前回の出雲祝神社のレポでちょっと面白い展開となりましたので、予告通り鷲宮神社へ行ってきましたよ。

 

■鷲宮神社・・・埼玉県久喜市鷲宮1丁目6−1

 

 

関東平野を流れる大河・利根川の少し南

 

だだっ広い大地に鷲宮神社はあります。

この周辺はほぼ高低差がありません。上図を見ると市街地は高くて、農地は低い、と想像していたのですが、はっきりいって高低差はほぼないです。果てしなく平らな沖積平野が広がっている、といった感じですね。

だので、この鷲宮神社も上図で見ると孤立した丘のように見えますが、丘というほどの高さではなく微高地といった感じです。

 

鷲宮神社のすぐ南を流れる川にかかる橋から鷲宮神社の森を見ています。

そんなに大きく感じないです。

 

普通こういう住宅地を流れる川は汚染されたごみ溜めドブ川なのですが、そんな感じはなく水はゆったりしっかり流れています。

 

 

祭神は大巳貴、天穂日、武夷鳥、ほか9社。そう、神様が多いのです。

神様が多いということは、時代の変遷、周辺の異民族神との合祀、などによって祀る神様が増えてしまったということですね。

 

奥に小さく見えるのが本殿の垣根です。本殿は左(南方)を向いています。

 

参道途中の左にあった掲示板。遺跡だそうですがその姿はありません。

 

各種文化財の説明ですが、右端の祭神。「天穂日、武夷鳥、大巳貴」と書かれています。

鳥居の横にあった掲示板では大巳貴がトップだったのに、ここでは最下位に落とされてますね。ということは大巳貴は後付けかもしれません。

 

上の掲示板の近く。光天之池だそうです。

 

湧水になっているようです。

 

小さい祠がありましたが祭神は不明です。

 

そのすぐそばに

 

久伊豆(ひさいず)神社、祭神は大巳貴。

鳥居のところで大巳貴、天穂日、天夷鳥となってて、参道脇の看板では天穂日、天夷鳥、大巳貴と順番が入れ替わっていましたね。

大巳貴と「天穂日、天夷鳥」は別扱いだと思いましたが、これを見ればよく分かります。

大巳貴はこの周辺に多い久伊豆神社の祭神で、ここ鷲宮神社に合祀されている(協力関係)ということですね。だからここ鷲宮神社の主祭神は天穂日、天夷鳥といえるでしょう。

 

いよいよ境内へ入りますよ。

入ってすぐ右手に

 

八坂神輿殿

 

八坂神社、祭神はスサノオ。

 

その後方に

神輿が展示されています。

 

さらに進むと

 

諏訪神社、祭神はタケミナカタ。

タケミナカタは諏訪にとどまっていなかったのかな? 関東にはとても多いです。

 

鳥居をくぐって短い階段を上ると

 

諏訪大神の石碑

 

戻りまして本殿の裏側へと回り込んでゆくと

 

粟島神社、祭神は…多いですね。

授田毘古(=猿田彦だそうです。この表記は初めて見た)

武内宿祢(猿田彦と全然時代が違う~)

天太玉(=天穂日=豊玉彦)

豊宇気姫(=伊勢外宮様=辛国息長大姫=アメノウズメ=猿田彦の奥さん)

大年神(=鹿島大神=海幸彦=天忍穂耳)

天種子(不明)

コノハナサクヤ姫(江戸時代の富士山信仰か? 埼玉神社のサキタマ姫か?)

奥津彦(=大山クイ)

奥津姫(=鴨玉依姫)

カグツチ(金山彦)

タキツ姫

イチキシマ姫

タゴリ姫

ヤチボコ(=スサノオ)

大巳貴

大山クイ

 

バラバラですねぇ。

西国からこの近隣へと入植したコロニーの信奉する神様を集結させた感じですかねぇ。

さらに

ここから裏の森へと入っていきます。

 

入ってすぐ右手に

 

鹿島神社、祭神は武御雷。

やはり海賊王・鹿島様を敵に回してやっていける訳ないんで。バックについてもらった感じですかねぇ。

 

さらに進んで

稲荷社

奥へ

 

 

神明神社、天照大神。

ここが一番奥になります。

 

裏手から外への出口が見えました。周辺とはわずかな高低差があります。

 

まわりはこんな森。アブが多い。

人の手が入らない森はこんな感じ。

 

さて境内へ戻って引き続き本殿の周りの摂社・末社を見ていきます。

 

八幡神社、祭神は応神天皇

鳥居をくぐると

 

境内に戻ってさらに本殿廻りを進むと

 

姫宮神社、祭神は活(ハエ)玉依姫。

活玉依姫は、大山クイと鴨玉依姫の娘です。

 

すぐそばに

神楽殿

この神楽殿に向かい合うように拝殿が面しています。

拝殿、南を向いています。

 

拝殿に向かって右側から本殿の屋根を望む。

千木外削ぎ、5本鰹木。

 

これは逆に、拝殿に向かって左側より本殿を望む。

千木外削ぎ、3本鰹木。

 

本殿は2棟あるようで詳細は見えませんが、5本鰹木が天穂日、3本鰹木が武夷鳥、なのかな?

裏から撮ってみました。

どーんとそびえる感じが出雲大社と似ていますね。本殿を垣で囲って、その外側のゆったりした空間に摂社・末社をずらりと配置する点でも似てます。兄多毛比(=天夷鳥)が出雲族を率いて関東で初代武蔵国造となったということになっていますが、島根県出雲大社との関連を感じさせるデザインになっています。

意図的にやってますねぇ。

「おれたちは出雲族なんだーーっ!」という主張ですね。

 

では例によって百嶋系譜にあてはめていきます。

赤□が主祭神の天穂日、武夷鳥、大巳貴。

青□がスサノオ、タケミナカタ、

(粟島神社に掲げてあった神々は一旦パスします)

黄色□は武御雷、稲荷、天照。奥の院のような存在です。

ピンク□は活(ハエ)玉依姫。拝殿正面にあるし別格です。

 

赤□の天穂日、武夷鳥(=天夷鳥)は前回の出雲祝神社で見た通りです。武夷鳥が現場責任者で天穂日がパトロンでしょう。

大巳貴(=大国主)は南関東を押さえている中央奈良・大阪政権の出張所である武蔵大國魂神社の象徴ですので、多摩川沿いからなんとか利根川沿いに拠点を作ろうとしていたのかもしれません。ここは南関東から遠く離れているため兵站上無理があり、天穂日・武夷鳥と同盟したのかもしれません。

 

青□のスサノオは、武夷鳥(=天夷鳥)の祖父に当たり、武夷鳥が関東制圧するにあたって援助したのでしょうね。タケミナカタは種違いで同腹(オキツヨソタラシ姫、ナガスネヒコの妹)の子同士。タケミナカタの拠点・諏訪から武夷鳥(=天夷鳥)を援助したのでしょう。関東にやたら諏訪神社が多いのもそのせいかもしれません。

 

黄色□の武御雷、稲荷、天照は武夷鳥(=天夷鳥)から見て仰ぎ見るような大物ばかりです。武夷鳥(=天夷鳥)の関東進出を援護してもらったのでしょう。

 

ピンク□の活(ハエ)玉依姫が分からないのです。

拝殿正面に正対して置かれていることから考えて相当重要な立場だとは思うのですが、系譜の中の位置からはうまく想像できませんでした。

粟島神社に掲げてあった神々を黒□で追記しました。

活玉依姫は崇神の姉で、大山クイと鴨玉依姫の娘です。

こんな理由で拝殿正面に向かい合うように置くかな~? もっと理由がありそうに感じるのですが思いつきません。

 

ここでも神々の配置の中に微妙にナガスネヒコが避けられ隠されているように感じます。ナガスネヒコとオキツヨソタラシ姫が絶妙に避けられているというか…

イヤイヤ、ナガスネヒコは大阪で神武に殺されたでしょ、と言いたいあなた。違うんですよ、百嶋神社考古学ではね。

 

まぁ少なくともナガスネヒコが生きて関東へやってきたとは思えません。

亡くなったナガスネヒコを信奉する人々の集団が、ナガスネヒコの妹・オキツヨソタラシ姫の子供である武夷鳥(=天夷鳥)の軍団に参加し関東に新天地を求めた、ということだと思いました。

事実、息栖神社では祭神としてクナド神、天鳥舟という名前でナガスネヒコが祀ってありました。ナガスネヒコを信奉し九州から遠く離れた関東で活路を開こうと必死で戦った人々が残した痕跡だと思います。

 

だから武夷鳥(=天夷鳥)さんも本当は、伯父さん・ナガスネヒコと母・オキツヨソタラシ姫を祀りたかったんじゃないのかな?

考えてみれば武夷鳥、天夷鳥という名前も、ナガスネヒコの別名・天鳥舟と似てない? 意識したように感じるんだけど…