イヤハヤ…

 
千葉遠征レポート、今回は息栖(いきす)神社を紹介します。前回の大生神社に参った際に地元の方に「東国三社をお参りするといいよ」と勧められたのです。
東国三社とは鹿島神宮、香取神宮、今回の息栖神社のことです。
 
■息栖神社・・・茨城県神栖市息栖2882
 
 
場所は鹿島神宮の南10kmほど。
 
鹿島神宮の西側の北浦が南流し常陸利根川(利根川と平行に流れる)となった辺りの東岸です。
 
鹿島神宮、香取神宮のように常識はずれの巨大鳥居ではなくノーマルサイズの鳥居です。
 
 
鳥居横の説明板によると、日本三代実録(平安時代901年に書かれた歴史書)には息栖のことが「於岐都説(おきつせ)」と書かれているそうです。沖つ州(沖にある州)という意味でしょうか。
かつて利根川流域が広大な入江だった時代には、息栖は水の流れが運んできた砂の堆積した州だったのかもしれません。そう想像できるのは、鹿島神宮や香取神宮が山の上にあるのに対して息栖神社は水辺に近い場所にあるからです。
 
説明板に書かれている祭神、末社は後程…
 
では鳥居をくぐって本殿までの写真をどうぞ。
 
 
 
拝殿にたどり着きました。
では境内の説明板を順次見てみましょう。
 
主祭神は岐(くなど)神。Wikipediaの説明によれば「日本民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされるである」だそうで、外海からの災いを防ぐ願いの象徴なのかな?
 
 
息栖神社の歴史を解説した2つを併せて読むと、息栖神社は応神天皇の時代に現在地から南6kmの日川(にっかわ、かつて浮州の浜の日向と呼ばれた場所)にあったが、799年に津波により流失、807年に現在地に再建された…という内容です。
 
そういえば、鹿島神宮と香取神宮の両方に要石(かなめいし)というものがありました。
鹿島神宮の要石
 
香取神宮の要石
 
どちらも地震を起こすというナマズを抑え込んでいるという説明板がありました。
地震をおそれた理由は津波来襲に直結するからかもしれません。利根川流域のように水面からわずかに高いだけの土地に津波がやってきたら、全てが一気に流されてしまうことは容易に想像できます。
東北大地震でも津波によって大きな被害が出ました。古代においては絶望的な災害だったでしょう。
 
さて百嶋系譜に従って神々を分析しましょう。
まずは最初の掲示板に書かれていた久那土神(=ナガスネヒコ=天鳥舟)、住吉三神を青枠で示しました。住吉三神と言ったときいつも思うんだけど底筒男だけ系図上で離れてますよね。表筒男、中筒男は大幡主系と言っていいと思いますが、底筒男は…何系? スサノオ系? よく分かりません。
同じ掲示板に藤原内麿の命令で現在地に移転した、とあるので鹿島大社(藤原)の支配下にあったことが分かります。
 
系図上では反乱を起こして亡くなったナガスネヒコが中心に祀られています。ナガスネヒコが亡くなった後、事態を収拾するためにナガスネヒコの妹・オキツヨソタラシ姫が天忍穂耳(=鹿島大神=海幸彦)に嫁いで生まれた子孫が生き延びています。オキツヨソタラシ姫はナガスネヒコの名誉回復を願ったのではないでしょうか。それがここ息栖神社かもしれません。