御魂なのかな??

だとすると若宇迦能売=宇迦能御魂はスサノオの娘であり、八衢比古(ナガスネヒコ)と八衢比女(オキツヨソタラシ姫)とは別腹の兄弟姉妹ということになります。※1

つまりここ廣瀬神社は古い(中世武士団の信仰ではない)スサノオ系統の神社ということになりますね。

 

 

拝殿屋根を後方から。千木は内削(女神)、鰹木は偶数(女神)

 

本殿

屋根に鯱があるのはなぜ??

 

さて入口のそばには…

 

八幡(ホムダワケ)、稲荷

当然にもホムダワケの方が新しい世代にも関わらず、神社の中心に座ることができずにいます。

想像ですが、ホムダワケが新しく祭神としてここ廣瀬神社に入ってきた際には、本殿に祀られていた時期もあったかもしれません。

しかし、スサノオ系の氏子さんたちがホムダワケを引きずりおろして、スサノオ系のナガスネヒコ・オキツヨソタラシ姫・伊勢下宮様を本殿に復活させたのかもしれません。

(あるいは最初からホムダワケはここ廣瀬神社の中心に食い込めなかったのかも…)

 

そのそばには神明社(天照)

 

拝殿に向かって左側、池・水路を巡らせた中に

 

この小さな祠は…

 

霞神社

戦没者を慰霊するお社。

大国主、少彦名、ほか117柱の117柱とはきっと近隣から出征された方々だったのでしょう。

 

散華…たとえ騙されて散っていったとしても、たとえ集団圧によって強制されたとしても、そしてその犠牲が一部の人間の単なる金儲けのためだったとしても…

これ以上はつらすぎて書けません。

なぜなら、「それは今現在も進行中」だから、です。

 

 

※1

言葉で解説しても分かりづらいので百島神代系譜の一部をご覧に入れます。

つまり、ここ廣瀬神社の祭神はスサノオの子供たちということです。

ならば、この廣瀬神社を建て祀った人々がスサノオの縁者であると分かります。